鉄ネタの本編「蒸気機関車と鉄道趣味」もさっぱり更新が進みませんので、こっちのブログにも鉄道関係の古ネタをポロポロ出して行くことにします。やっぱりブログの方が楽ちんですのでね。ズボラ人間にはありがたいですね。
こちらのほうには、形式張った写真よりも、何の変哲も無いクズ鉄写真や、ふざけて撮ったスナップ写真を中心に基本ノートリミングでアップしていきますわ。構図が悪かったり、車両が小さかったりして、鉄道写真としては良くなくても、かえって当時の周囲の風景や鉄道施設の状況が良くわかる写真もありますからね。
まあ簡単に調べられる範囲のことは本文やキャプションに書きますけど、そうやってると面倒になってまた更新が滞ると思われますから、掲載写真に関してのエピソードや感想がありましたら、「コメント」欄にどんどん追加してくださいな。というわけで今回は「ぼやテツ」カテゴリ追加のご挨拶まで。
まったくどってことないカットですが、こうやって築堤をヒキで見てみますと長閑な田舎ですねえ。まあ今でもさほど変わってないんでしょうけども。昭和47年春の加太越えの有名撮影地「大カーブ」お立ち台からの一枚であります。ヘッドマークが見えますが、臨客「スズカランド号」です。牽引機はデフに鹿と月のエンブレムを入れた奈良運転所のD51882。現車8両以上は牽いてますな。たしかお向かいの名阪国道はまだ建設工事中でした。あの道が完成して便利になったことで関西本線はイッキに寂れてしまったというわけですね。 この写真の撮影行は本編「Train25 関西本線(加太)D51形」に既出です。
こちらのほうには、形式張った写真よりも、何の変哲も無いクズ鉄写真や、ふざけて撮ったスナップ写真を中心に基本ノートリミングでアップしていきますわ。構図が悪かったり、車両が小さかったりして、鉄道写真としては良くなくても、かえって当時の周囲の風景や鉄道施設の状況が良くわかる写真もありますからね。
まあ簡単に調べられる範囲のことは本文やキャプションに書きますけど、そうやってると面倒になってまた更新が滞ると思われますから、掲載写真に関してのエピソードや感想がありましたら、「コメント」欄にどんどん追加してくださいな。というわけで今回は「ぼやテツ」カテゴリ追加のご挨拶まで。
昭和47年(1972)4月1日 国鉄 関西本線 加太〜中在家(信) D51882
まったくどってことないカットですが、こうやって築堤をヒキで見てみますと長閑な田舎ですねえ。まあ今でもさほど変わってないんでしょうけども。昭和47年春の加太越えの有名撮影地「大カーブ」お立ち台からの一枚であります。ヘッドマークが見えますが、臨客「スズカランド号」です。牽引機はデフに鹿と月のエンブレムを入れた奈良運転所のD51882。現車8両以上は牽いてますな。たしかお向かいの名阪国道はまだ建設工事中でした。あの道が完成して便利になったことで関西本線はイッキに寂れてしまったというわけですね。 この写真の撮影行は本編「Train25 関西本線(加太)D51形」に既出です。
きのうまたウイッグがズレてきたので、梅田に補修に行き、帰りに聖地・旭屋7Fにて、エリエイ出版の蒸気の時代vol.37を見ましたら巻頭写真が、故・黒岩保美さんの亀山のC51225がD51と重連で加太超えで客車現車12両ほどを牽引する昭和39年頃の写真でした。しかもカラーで。C51225は形式入りナンバープレートに化粧煙突の原型を崩さぬとても美しいカマで亀山区の人気の名機だったそうです。昔から加太は撮影名所。ああ懐かしの加太超え、月と鹿のマークを入れたD51もありましたな。私も何度もこのお立ち台に通いました。あの大築堤はマムシの巣でマムシ注意の保線区の方が立てた立て札がたくさんありました。店主殿のように加太でも加太~中在家信号所~柘植まで踏破とか、北海道のさいはての蒸気や山陰本線の島根の奥の奥まで蒸気を追うパワーも、蒸気なんかより勉強しろと、親の許可も無かった私には加太超えが限界でした。加太超えの蒸気のドラフト音を録りたくて、客レの旧客のデッキで当時のSONYのカセット・テープレコーダーに録音すべく、亡くなった父が同行してくれたこともありました。今も記憶の中に加太の連続25%をあえぎながら、重連や後部補機を従えて鈴鹿山脈・加太の峠を登るD51のボッボッ、ボッボッというドラフト音と鈴鹿の山峡にこだまする力強い汽笛の音がよみがえります。ああ、北海道や九州の輝く現役蒸気見たかった、写したかったな~。店主殿のアーカイブ発掘写真、期待してます。ほんと、今となっては当時の現役・蒸気機関車たち自体もさることながら、何気ない駅の本屋や本線配置、貨物側線やテルハ、沿線の景色も激変し、貴重な記録ですもんね。河田耕一さんは昭和20年代からそういう視点で今となっては真に貴重な写真を記録をされ、それらを1冊にまとめて上梓された「鉄道風景30題」で鉄道友の会から島秀雄記念優秀著作賞で表彰されました。昭和32年に名松線のカーブする鉄橋や、遠方に伸びる田んぼの中のレールのみ撮影されてるて、凄いことです。音楽雑誌でもレコード・コレクターズ誌がビートルズが来日した時のアンカレッジまでの元日航のチーフ・パーサー氏を発掘し、インタビューして、へえ~といふミニ・トリビアを散りばめた記事にし小出しにして、うまいこと買いたくなるように連載してます。歴史の闇に消える前のトリビアに光をあてて新しい発見を!というのも最近のモロモロの傾向として感じています。
コメントありがとうございます。当時はフイルム代もままならなかったので、捨てカットを撮る余裕がなかったのがつくづく残念に思います。せいぜい同行の友人との記念撮影くらいしかありません。仕方ないので今後はそんなものでも並べて行きますわ。赤海鼠さんも大人買いできる今こそ、くだらないものでもなんでもどんどん記録に残しておかれることをおすすめします。