
限られた小遣いと時間を使って行くからには、どうしても本数の多い加太方面に行ってしまいますからね。しかしネガを見てみますと、この信楽線の一往復を撮影後、柘植に出て関西本線のD51を7本ほど撮影したあと、笠置〜大河原に回って薄暮にまた何本か撮ってますね。しかしバイタリティあったなあ。無煙化はこの年の10月でしたから、このときが最初で最後の信楽線の撮影となりました。

貴生川〜雲井間の七曲に挑むC58312[亀]牽引の貨591レ。昭和48年(1973)2月18日撮影。

33パーミルの勾配に貨車5両。C58結構頑張ってます。
この日のカマは亀山区のC58 312でした。信楽線は線路条件でデカいD51が入れなかったんでしょうね。C58は午前中に亀山から加太越えをして柘植にて草津線に入り貴生川に来ます。貴生川11:14発の貨591レとして信楽11:48着。信楽にターンテーブルが無いので、貨物の先頭に機回しして逆牽引の貨592レとなり12:06発で貴生川12:36着。草津線と加太を通って亀山に帰る運用です。当時の草津線は蒸機牽引の旅客列車が何往復か走ってたんですが、乗ったことはあるものの、沿線に降りてまで撮らなかったですね。ちょっともったいないことをしました。天王寺鉄道管理局から送ってもらったガリ版刷りのダイヤが残ってるんで当時の運用が分かるんですが、ここでは詳細は割愛しときます。
信楽線と言えば信楽高原鐵道の衝突事故で有名になってしまいましたけど、33パーミルの急勾配ですね。貴生川を出て大きく右にカーブし、杣川の鉄橋をわたると長い直線の線路が山を登ってゆくのが見えます。その先がいわゆる七曲と呼ばれる撮影地で、わたしもそのあたりに三脚を立てました。いまは新名神とか近江グリーンロード(R307)などが整備されたんで、風景も様変わりしているのかもしれませんが、当時は結構鬱蒼としてました。


復路の貨592レは逆向きで急坂を転がり降りてくる。早っ!
本編:蒸気機関車と鉄道趣味
私も昭和47年の春頃33パーミルの勾配に魅せられ、加太の25パーミルであんなにすごいのに33パーミルてどんなんやろと思って信楽線に行ったのですが、定刻過ぎても待てど暮らせどC58は現れず、結局撮影できずに帰りました。どうも列車がウヤになってたみたいです。信楽線といえば、店主殿のお写真にもあるように、貨物に結構タンク車連結してたのですが、あれって信楽焼きの窯の燃焼用の油だったそうですね。信楽高原の事故の後のJR西日本の、亀山で怪しいことしときながら、自分とこの側の非を絶対に認めないあの態度が結局後年、尼に至ったと思います。しかし、店主殿の当時からの行動力ものすごいですね。
タキに油積んで登り、
ワムにタヌキ積んで降りたんですかね(笑)。
そう、運用が危なっかしいのと一往復で一日拘束されるのであまり行かなかったんですね。杣川の鉄橋とかも撮りたかったんですけど。