ぼやテツ7回目は、あたしの古鉄アーカイヴからちょっと脱線しまして、鉄関係の妄想を膨らませてみたいと思います。ずいぶん昔の話になりますけど、ど〜いうわけかあたしの鉄の琴線に触れて強烈な印象を埋め込まれた一枚の写真があったんですな。最初に見たときはまだ坊(ぼん)でしたから、誰が撮ったどこの写真なんてことは全く気にせず、ただ、戦前のヨーロッパ風の都市の家並みと、背景にかかる高いアーチ橋を走る蒸気機関車のイメージだけが、アタマに焼き込まれてしまったのであります。
長い間、再びその写真を目にすることもなかったんですが、常にその風景のイメージだけは頭の引き出しにしまい込まれていて、後に似たような構図の絵を描きかけたこともあります。そんでもって坊が野郎に成長して美大へ進んだ頃でしょうかね、この写真がハンガリー出身の著名な写真家、アンドレ・ケルテス(ケルテース・アンドル/André Kertész)の代表作のひとつ、「ムードンにて(Meudon, 1928)」(下写真)であることを知ったわけなのです。(版権があるのかもしれませんが、この写真がないと話ができないのでひとまず掲載します。問題アリの場合は指摘いただけば削除します)
まあ写真の出自を知ったからといって特にどうともしなかったのですが、そのイメージは以前同様、頭のどこかにこだわり続けていたのでありました。ところが最近のこと、別件の検索をしているときに偶然ちらりとこの写真を見かけたので、検索作業も忘れて久しぶりにじっと写真を見つめていましたら、なんだか色々知りたくなって来たんですな。......まあケルテスの写真はおおむね好きで、いわゆるヤラセだとかの批判もありますけど、置きたい場所に置きたいものを配置して撮るのはひとつの構成手法なんだから別にいいんでないかと思います。中にはみるからに演出ヤリスギの、まるでジオラマみたいな絵になってる写真もありますけどね。このMeudonでも手前のオッサンなんか、いかにもヤラセつう感じで居てますですが......もとえ。さて、これはドコの街なのか?ドコの線路なのか?でもって橋は今もあるのか?という好奇心がね。
撮影年は1928年、昭和3年ですな。ムードンという名前からなんとなくフランスだろうなーとは思ってたのですが、絵柄の雰囲気はイギリスっぽい感じがしたので、ちょいとググッて見ましたところ、あなた、最近は便利ですね〜。Google Mapで一発ですわ。フランスのイル=ド=フランス地域圏、オー=ド=セーヌ県にあるパリの近郊都市で、鉄道ともいろいろ縁のあるお土地柄だそうです。で、地図の中から鉄道路線を探して、航空写真に切り替えて線路沿いをスクロールして行き、該当しそうな橋梁を探しました。でもあるのは近代的な複線や複々線の路盤ばっかりです。ちょいと諦めかけましたが、この橋の特長はアーチですんで、空撮の平面画像では橋脚の様子がわかりません。しからば、という訳でストリートビューに切り替え、ムードンの街を散歩してみましたら、ちゃんとあるじゃないですか、あのアーチ橋が。いやはやGoogle Map恐るべし。というか家にいながらこんなことできちゃうの愉しいな〜、と。
次はケルテスの撮影位置を特定しようと思い、ストリートビューが通っている橋周辺の道路をグルグル徘徊して、おおよそこのあたりが撮影地点だろうと目星をつけました。上の航空写真マップの右下へカーブしている道(ドクター・ヴィエーム通り)に面して、北に長く影をひいた茶色の屋根の建物がありますが、これが写真の左側の建物じゃないのかなあと。残念ながらこの道、ストリートビューが通ってませんので確認できませんけどね。
それから、この橋梁(ムードン高架橋またはヘレナ橋)の中央部の4つの橋脚は二重アーチになってますから、写真の橋脚は単層の東端部なんじゃないかと勘ぐるわけです。写真にはアーチを潜っている線路の築堤(建設中か?)も見えてますしね。北側に回っても地形から見てやや違うような感じだし。またこの鉄道橋、ケルテスの写真撮影当時は複線橋だったみたいですが、現在の航空写真を見ると電化複々線です。なもんで近づいて見上げたり、ズームで橋脚を細かく調べてみると、ちゃんと拡幅工事をされた追加の張り出し部も確認できるし、トンネル内も古い複線部分のみに赤レンガの内装が残っています。
この橋の由来や歴史、1928年当時の状況、写真の蒸気機関車の形式調査など、鉄チャンならまだまだ探求することは多くあるんでしょうけど、いまのあたしにゃこのあたりで時間切れ。でも2〜3時間没頭してしまいましたわ。興味とお時間のある方は、上のGoogle Mapの「大きな地図で見る」をクリックし、ストリートビューの人形をロータリー交差点の辺りに降ろして、アーチ橋をいにしえのケルテスの写真と比較しながら、のんびりムードンの街を散歩してみてくださいな。
本編:蒸気機関車と鉄道趣味
長い間、再びその写真を目にすることもなかったんですが、常にその風景のイメージだけは頭の引き出しにしまい込まれていて、後に似たような構図の絵を描きかけたこともあります。そんでもって坊が野郎に成長して美大へ進んだ頃でしょうかね、この写真がハンガリー出身の著名な写真家、アンドレ・ケルテス(ケルテース・アンドル/André Kertész)の代表作のひとつ、「ムードンにて(Meudon, 1928)」(下写真)であることを知ったわけなのです。(版権があるのかもしれませんが、この写真がないと話ができないのでひとまず掲載します。問題アリの場合は指摘いただけば削除します)
アンドレ・ケルテス Meudon, 1928
まあ写真の出自を知ったからといって特にどうともしなかったのですが、そのイメージは以前同様、頭のどこかにこだわり続けていたのでありました。ところが最近のこと、別件の検索をしているときに偶然ちらりとこの写真を見かけたので、検索作業も忘れて久しぶりにじっと写真を見つめていましたら、なんだか色々知りたくなって来たんですな。......まあケルテスの写真はおおむね好きで、いわゆるヤラセだとかの批判もありますけど、置きたい場所に置きたいものを配置して撮るのはひとつの構成手法なんだから別にいいんでないかと思います。中にはみるからに演出ヤリスギの、まるでジオラマみたいな絵になってる写真もありますけどね。このMeudonでも手前のオッサンなんか、いかにもヤラセつう感じで居てますですが......もとえ。さて、これはドコの街なのか?ドコの線路なのか?でもって橋は今もあるのか?という好奇心がね。
撮影年は1928年、昭和3年ですな。ムードンという名前からなんとなくフランスだろうなーとは思ってたのですが、絵柄の雰囲気はイギリスっぽい感じがしたので、ちょいとググッて見ましたところ、あなた、最近は便利ですね〜。Google Mapで一発ですわ。フランスのイル=ド=フランス地域圏、オー=ド=セーヌ県にあるパリの近郊都市で、鉄道ともいろいろ縁のあるお土地柄だそうです。で、地図の中から鉄道路線を探して、航空写真に切り替えて線路沿いをスクロールして行き、該当しそうな橋梁を探しました。でもあるのは近代的な複線や複々線の路盤ばっかりです。ちょいと諦めかけましたが、この橋の特長はアーチですんで、空撮の平面画像では橋脚の様子がわかりません。しからば、という訳でストリートビューに切り替え、ムードンの街を散歩してみましたら、ちゃんとあるじゃないですか、あのアーチ橋が。いやはやGoogle Map恐るべし。というか家にいながらこんなことできちゃうの愉しいな〜、と。
次はケルテスの撮影位置を特定しようと思い、ストリートビューが通っている橋周辺の道路をグルグル徘徊して、おおよそこのあたりが撮影地点だろうと目星をつけました。上の航空写真マップの右下へカーブしている道(ドクター・ヴィエーム通り)に面して、北に長く影をひいた茶色の屋根の建物がありますが、これが写真の左側の建物じゃないのかなあと。残念ながらこの道、ストリートビューが通ってませんので確認できませんけどね。
それから、この橋梁(ムードン高架橋またはヘレナ橋)の中央部の4つの橋脚は二重アーチになってますから、写真の橋脚は単層の東端部なんじゃないかと勘ぐるわけです。写真にはアーチを潜っている線路の築堤(建設中か?)も見えてますしね。北側に回っても地形から見てやや違うような感じだし。またこの鉄道橋、ケルテスの写真撮影当時は複線橋だったみたいですが、現在の航空写真を見ると電化複々線です。なもんで近づいて見上げたり、ズームで橋脚を細かく調べてみると、ちゃんと拡幅工事をされた追加の張り出し部も確認できるし、トンネル内も古い複線部分のみに赤レンガの内装が残っています。
この橋の由来や歴史、1928年当時の状況、写真の蒸気機関車の形式調査など、鉄チャンならまだまだ探求することは多くあるんでしょうけど、いまのあたしにゃこのあたりで時間切れ。でも2〜3時間没頭してしまいましたわ。興味とお時間のある方は、上のGoogle Mapの「大きな地図で見る」をクリックし、ストリートビューの人形をロータリー交差点の辺りに降ろして、アーチ橋をいにしえのケルテスの写真と比較しながら、のんびりムードンの街を散歩してみてくださいな。
本編:蒸気機関車と鉄道趣味
しかし、ほんまどえらい時代になりましたね。仏蘭西まで行かんでも昭和3年の蒸気機関車の写った仏蘭西の写真の橋脚の現在の風景を、自宅の机上で自由にられるとは。グーグルの画面触ってビックリしました。いやはや、天下のグーグルはすごいわ。私、この写真をてっきり芸大の故・アーネスト・サトウの授業でよく見せられた、「決定的瞬間」のアンリ・カルティエ・ブレッソンと勘違いしてました。欧米は鉄道を含む風景が100年経ってもあまり変化しないところがいいですね。日本は石の文化と違うから、10年もすれば全く様変わりしてしまい、春夏秋冬の変化同様、せわしない国です。日本でも姫新線や肥薩線などの駅舎や風景はほとんど変化ありませんが。
しかしこういうの、平和ならいいですけど、他国がテロや市街戦をやろうとするときこれほど戦略的に有意義な詳細情報はちょっとありませんな。あそこの路地のマンホールが侵入にちょうどいいとか、橋を崩壊させるための最も合理的な爆破方法とか簡単に出せますもんね。
さて、ムードン高架橋の情報をもうすこし調べてみました。建設は1838〜39年。石積みのアーチ鉄道橋でパリモンパルナス-ルマン鉄道線に架かってます。橋長およそ145m、高さ36m、スパン数7、スパン10.7mとなってます。1937年に拡幅工事をしてます。竣工時の古いイラストをみてると下段の小アーチも7スパン全部に付いているようです。左右下部はケルテスの撮影時にはすでに埋められてしまってたみたい。
高架橋ムードン-ウィキペディアfr
高架橋ムードン-1840
ストリートビューでしつこく裏道に回りましたら、ケルテスが三脚を立てて撮ったと思われる場所が見渡せるところがありました。左側の建物も昔のままのようです。まあ昭和3年ならウチの実家の木造京町家と築年ほぼ一緒ですから、戦災や地上げに遭わねば、あっちは石の建物だし普通残りますわな。なんか一件落着した感じ。フランスまで行かんで済んでエロウお安うアガリマシタ。→ケルテス撮影地点の現況
博物館の中もこれやってくれたら、ショボイとこなら行かんでも済みまんな。鉄道模型屋とかもサイトで店内のコレをやったらええカタログ宣伝になるのに。しかし例の左側の建物の3階手前の窓、ピンクのフトンが干してあるように見えるが、ズームで見ると髪の長い女が飛び降りようとしてるようにも見えて、ちとばかし気になる
うわっ!すごいな~。よう撮影地点見つけはりましたね。82年前とあんまし雰囲気変わってませんね。日本でこれくらいの家並みのとこで昭和3年と同じような感じてほとんど皆無とちゃいますか。芸大1回生の時にB岸と阿波踊りの芸大連に参加したんですが、その時の四国鳴門の撫養いう町の街の旧道筋なんか、のこぎりの形の江戸時代からかと思う看板が出てたりして、江戸時代の雰囲気残ってたんですが、25年ほどして再訪したら全滅消滅してました。地方ローカル路面電車がワム1両引いたりして、侘び寂び私鉄の素晴らしいムードのあった、鉄道模型趣味誌のシナリー・ガイドに取り上げられそうな、福島交通の軌道線の跡なんかたぶん都会化してます。
http://6.fan-site.net/~haasan55/FukushimaKidou.htm
まあ歴史遺産の保護なんてものは行政や文化が成熟してすべてが豊かになってこないとできませんよ。現住人はすこやかに過せるギリギリの道を選ばずには生きて行けませんからね。いくら世論が高まろうが社会の現実を伴わない保護なんてのはエゴに過ぎません。日本はようやくその初点に近づいたと言えるのかも知れませんけど、まだまだでしょうね。生きて虜囚の辱めを受けずから、たかだか65年だし、こちとらあいかわらず毎日の生活に喘いでますもん。