今回のぼやテツは、わたしの実家の最寄りの国鉄駅、奈良線の桃山駅に併設されておりました桃山貨物駅の遠望写真が一枚でてきましたので、同日撮影のC58の貨物列車とあわせて掲載することにいたします。桃山駅は、現在では電化されたJR西日本奈良線の鄙びた快速通過駅なのでありますけれど、ひと昔前は貨物駅舎と日通のターミナルを備えた、比較的立派な駅だったんであります。
なにせすぐ背後に西日本で最後に築かれた天皇陵である明治天皇陵が控えておりますゆえ、かつてはお召し列車が発着した誉れある駅なのでありまして、現在は普通しか停車しないローカル交換駅ですが、長いホーム上屋と交換設備を備えた立派な構内に、過去の栄光の名残を垣間みることができます。たしか昔は原宿駅のようなお召し専用ホームがあったように記憶しているのですが、これはわたしの勝手な思い違いかもしれませんけどね。まあ桃山駅は地元ですから、そのあたりの探求はまたの機会に。
この国鉄桃山駅については、機芸出版社発行のTM.Select(TMS選書)「鉄道模型趣味別冊 Nゲージレイアウト1号(初版発行:昭和62年)」に、『国鉄桃山駅を模型化する』という吉田晃夫さんのNゲージのレイアウトセクション製作記事が掲載されています。駅構内略図とともに、リアルなNセクションのカラー&モノクロ写真記事が8ページにわたって詳しく解説されているので、鉄模の古スジの方なら案外よくご存知の駅かもしれませんな。
鉄写ゴコロのついたわたしが、最初に蒸気機関車を撮る目的で線路際や犬走りにカメラを構えたのが、この桃山駅周辺なのでありまして、たしか昭和46年(1971)の早春3月からでした。今回掲載の写真はその昭和46年の5月3日に撮影したもので、中学一年生だったでしょうか。当時はまだハーフサイズのカメラしか持っておらず、小学生の折、親父にせがんで買ってもらった、オリンパス PEN EMというかなりのキワモノ機で(←キワモノの理由はリンク先を参照されたし)撮ってました。ハーフだけにネガが小さくてスキャン画質はひどいですけれど、まあご容赦ください。
桃山駅の京都寄り、大手筋通の斜め踏切を挟んで桃山貨物駅のヤードと駅舎がありました。その敷地が終わるところに、通称でしょうが「くろはし(黒橋?)」と呼んでいた跨線橋が架かっていて、記事冒頭の写真(↑)は橋の京都寄りの、線路が国道24号線と並走する付近で撮影したものです。桃山駅を発車したC58牽引貨物列車が桃山貨物駅の脇を通って京都方面に向かいます。C58の右側奥にチラ見えしているのが貨物駅です。結構いい風情の跨線橋でした。この、くろはしの橋脚はひょっとしたら古レール製だったのかもしれません。しかし橋上の女性、蒸機の黒煙が迫って来るのに堂々と歩いてますね。
上の写真は「くろはし」のたもとあたりから南の方を向いて撮った、桃山貨物駅の全景です。写真の左側奥に行くと大手筋の踏切と桃山駅のホームがあります。一番左の線路が奈良線の本線です。貨物専用ホームにはワムが列をなして停まってます。写真右側が日本通運の集荷ヤードと倉庫になってまして、懐かしいボンネットトラックが何台も停車してますな。普段は入換え用のスイッチャーがいたんですけど、残念ながらこの写真には写ってません。ああいう機械ももっと撮っとけばよかったと思うんだけど、その時点では普通過ぎて撮らないんですよね〜鉄分薄い所以ですわ。で、ググッてみたところ、hal_railさんのブログ「鉄道写真 撮りつづけて45年」に1976年の桃山貨物駅のカラー写真がありました。やっぱりあたしなんざとは鉄分が違いますね〜。件のスイッチャーも写ってます♪
日通ヤードの部分を拡大したのが下の写真。ペンEMはハーフサイズカメラなんで、引き伸ばしても鮮明じゃありませんけど。ボンネットトラックがたくさん停まってます。アルミ製?のトレーラー積載用楕円形タンクが3つ程見えますけど、これはたぶん清酒か醸造用アルコール用でしょうね。なにせ伏見と言えば酒処ですから造り酒屋が山ほどあります。ここから鉄道で全国に出入荷されていたようです。道路が整備された今は全部大型トレーラー輸送に置き換えられたんでしょうね。道が狭い伏見の通りに酒工場のでかいトラックが通るんで大変です。
右手前に並んでいる2つの円筒形タンク(拡大トリミングでは一つ)は、たぶんカセイソーダか希硫酸用でしょうか。少し南に行った中書島に新日本理化の化学工場があるので、そこで使用されたものだと思われます。タンクの前にタキが2両停まってます。ネガが小さいので車番が不鮮明なんですが、奥の車両はタキ11204と読めるような気がします。わたしは私有貨車の形式にはとんと疎い、というかあまり興味がないんですけど、プロフェッサー吉岡氏のサイトで探すと形式タキ11200形は35トン積リン酸専用車とあります。車体にある菱形のマークは燐化学工業株式会社のものみたい。手前のタキにも企業マークが写ってますが、私有貨車の迷宮世界への深入りは止めておきます(笑)。
この1971年5月3日撮影のネガに写っていた桃山貨物駅はこの一枚だけです。貨物の取り扱いがいつ廃止されたのかはよく覚えておりませんけど、その後もしばらくは日通トラックの集荷ステーションとして使われていたようです。現在は跡地にマンションが立ち並んでしまい昔の面影はありません。ぼやテツ前回の「ムードンにて」で味を占めたGoogle ストリートビューで撮影位置に立ってみましたが、路端が邪魔で同じアングルにはなりませんでした(→)。散歩してみると、どうやら「くろはし」も味気ない橋脚なしのコンクリ橋に架け替えられてしまったみたいですね。土手の大きな樹木も伐られてありません。現況航空写真MAP(↓)の左上隅にあるのがくろはし。左半分の大きな建物のある三角形部分が桃山貨物駅跡地。右下がJR西日本の桃山駅です。桃山駅からさらに少し宇治方面に進んだところが、ぼやテツ2回目に掲載したキハ17の撮影地点です。
桃山貨物駅のボケた写真一枚で、そうとう引っぱってまいりましたけど、しんがりにC58貨物列車の写真を載せておきます。冒頭に掲載した写真の続き撮りですが。
貨物を牽引しているC58240は奈良機関区(運転所)の所属。昭和46年の春にわたしが撮影した奈良線の蒸機は、C58329、C5866、C58355、C58120、C58190、そしてこのC58240の6両です。奈良線定期貨物列車の無煙化が同年9月30日でしたから、ホントつかの間の撮影期間でした。
でも、ときには天理団臨のピッカピカ12系客車を誇らしげに牽引したりもしてました。C5866は信楽線用に亀山区に回ったのでのちに再会できましたけど、翌47年の3月時点には奈良区配置のSLはD51ばかり19両あるのみ(入換用C12167一両アリ)になってしまったと思います。他の奈良線C58各機の写真はまたおいおい。
さて奈良線も電化され、複線化が進められているのですが、京都寄りに新設されたJR藤森駅で複線区間は終わり、以南は現在も単線です。この桃山駅北側は、もともと伏見城の武家屋敷が建ち並んでいた地域なので、かなり昔から民家が密集しておりました。比較的のどかな山沿いを走っている奈良線なんですが、このあたりでの複線用地取得は今後もちょっと難しいでしょうね。まあ、京阪本線、京阪宇治線、近鉄京都線、市営地下鉄烏丸線とガチンコ競合して惨敗している不遇の路線なので、今更そんなにキバる必要もないでしょう。地元を知るあたしとしてはいつまでものどかなローカル線風情のまま存続してほしいものであります。
というようなところで、今回のぼやテツはおしまいにしておきます。
本編:蒸気機関車と鉄道趣味
なにせすぐ背後に西日本で最後に築かれた天皇陵である明治天皇陵が控えておりますゆえ、かつてはお召し列車が発着した誉れある駅なのでありまして、現在は普通しか停車しないローカル交換駅ですが、長いホーム上屋と交換設備を備えた立派な構内に、過去の栄光の名残を垣間みることができます。たしか昔は原宿駅のようなお召し専用ホームがあったように記憶しているのですが、これはわたしの勝手な思い違いかもしれませんけどね。まあ桃山駅は地元ですから、そのあたりの探求はまたの機会に。
この国鉄桃山駅については、機芸出版社発行のTM.Select(TMS選書)「鉄道模型趣味別冊 Nゲージレイアウト1号(初版発行:昭和62年)」に、『国鉄桃山駅を模型化する』という吉田晃夫さんのNゲージのレイアウトセクション製作記事が掲載されています。駅構内略図とともに、リアルなNセクションのカラー&モノクロ写真記事が8ページにわたって詳しく解説されているので、鉄模の古スジの方なら案外よくご存知の駅かもしれませんな。
鉄写ゴコロのついたわたしが、最初に蒸気機関車を撮る目的で線路際や犬走りにカメラを構えたのが、この桃山駅周辺なのでありまして、たしか昭和46年(1971)の早春3月からでした。今回掲載の写真はその昭和46年の5月3日に撮影したもので、中学一年生だったでしょうか。当時はまだハーフサイズのカメラしか持っておらず、小学生の折、親父にせがんで買ってもらった、オリンパス PEN EMというかなりのキワモノ機で(←キワモノの理由はリンク先を参照されたし)撮ってました。ハーフだけにネガが小さくてスキャン画質はひどいですけれど、まあご容赦ください。
桃山駅の京都寄り、大手筋通の斜め踏切を挟んで桃山貨物駅のヤードと駅舎がありました。その敷地が終わるところに、通称でしょうが「くろはし(黒橋?)」と呼んでいた跨線橋が架かっていて、記事冒頭の写真(↑)は橋の京都寄りの、線路が国道24号線と並走する付近で撮影したものです。桃山駅を発車したC58牽引貨物列車が桃山貨物駅の脇を通って京都方面に向かいます。C58の右側奥にチラ見えしているのが貨物駅です。結構いい風情の跨線橋でした。この、くろはしの橋脚はひょっとしたら古レール製だったのかもしれません。しかし橋上の女性、蒸機の黒煙が迫って来るのに堂々と歩いてますね。
↑国鉄奈良線 桃山貨物駅と日本通運ヤード遠望(OLYMPUS Pen EM・F.Zuiko 35mm F2 NeopanSS)
上の写真は「くろはし」のたもとあたりから南の方を向いて撮った、桃山貨物駅の全景です。写真の左側奥に行くと大手筋の踏切と桃山駅のホームがあります。一番左の線路が奈良線の本線です。貨物専用ホームにはワムが列をなして停まってます。写真右側が日本通運の集荷ヤードと倉庫になってまして、懐かしいボンネットトラックが何台も停車してますな。普段は入換え用のスイッチャーがいたんですけど、残念ながらこの写真には写ってません。ああいう機械ももっと撮っとけばよかったと思うんだけど、その時点では普通過ぎて撮らないんですよね〜鉄分薄い所以ですわ。で、ググッてみたところ、hal_railさんのブログ「鉄道写真 撮りつづけて45年」に1976年の桃山貨物駅のカラー写真がありました。やっぱりあたしなんざとは鉄分が違いますね〜。件のスイッチャーも写ってます♪
日通ヤードの部分を拡大したのが下の写真。ペンEMはハーフサイズカメラなんで、引き伸ばしても鮮明じゃありませんけど。ボンネットトラックがたくさん停まってます。アルミ製?のトレーラー積載用楕円形タンクが3つ程見えますけど、これはたぶん清酒か醸造用アルコール用でしょうね。なにせ伏見と言えば酒処ですから造り酒屋が山ほどあります。ここから鉄道で全国に出入荷されていたようです。道路が整備された今は全部大型トレーラー輸送に置き換えられたんでしょうね。道が狭い伏見の通りに酒工場のでかいトラックが通るんで大変です。
右手前に並んでいる2つの円筒形タンク(拡大トリミングでは一つ)は、たぶんカセイソーダか希硫酸用でしょうか。少し南に行った中書島に新日本理化の化学工場があるので、そこで使用されたものだと思われます。タンクの前にタキが2両停まってます。ネガが小さいので車番が不鮮明なんですが、奥の車両はタキ11204と読めるような気がします。わたしは私有貨車の形式にはとんと疎い、というかあまり興味がないんですけど、プロフェッサー吉岡氏のサイトで探すと形式タキ11200形は35トン積リン酸専用車とあります。車体にある菱形のマークは燐化学工業株式会社のものみたい。手前のタキにも企業マークが写ってますが、私有貨車の迷宮世界への深入りは止めておきます(笑)。
この1971年5月3日撮影のネガに写っていた桃山貨物駅はこの一枚だけです。貨物の取り扱いがいつ廃止されたのかはよく覚えておりませんけど、その後もしばらくは日通トラックの集荷ステーションとして使われていたようです。現在は跡地にマンションが立ち並んでしまい昔の面影はありません。ぼやテツ前回の「ムードンにて」で味を占めたGoogle ストリートビューで撮影位置に立ってみましたが、路端が邪魔で同じアングルにはなりませんでした(→)。散歩してみると、どうやら「くろはし」も味気ない橋脚なしのコンクリ橋に架け替えられてしまったみたいですね。土手の大きな樹木も伐られてありません。現況航空写真MAP(↓)の左上隅にあるのがくろはし。左半分の大きな建物のある三角形部分が桃山貨物駅跡地。右下がJR西日本の桃山駅です。桃山駅からさらに少し宇治方面に進んだところが、ぼやテツ2回目に掲載したキハ17の撮影地点です。
桃山貨物駅のボケた写真一枚で、そうとう引っぱってまいりましたけど、しんがりにC58貨物列車の写真を載せておきます。冒頭に掲載した写真の続き撮りですが。
↑↓国鉄奈良線 稲荷(当時)〜桃山間 C58240[奈] 昭和46年5月3日撮影
貨物を牽引しているC58240は奈良機関区(運転所)の所属。昭和46年の春にわたしが撮影した奈良線の蒸機は、C58329、C5866、C58355、C58120、C58190、そしてこのC58240の6両です。奈良線定期貨物列車の無煙化が同年9月30日でしたから、ホントつかの間の撮影期間でした。
でも、ときには天理団臨のピッカピカ12系客車を誇らしげに牽引したりもしてました。C5866は信楽線用に亀山区に回ったのでのちに再会できましたけど、翌47年の3月時点には奈良区配置のSLはD51ばかり19両あるのみ(入換用C12167一両アリ)になってしまったと思います。他の奈良線C58各機の写真はまたおいおい。
さて奈良線も電化され、複線化が進められているのですが、京都寄りに新設されたJR藤森駅で複線区間は終わり、以南は現在も単線です。この桃山駅北側は、もともと伏見城の武家屋敷が建ち並んでいた地域なので、かなり昔から民家が密集しておりました。比較的のどかな山沿いを走っている奈良線なんですが、このあたりでの複線用地取得は今後もちょっと難しいでしょうね。まあ、京阪本線、京阪宇治線、近鉄京都線、市営地下鉄烏丸線とガチンコ競合して惨敗している不遇の路線なので、今更そんなにキバる必要もないでしょう。地元を知るあたしとしてはいつまでものどかなローカル線風情のまま存続してほしいものであります。
というようなところで、今回のぼやテツはおしまいにしておきます。
本編:蒸気機関車と鉄道趣味
素晴らしいぼやテツに感動しきりです。友の会でも私達より2歳ほど上でお住まいが桃山駅近くで育ち、国鉄桃山駅の蒸気の撮影から鉄の深い道に入られた方がおられます。店主殿、よくハーフサイズカメラでC58の決定的カットを何カットも撮られてますね。指でダイヤル回してとか、フィルムを一コマ一コマ巻き上げんならんかった時代やのに、ほんとにさすがですね。お世辞抜きで感心します。また桃山駅の俯瞰を記録されてることや、蒸気が来る前のレトロな古レールの支柱の跨線橋の遠景と橋上の女性を撮られてる点も素晴らしいです。前にもふれました、友の会で島秀雄記念出版賞を贈られた、河田耕一さんの「鉄道風景30題」に通ずる素晴らしい視点です。ほんとあの頃の鉄道はどこを見ても味わいだらけですね。このC58はLP41とかのヘッドライトではなくシールド・ビームですね。しかし、この機関士さんと機関助士さんももう鬼籍に入られてるか、お元気でも80歳くらいでしょうね。蒸気機関車の乗務は、夏は炎熱地獄、冬は吹きっ晒しの極寒運転室キャブ、それに走行中は動輪の回転による振り落とされそうな激しい振動、トンネルに入れば猛烈な煤煙と降り注ぐ石炭の粉のシンダ、ほんまに今では考えられないほどの激務やったから短命な方も多かったようです。
そうですね〜ご両人とももう爺さんor鬼籍でしょうね。「線路に入ったら危ないで〜w」と言ってたのか、「こんなしょうもないとこで写真撮っとるボンがおるわ〜」と笑ってたのかわかりませんが、奈良線蒸機廃止半年前というのにファンなんてほとんど来ませんでしたわ。ときどき近所の中高生の鉄好きがスナップカメラで撮りに来てたくらいで大概知り合いでしたから、その友の会の人も同じ中学高校の先輩かもしれませんね。
動力車労働組合。ナッパ服着て毎日3K激務ですわ。この2、3年後に合理化反対運動が最大の盛りあがりを見せて、蒸機はみんな白ペンキの「団結号」になってしまいましたな。
>ハーフサイズカメラでC58の決定的カットを何カットも撮られてますね。指でダイヤル回してとか、フィルムを一コマ一コマ巻き上げんならんかった時代
チッ!チッ!。オリンパス PEN EMはモータードライブ内蔵フルオートハーフなんですわ。単三電池2本入りの。すぐ故障するので半年で生産中止になったのがキワモノカメラの所以です(本文のリンク先を精読されたし)。何回も修理に出したあげく、動かんようになりました。ただしモーター巻き上げは超遅かったので、オヤジのクランク2回プッシュのコニカ3のほうが早く連写できました。
店主殿も半年後には奈良線が無煙化になったと書かれてますが、あの頃は蒸気機関車が好きになるのが半年、1年違いで見られる蒸気機関車がぜんぜん違いましたね。私の原点は関西本線の蒸気機関車と今は亡き、八尾のシャープ工場横の竜華機関区だったのですが、私が初めて訪れる1~2年前までは、戦時の幹線物資輸送増強のために生まれた国産最大の貨物用蒸気機関車D52がいたのを後に知り、切歯扼腕したものです。私が竜華に行った頃には、大阪吹田から御殿場線、北海道函館本線へと渡ってしまっていました。竜華にD52が来ていた、素敵な写真を見つけました。
http://trezom.cocolog-nifty.com/photos/bb/d5228.html
竜華のデゴニ、写真全部見てしまいました。また時間喰ってしまった…笑。竜華にはトンと縁がありませんでしたね。齢がもう5つくらい上だったら行ったんでしょうけど。
わたしD52の顔はゴツくて好きなカマなんですけど、軸配置が1-D-1で缶に比べて足回りが華奢なのがちょっと頼りないんですね。往年のラッシャー木村みたいな。ちなみにラッシャーさんとは下北沢のサウナでご一緒したことがあります。いい人です。
これは、懐かしいですね。
わたしも、この辺りから写真を撮ってました。
わたしが使ってたのは、今調べてみると、
「フジカラピッドS」というカメラでした。
今で言う、「トイカメラ」ですね。
桃山のあのあたりの風景もずいぶん
変わってしまいましたね。
ストリートビューで見ると、あんさん家の北隣の八百屋のところ、歩道が高くなってたのが慣らされてしまったんですかね。
皇居が京都御所にお戻りあそばされば、モモヤマも多少は盛り上がるんでしょうけどね。坂本龍馬よりは持続的にね。