ローラーゲーム。また唐突ですねすんません。ちょっと思い出したもんでね。何でかというと...これ、書いても長いばっかりで他人様にはどうってことない話なんですが...
偏屈酒場のほうでも書いたんですが、赤海鼠さんが教えてくれた、ユニクロカレンダーの新作・夏編(→)をぼんやり眺めてましたら、あたしが中学生の折に、撮影旅行に行った石見の国の海辺の線路の風景が写っておりました。あのジオラマちっくに撮れる動画でなんですが。
場所は山陰本線の益田と浜田の間あたり、細かく言うと折居と三保三隅の間の浜辺の築堤を列車が走るという、まあ吉浦海岸という場所の有名撮影地なんですけど、あたしが撮ったのが1973年の7月末でありまして、かれこれ37年前の写真(↓)なんですが、驚いたことにその風景がユニクロカレンダーの現況とほとんど変わってないんですな。石見地方に特有な赤瓦の民家がいまどきのツーバイフォー住宅に変わってますけど、小さな港や海水浴場、入り江の真ん中にある岩場なんかはほぼ時間が止まってます。なんか、もう一回行きたくなりましてね...不景気で行けませんけど。
猛暑で、やれ熱中症だ脱水症状だと、連日報道されてますけど、その37年前も暑くてね。泳いでる人を遠目に見ながら炎天下に三脚をたてて撮影してますと、水筒の水もすぐにカラ。ところが田舎なもんで付近に商店や自動販売機なんてありません。よう熱中症にならんかったもんだと思いますが、まあ当時は「夏に日焼けしとけば、冬に風邪引かん」というような時代ですから、脱水症状もUV対策も意識なんてありませんでした。ポカリスエットはすでに発売されてたかもしれませんけど、あたしはもっぱら浅田美代子が宣伝してた、容量多くておトク感のあったチェリオ贔屓でした。
で、民家に水貰いに行ったりして凌ぎ、ヒルめしは線路の山側に走っていた国道9号線に出て、てくてく歩いてドライブ・インを探しました。また脱線しますけど、当時のドライブイン、いわゆるトラックの運ちゃん用の飯屋ですが、なぜかモーテル◯◯って屋号のところが多かったですな。ご休憩も部屋もない、薄汚れたただの食堂だったんですが。あれヘンでしたね。もとい。で、ヘトヘトになってたどり着いたドライブ・インで水をガブのみしてタマゴ丼かなんか食べたんですが...
この食堂の隅の高い所に、テレビが備え付けてありまして、一息ついてフト見上げると、その時やってたんです。何回か遅れの「日米対抗ローラーゲーム」を!。それがいい試合でね、次の撮影列車が来るので、後ろ髪を引かれるようにして試合途中で店を出たのをよく憶えているんですわ。まあ、ユニクロカレンダーのあの場所を見て、その光景がフラッシュバックしただけのことなんですけどね。
あたしはプロレス者だったので、ローラーゲームも好きでよく見てました。東京12チャンネルの番組だったんで、京都ではどの局がやってたんだっけか。とにかく最初はミッキー安川がアナウンスしてまして、その後土居まさるに変わりました。京都ではたしか土曜の午後に放送されていたような気がしますが、よく憶えてはおりません。
ローラーゲームというのは日本のテレビ局がつけた名前のようで、本場では「ROLLAR DERBY」という興行スポーツです。最初のうちはあちらのチーム同士の試合をやってましたが、ミッキー角田と佐々木陽子がロスのT-Birdsかなんかに混じって出て、こちらでも人気が出たところで、東京ボンバーズがでけたんですな。
プロレスでもそうですが、当時の日本人はガイジンをやっつけることに恍惚感を感じる人が多かったもんで、ローラーゲームもイッキに人気スポーツになりました。まあ、この辺の蘊蓄言っててもキリがないですな。ウィキペディアや2ちゃんの懐スポ板などを参照していただけば濃い話が投稿されてますんで書きませんわ。昨今、ローラースケート人気がじんわり復活の兆しなんだそうですが、昔のようにメディアが限られていた時代と違って、趣味やメディアが多様化したんで、もはやブームになりようがありませんね。
当時のローラーゲームがあたしを夢中にさせたのは、やっぱし男女入り乱れてのくんずほぐれつが時たまアリ、というところが新鮮だったんでしょう。多感な思春期ですからねえ。好きだった選手はT-Birdsから出向してたテクニシャン、ラルフ・パラディアス。女性では綾部姉妹の姉さん、綾部圭子。プレイが上手いのは佐々木ヨーコでしたけど怖い顔してたんでパス。なんというかケイコのユニフォーム姿の胸のあたりの案配ね。これにイカレてました。大きくも小さくもなく形のよいバストとその下に落ち込むウエストのライン。ここに金髪の別嬪さんのヒジ打ちがくらわされるのが、たまらんかったです。ああまた妄想をかましてしまいました。どうもすみません。
さて、われにかえって熱中症の話ですけど、これからお盆休みもありますし、行楽や帰省されるみなさんは十分に気をつけてくださいよ。まああたしは金欠で家に立て篭ってますから大丈夫ですけどね。
子連れで海山などへ行かれるお父さんは、携帯型の熱中症計(→)を首からブラ下げて行くのがいいかと。2000円くらいで売ってます。あと、チェリオよりは、大塚の経口補水液 オーエスワン(OS-1) ゼリーなんかを用意して持って行っとくと安心だそうで。これ老婆心。
干上がってますから、なにかお手伝いできる案件がありましたら、声かけてくださいよ!盆でも正月でも(笑)
偏屈酒場のほうでも書いたんですが、赤海鼠さんが教えてくれた、ユニクロカレンダーの新作・夏編(→)をぼんやり眺めてましたら、あたしが中学生の折に、撮影旅行に行った石見の国の海辺の線路の風景が写っておりました。あのジオラマちっくに撮れる動画でなんですが。
場所は山陰本線の益田と浜田の間あたり、細かく言うと折居と三保三隅の間の浜辺の築堤を列車が走るという、まあ吉浦海岸という場所の有名撮影地なんですけど、あたしが撮ったのが1973年の7月末でありまして、かれこれ37年前の写真(↓)なんですが、驚いたことにその風景がユニクロカレンダーの現況とほとんど変わってないんですな。石見地方に特有な赤瓦の民家がいまどきのツーバイフォー住宅に変わってますけど、小さな港や海水浴場、入り江の真ん中にある岩場なんかはほぼ時間が止まってます。なんか、もう一回行きたくなりましてね...不景気で行けませんけど。
山陰本線のD51 折居〜三保三隅 貨3970レ 1973.7.29撮影
猛暑で、やれ熱中症だ脱水症状だと、連日報道されてますけど、その37年前も暑くてね。泳いでる人を遠目に見ながら炎天下に三脚をたてて撮影してますと、水筒の水もすぐにカラ。ところが田舎なもんで付近に商店や自動販売機なんてありません。よう熱中症にならんかったもんだと思いますが、まあ当時は「夏に日焼けしとけば、冬に風邪引かん」というような時代ですから、脱水症状もUV対策も意識なんてありませんでした。ポカリスエットはすでに発売されてたかもしれませんけど、あたしはもっぱら浅田美代子が宣伝してた、容量多くておトク感のあったチェリオ贔屓でした。
この食堂の隅の高い所に、テレビが備え付けてありまして、一息ついてフト見上げると、その時やってたんです。何回か遅れの「日米対抗ローラーゲーム」を!。それがいい試合でね、次の撮影列車が来るので、後ろ髪を引かれるようにして試合途中で店を出たのをよく憶えているんですわ。まあ、ユニクロカレンダーのあの場所を見て、その光景がフラッシュバックしただけのことなんですけどね。
あたしはプロレス者だったので、ローラーゲームも好きでよく見てました。東京12チャンネルの番組だったんで、京都ではどの局がやってたんだっけか。とにかく最初はミッキー安川がアナウンスしてまして、その後土居まさるに変わりました。京都ではたしか土曜の午後に放送されていたような気がしますが、よく憶えてはおりません。
ローラーゲームというのは日本のテレビ局がつけた名前のようで、本場では「ROLLAR DERBY」という興行スポーツです。最初のうちはあちらのチーム同士の試合をやってましたが、ミッキー角田と佐々木陽子がロスのT-Birdsかなんかに混じって出て、こちらでも人気が出たところで、東京ボンバーズがでけたんですな。
プロレスでもそうですが、当時の日本人はガイジンをやっつけることに恍惚感を感じる人が多かったもんで、ローラーゲームもイッキに人気スポーツになりました。まあ、この辺の蘊蓄言っててもキリがないですな。ウィキペディアや2ちゃんの懐スポ板などを参照していただけば濃い話が投稿されてますんで書きませんわ。昨今、ローラースケート人気がじんわり復活の兆しなんだそうですが、昔のようにメディアが限られていた時代と違って、趣味やメディアが多様化したんで、もはやブームになりようがありませんね。
当時のローラーゲームがあたしを夢中にさせたのは、やっぱし男女入り乱れてのくんずほぐれつが時たまアリ、というところが新鮮だったんでしょう。多感な思春期ですからねえ。好きだった選手はT-Birdsから出向してたテクニシャン、ラルフ・パラディアス。女性では綾部姉妹の姉さん、綾部圭子。プレイが上手いのは佐々木ヨーコでしたけど怖い顔してたんでパス。なんというかケイコのユニフォーム姿の胸のあたりの案配ね。これにイカレてました。大きくも小さくもなく形のよいバストとその下に落ち込むウエストのライン。ここに金髪の別嬪さんのヒジ打ちがくらわされるのが、たまらんかったです。ああまた妄想をかましてしまいました。どうもすみません。
さて、われにかえって熱中症の話ですけど、これからお盆休みもありますし、行楽や帰省されるみなさんは十分に気をつけてくださいよ。まああたしは金欠で家に立て篭ってますから大丈夫ですけどね。
子連れで海山などへ行かれるお父さんは、携帯型の熱中症計(→)を首からブラ下げて行くのがいいかと。2000円くらいで売ってます。あと、チェリオよりは、大塚の経口補水液 オーエスワン(OS-1) ゼリーなんかを用意して持って行っとくと安心だそうで。これ老婆心。
干上がってますから、なにかお手伝いできる案件がありましたら、声かけてくださいよ!盆でも正月でも(笑)
店主殿の蒸気の写真の夏の日本海の色、トロピカルなええ発色してますね。37年前の写真とは思えません。さすがリバーサルフィルムの威力ですね。ネガやったら脱色・変色してます。夏のカマは煙も蒸気も出さず滑るように走り抜けて行きますが、写真からも猛暑が感じられますが、蒸気機関車の運転台は炎熱地獄やったでしょうね。今から思えば、蒸気機関車の運転士と機関助士てほんとに過酷な労働でした。
夏は風呂も薬缶の湯もすぐ沸きますからなあ。
あ、あの写真はネガカラーです。Kodakですけど。