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文庫本読書倶楽部
104
東條英機と天皇の時代

東條英機と天皇の時代(上)東條英機と天皇の時代(下) 104 東條英機と天皇の時代(上・下)

保坂正康 著
文春文庫
ノンフィクション(太平洋戦争関連)
※文春WEB文庫で購読可
※2005年11月にちくま文庫にて復刊
投稿人:コダーマン ― 03.10.20
コメント:苦々しく辛いけれど、読む価値がある本です


 毎年8月には、太平洋戦争に関して書かれたしっかりした本を読もうと決めてからもう何年になるか、ずいぶん読み続けてきた。この本は、2003年8月の「戦争本」として読んだ。この本が文庫化されたのは1988年。奥付を見ると12月刊で、初版を買っていた。日本で戦争本が出るのは、8月以外では12月が断然多い。
 太平洋戦争を始めたのが12月なのでどうしてもその時期になる。

 買ってから15年も読まなかったことになる。正しくは、「読めなかった」。
 「戦争を知らない子供たち」の一人として、私には、東條英機がどういう人なのかというはっきりした人物像がない。私の気持ちとしては、この本の著者が「ノンフィクション」で突き止めた東條は、私が思い描いている人物像とはこんな風に違っていた、という風に読みたかった。
 しかし、私の中の東條像があやふやなまま読むことになってしまった。
 今年は、読みたい本を買う金が足りなくて、本棚にある本を少しずつ読みこなしていくしかない状況である。そこで8月になったとき、あれがあったな、という感じで、とにかく決着を付けてしまおうと手に取った。
 なんの決着だかよくわからないが。

 「東條英機と天皇の時代」だもの、重苦しそうで、悲しそうで、それでも戦後世代としては読んでおかなければいけない気がする本だった。

 戦後世代は、この人こそ日本を戦争に引きずり込んで行った張本人、太平洋戦争の始まりに関しても、膨大な数の無意味な死に関しても、敗戦に関しても、この人がほとんどすべての責任を負うべき人だという風に教えられている。
 だから、東京裁判で、戦犯の主役にされてしまったのだし、この人にいい面はなかったのかと問い直すこともできないままできている。
 しかし、私は「一人で戦争を始めることができた」とは思えなかった。また、南方の島々で、あるいは大陸で、日本兵が無為に死んでいったことのすべての責任をこの人だけに負わせるのは違うのではないかとも思っていた。また、これまでに見聞きしたことからすると、天皇に戦争責任が行ってしまわないように一人で努力した人でもあったとは聞いている。
 それに、天皇の言うことには従うとした人だったと聞いていたが、基本的に戦争に反対だった天皇の意志を知りながら、どうして戦争を始めてしまったのか? そういう疑問もあった。
 「独裁者」であったかどうか、私にはわからない。そういう気がしないのだ。天皇の子供として、特に徹底してそう育った軍人が、天皇の意思をも凌ぐ独裁者として君臨できる国ではないと、個人的には思っていた。

 東條は、死んだときの様子がはっきりしている人物であり、終盤は、というより人生の中盤ぐらいからは公的人間だったから日常が知れている。誕生を調べ、世に現れた頃からの年譜を作れば、この人の一生は一本の線で繋がる。軍にいたから、その軍歴でわかることも多いだろう。それでも、それをしっかりつないで行くこと自体が大変な仕事だったと思う。簡単なことだとはまったく思っていない。読んでいて、この本を完成させる意志、あるいは志の強固さには感心してしまったぐらいだ。
 東條から直接話を聞いた人、口をきいた非常に多くの人々から東條の発言を集め、東條英機の人生と、「見せた行為」と、大日本帝国の崩壊を淡々と書き重ねていく本ではあった。ものすごくしっかりした本である。
 「見せた行為」というのは、心の中を明かすことが少なく、日記のようなもので日々の気持を明かすこともない人だったので、行為から読むしかない局面が実に多い。

 それとは別に。
 気になってしょうがなかったことが一つだけある、この著者が平気で「耳ざわりがいい」などという、がっかりするような日本語を使うこと。物書きとしては、悲しくなるようなひどい日本語である。トップの座についた東條に、周囲に人間が「耳ざわりのいい」言葉しかいわなくなった、という使い方。「耳ざわり」は耳障り、であって、耳触りではない。「障る」のだから、「耳ざわりのいい」なんて日本語はない。若い人ならあきらめるのだけれど。
 
 「東京裁判」を映画で見た時の様子や、他の戦争ノンフィクションに出てくる東條英機からは知ることができなかった新しい面があるだろうかと探りながらこの本を読んだ。結論として、娘たちには細かな気配りをしたやさしい父親だったことがわかったぐらいで、ただひたすら古い日本帝国陸軍の軍人であったとしかいいようがない。特に新しい面は発見できなかった。
 ああ、誰が調べて書いても、こうなのだな、という感じ。
 事実を必死に追いかけて、周辺の人から聞き取りを重ねて分厚く事実の層を重ねて眺めても、この人は私たちが「教えられた、押しつけられた」人物と大して違わないということなのだろう。
 戦後様々な形でこの人が語られ、徐々に「本人の思いとは別の」東條英機像ができあがったのかも知れない。
 しかし、それを大きく変える話が出てこない、これだけの時間をかけて調べ尽くしても、結論はそうなっている。

 日露戦争に「やっとのことで」勝ったにもかかわらず、大日本帝国陸軍は大国を破ったことに驕ってしまった。あの戦争は、さらに続けていたら、どうなっていたかわからない戦争だったらしい。しかし、勝ってしまったことで、その後の世界の「政治経済情勢、軍備の進歩、戦略の近代化」をまるで学ばなかったことは、戦争ノンフィクションでは常識である。太平洋戦争で負けるまで「学ばなかった」といいたいが、未だに学び終えていないのではないかという気もする。
 海外に対して目を開かず、学ばず、うちでは長州閥の跋扈という体質的な欠陥があり、しかも軍国主義に向かっていってしまう。日本の軍隊の内部が腐敗していたとしかいいようがない。統帥権の独立を手にしてからは、日本の政治とは離れた勝手な行動する国軍になっていった。
 日露戦争当時の陸軍の発想から抜けきれない昭和の日本帝国陸軍、古い発想で、古い戦略で、敵の情報も探ろうとしない。そのもとで学び、教育された東條は、とにかく精神力さえあれば戦争に「勝てる!」と最後まで叫び続けてしまった。

 毎晩ダンスをして、まとまりに欠ける有象無象であると、アメリカ人を、アメリカ軍を罵倒し続ける人物。敗戦後、巣鴨刑務所に収監されて自分についた若い米兵が非常にしっかりした態度をとり、また東條に対して尊敬を失わない様子で接するのをみて、きちんとした国民性である、と、アッという間に見方を変えるのがかえって情けない。

 日露戦争時代から抜けきれないというより、それでいいと信じていたようだ。それは巨大な悲劇だった。ノモンハンや、南方の島々で精神力の何もあったものではない。広島でも、長崎でもそうだった。
 大陸で軍務についているときに、たまたま不利な状況の戦闘を東條が指揮して、精神力で勝った形になったことがあった。相手が「ここは死者を出さずに撤退した方がいい」と戦闘を避けたのだということは、のちにわかるのだが、「ハラハラで闘い、負けを覚悟していた」東條の心には、戦争は精神力だと色濃く刷り込まれてしまったのである。
 そういう意味で東條も、そして日本の軍部のエリートたちも戦争や戦場を知らなかったといえる。勝ったらどうするかもしっかり考えていないし、もし負けそうな場合は「どこで負けを宣言するか」も考えていない。戦争をどういう風に収束させるかの計画もなしに始めていることに驚く。失望もする。負けることを考えて戦争をするのはおかしいかもしれないが、圧倒的に不利になったとき、どう決断するかを大きな戦略の中に含んでおくべきではないのか。
 ともかく、古い軍の体質を体現し、それが正しいと徹底的に信じた人物であった。東條英機や、彼と同世代の「帝国軍人」が姿を消すことで、やっと明治の日本軍や政治体制が消えたということになる。
 一方では、太平洋戦争を生き延びた大日本帝国軍人の多くが、東條に責任の全部をかぶせてしまったこともはっきり読み取れる。東條は、それから免れようとはしなかった。そのことには、一種の痛々しさを感じさせる。「私が責任のすべてをかぶることで、お上に連合国からのとがめがいかないのであれば、それでいい」という悲しみを含んだ東條の最期という気がした。
 それはあるのだけれど、そこまでの責任の大きさは、免れようがない。

 エリートはエリートとしての教育をする必要はあるのだろうが、日本陸軍のエリートは、陸軍幼年学校から大学までひたすらエリートしかいない場所で成長し、陸軍の中で上に向かって生きることを覚えるだけで、非常に偏った精神構造になってしまうことがわかる。東條もそれである。
 実は、私は東條はずっとトップの成績で過ごした人と思っていたが、そうではなく、悪い方ではないが彼の上にさらに優秀な人々がいて、東條はやや劣等感を抱いていた人物であったらしい。だから、自分が軍部内でトップに立つ日が来るとは思っていない。淡々と努力は重ねる人であったが、トップに立とうと策を弄するようなこともなかった。
 しかも、本人は自分が「軍人であるとしか考えていなくて、政治的人間からは遠く離れた人間である」と思っていた。にもかかわらず、陸軍大臣になりついには首相になって最も不得意な政治をしなければいけなくなる。また軍部内でも中枢部に行くに従って政治的手腕を発揮しなければいけなくなる。彼に政治的な手腕はなかった。政治家の政治的策略にはほとほと嫌気を覚えている。
 軍人なので、命令を聞くか、命令をするかしかできない人なのだ。政策を実行していくための駆け引きが、できない。今回は引いて、貸しを作っておこうというようなことができない。しない。そういう世界にはいない人物だった。
 彼が政治的な力をふるった形は、言うことを聞く人間だけを周囲に配置して、箴言するような人間は排斥、終盤には「言うことを聞かないなら」命を失う危険性の高い戦場に行かせるぞ、という嚇しを使うだけだった。
 これが、戦時下の「権力者が使う手」なのだ。軍隊内でもそれがまかり通っていたようだ。左遷は、死の戦場へ。がっかりしてしまう皇軍の発想。
 自分のいうことを聞かない人間を部下にしたがる人はいないのだろうが、独裁にならないために自分とは違ったものの考え方の人間も必要だとは考えない人であった。もちろん、戦争しているのだからという理由があり、また自分は軍人であるから命令と服従しかないのだと、軍人でしかない人間像が「どこを切っても」出てくる。 

 東條の父親が優秀な頭脳を持っていたにもかかわらず、時流に合わない、あるいは帝国陸軍とは相容れない持論のせいで、主流派から外されてしまった人だったことも、息子の東條英機に影響を及ぼしている。
 そのせいもあって(繰り返すが)軍人は命じられたことをそのままきっちりやればいいのであって、それ以外のことを為す必要はない、という思いが染みついている人物なのだ。自分の意見を言ってもいい地位に就くか、そういう役目を与えられたときに限って「自分の考えを言っていい」のであって、それ以外は命じられたことを黙ってやればいいという考えに固執する人物であった。
 それを徹底的にやって軍人生活を全うした人物だったのである。
 実のところ、これには驚いた。権謀術数を尽くして軍部の、そしてのちに政界のトップに立とうとしたのだと思っていた。自分が望んでいた権力を手にして、自ら戦争にのめり込んでいったのだと思っていた。戦争をするために「私が権力を握らなければ」とのし上がっていった人だと思っていた。
 それなら「責任を負わせる」ことが納得できそうな気がする。
 しかし、そうではない。

 軍隊以外の思想に対応できない人間性。命じられたこと、規則にあること、自分で判断する必要がなく過去のやり方を踏襲すればいいようなことをただその通りにやるのが得意の人物。左遷されようが、昇進しようが、その時就いた地位に要求される規則をしっかり暗記して、それに徹底的に従う。部下には服従を強いる。面白味の全くない人物である。
 しかしそのことが、上司には都合がよかった。
 自分の言うことを聞く東條、命じたことを着実に実行する東條ということで篤く用いる一団がいて、その派閥が遂に軍のトップを担う日が来る。そして、本人が望んだのではなく、言うことを聞いて思い通りに動いてくれるという意味で「有能であり、都合のいい」男だから、と東條が用いられる。
 東條なら、陸軍の意見を受け容れてくれるはずだし、戦争に向かう動きに反対はしないだろう。ということ。
 しかし一方では、東條なら「平和を望む天皇」の意を汲んで、戦争に踏み切らないのではないか。そう考えた政治家、反戦勢力もいたのである。
 様々な見方の人間がそれぞれ自分勝手に東條英機に期待してしまう。東條なら戦争しそうだと、海軍も「開戦論」の後押しをするような形になる。
 しかし、大臣になり天皇の気持ちを直接聞ける立場にいたって、「国家として、その言葉を具現しなければいけない唯一の存在」が、戦争に反対であることをはっきり知らされる。東條は、お上の考えをどうしても実現する必要がある、戦争はしないようにしなければと一時は本気で考えるのだ。
 ここで初めて、悩む。政治的に悩むのである。しかし、もう手遅れ。
 東條一人ではもうどうにもならない状況ができてしまう。東條は意見を誰にも聞きたくないし、誰の意見を聞く気もない。12月8日までは努力をして見て、結局戦争に入って行くしかないようになっていく。この「努力」も一貫したものではなく、すでに情報を掴むことができるようになっていたアメリカの策略に吸い込まれるように戦争に突入していく。
 この本では最後まで天皇は戦争に反対であったが、内閣として開戦に決めるのが結論であれば、天皇はもう反対できないのだ。
 
 大きな大きな歴史のうねりが迫ってきて、グググッと盛り上がったときに、そのてっぺんに顔を出してしまったもので、そのまま流れていった。ただ、今になって言えることだが、東條に集中してしまった権力は、戦争をしない方に向けることもできたぐらい強力だったが、彼を権力者にさせた者達は「戦争するために」そうさせたのであった。そんなことを繰り返し繰り返し思いながら、昨今の、いつまでたっても見つからない大量破壊兵器が「あること」を理由に戦争を仕掛ける国のことを思い、その方針に国を挙げて協力する国家のことを考えないではいられない。
 そういう本であった。


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