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110 イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む
宮本常一 著
平凡社ライブラリーoffシリーズ
紀行文
投稿人:頑固堂 ☆☆☆ 04.06.13
コメント:文化を失っていく実感を味わう本、哀しくもある。 |
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素朴にいって、懐かしい日本の姿に興味を持っているならイザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読まなきゃ、と思う。いろいろな意味で、読んでおいた方がいい。
話は順を追って。
イザベラ・バードという女性は、1831年、英国ヨークシャー生まれ。子供の頃病気にかかってしまって、あちこち転地療養にやらされた。それが、アメリカやカナダに行ったというのだから、恵まれた家庭だったのかも知れない。そしてそれがきっかけになって、自分で世界各地を旅するようになった。自分の目で世界を見たいと思い、それを実行したということも素晴らしい。
そして、明治11年の5月に横浜にやってくる。1878年ですよ、時代は明治でも、都市部を離れたらまだ「江戸時代」だと思う。実際、生活している人の実感はまだ江戸のしっぽでしょう。
イザベラは、当時開けていた横浜や東京ではなく、「ほんとうの日本に逃れていきたい(妹への手紙にある言葉)」といって、まだ西欧文明の及んでいない日本の姿を見ようとする。そのために西洋人未踏の地である東北、北海道に向かって歩き始める。その見聞を記したのが『日本奥地紀行』(原題「日本の未踏の土地」)で、平凡社ライブラリーから出ている。
さて、この本はその『日本奥地紀行』をテキストにして、宮本常一が読み解いてくれたなんとも楽しい本である。
宮本常一は、私が勝手に「私の民俗学の先生」と決めた人で、先生にお会いすることはできなかったが著作を通じてその偉大な民俗学の成果を読み、素人として民俗学を楽しんで生きるための礎としている人。
その宮本先生が、イザベラの書いた今から130年ほど前の東北を、民俗学的に解説してくれる。今の日本人が読み取れなくなってしまった日本を、イザベラが通訳一人連れて馬に乗ったり歩いたりして巡り、目にし感じ取ったものを、かみ砕く。当時の東北の風習や習俗を解説してくれる。
そういう本である。
元の『日本奥地紀行』の何が素晴らしいかというと、西欧文明が上で、極東の遅れた文化の国が下という視点がないこと。世界各地を旅してそこに住む人々の生活をみたり、話したり考えたりしてきたあげくのイザベラには、文化に対する上下という見方がない。
アジアの旅も経験したイザベラの目には、圧政に苦しむことがなくなり自由な暮らしをしている東北の人々の姿が輝かしく映ったらしい。人は「勤勉で、素朴で、礼儀をわきまえている」と受け取る。日々重労働をしている人々も「まったく独立独歩の人間である」と記録している。
現代の日本人は、それを聞かされて、どう感じ取ればいいのか。
イザベラが、こんな日本にだけは辟易したというのは「ノミとシラミ」が多かったことで、それ以外のことに文句はいわない。旅する人に親切にするのが当たり前だった日本人については、宮本先生がその背景を解説してくれる。そういう本である。旅行記の面白さと民俗学の味わいが両方楽しめる良著。『日本奥地紀行』に、素晴らしい土地だと書かれた東北地方で、今も旅のパンフレットに、イザベラ・バードが「こういった」と引用している。
イザベラが絶賛した米沢平野(置賜盆地)の「散居村」の光景、こんな風に記している。
『まったくエデンの園である。「鋤で耕したというより鉛筆で描いたように」美しい。米、綿、とうもろこし、煙草、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、西瓜、きゅうり、柿、杏、ざくろを豊富に栽培している。実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカデヤ(桃源郷)である』。
有名な一節だ。
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