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文庫本読書倶楽部
133
三陸海岸大津波

三陸海岸大津波
133 三陸海岸大津波

吉村 昭 著
文春文庫
歴史ノンフィクション

投稿人:cave ☆☆ 06.07.17
コメント:被災者の証言などから、自然の強大さとその対策法を知る。


  京都市で生まれ育ったわたしは、どちらかというと、里山の子である。小さい頃はプールがある小学校もまだ少なく、泳ぎに行くのは夏季のみ川に設営される臨時水泳場だった。物心がついて、初めて海に触れたのは伊勢湾の阿漕浦だったが、波や海の生物に驚きと怖れの連続だったように記憶している。その後、海の持つ底知れぬ広大さと、未知なるものの多大さの虜になってしまい、海から離れた生家の部屋で「海底二万里」や「コンチキ号漂流記」などを読み、大洋に思いを馳せた。

 小学校の高学年になると、毎夏、若狭湾や志摩半島などへ海水浴に行くようになった。大概はリアス式の岬に挟まれた入江の浜に面した宿で、窓からは防潮堤越しに向かい側の半島の稜線が見える。冷房設備など珍しいころだったから、蚊帳を吊り、窓を開け放して眠ると、重厚な波の音のくり返しが耳に入ってくる。翌日の浜遊びの期待と夜の暑さと蚊やりの匂いと波の音で、なかなか寝つくことができず、ふと窓の外に目をやると、夜の入江の向かい側の稜線が、とてつもない高波がやって来たように見えてしまう。一度こう想像してしまうと、恐ろしくてなおのこと眠れない。ひときわ大きな波の音が聞こえると、目を開け、その影が確かに山の稜線であることを確認してから目を閉じる。何度かくり返したあげく眠ってしまうのだが、本書によると、明治の大津波の波高はなんと50メートルに及んだとある。この、微睡みの中で感じた「怖れ」は、ファンタジーの世界の話ではなかったのだ。

 本書の初出は1970年に中公新書、『海の壁-三陸海岸大津波』として刊行された。したがって著者の著作に多く見られる、歴史「小説」としての色合いは薄く、ドキュメンタリー(ノンフィクション)ジャンルの作品となっている。84年に中公文庫化され、04年3月に文春文庫で再文庫化されたものが本書だが、直後の同年12月に巨大津波を伴うスマトラ沖地震が発生したことは記憶に新しい。風光明媚なリアス式の三陸海岸は、地震の多発地帯である海溝をかかえた太平洋に面しており、古来から多数の津波災害を受け続けてきた。史料が比較的豊富に残されている明治以降の災害では、明治29(1896)年(死者26360人)、昭和8(1933)年の大津波(死者2995人)、そして昭和35(1960)年のチリ地震の余波の大津波(死者105人)がある。

 著者は、これら三度の大津波の記録を丹念にたどり、生存する被災者に聞き取り取材をし、あらたな史料も発見して本書をまとめた。刊行の昭和45年当時でさえ、明治29年の津波について語れる人たちは数人しかいなかったという。昭和8年の大津波に関しては、多数の体験談を得られているが、なかでも被災直後に書かれた小学生の作文からは、津波災害の恐ろしさがリアルに伝わってくる。また、地球の裏側からやってきたチリ地震による津波は、近海地震による津波とは全く違った形で押し寄せたので、過去の経験によって培われた予知方法や体験者の感覚を鈍らせてしまい、予防できたはずの被害を受けてしまった。しかし、多大な犠牲を被りながらも、語り継がれた体験は後の予防に確実な成果をあげ、昭和43年の十勝沖地震の大津波では、被害を最小限にくい止めることができた。本書にも、体験者が語る津波の前兆や津波に伴う現象、批難や救援の様子などが記録されており、防災サバイバル書としても次代に伝える価値のある、貴重な記録文学となっている。
 
 現在、美しい三陸海岸の入江は、高さ11メートルに及ぶ大防潮堤に保護されているという。景観問題だけを語れば眉をひそめたくなるようなものかもしれない。しかし、その地に暮らし生計をたてている人々にとっては、それすらも安全を保障してくれるものではないだろう。それほど、津波の威力は強大で凄まじい。著者は防潮堤を「壮大な景観」と記しているが、わたしもぜひ一度、観ておきたいと思った。自然の弩級の力に対抗する、ささやかな人間の抵抗の産物。その精神を宿すものは、一見醜くとも実は非常に美しいものであると思うからだ。蛇足だが、ヒットしたサザンオールスターズのバラードは不謹慎である。愛やの恋やのを唄うのならば、「TAKASHIO」あたりに自重しておくべきだった。


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