●絵葉書セット 夜の京都
「夜の京都」カバー
鴨川に架かる四条大橋東詰から、四条通りを西向きに俯瞰したアングルである。木屋町あたりに聳える「森永チョコレート」の広告塔が目を引く。撮影場所の下の川端には、京阪電車が走り(現在は地下)京都市電と平面クロスしていたので、どちらかといえば西側から撮影して欲しかった。

三代目・京都駅舎
二代目京都駅は大正3年8月竣工の総檜造二階建だったが、昭和25年に焼失。昭和27年、その跡に急遽建設されたのが、この三代目である。駅ビルに京都駅という駅名表示看板がないのが特徴だった。細いタワー部にあったグリルで親父と夕食したのが、わたしの想い出のひとつ。

四条大橋東詰
カバー絵の視点を地表に移したのがこの写真。森永の広告塔が高い!西詰南側には現在も営業する北京料理レストラン「東華菜館」が建つ。矢尾政レストランとして昭和2年(大15説あり)に竣工。東華菜館に変わったのは昭和21年。設計は米建築家W.M.ヴォーリズである。京阪電車の踏切標識のバッテンが写っている。

南座
南座は桃山風破風造りの建造物で、国の重要文化財にも指定されているわが国最古の劇場だが、現在の外観は昭和4年の竣工。鴨川に面した屋上に、ド派手な電飾看板が設けられているところが当時らしい。都市の環境や景観に関する認識も様変わりした。

四条河原町交差点
手前左手に「そば餅・尾州屋」の看板があるので、こちらが西南角。河原町通を北(三条)に眺めた視点だ。ネオン「パンビタン」が見えるが、この日本初の総合ビタミン剤を武田薬品が発売したのが昭和25年。奥には「やわた水泳場」の赤字の横断幕広告が通りを跨いでいる。京都のガキはみんな川で泳いだもんだ。

三条河原町交差点
交差点北東から南を眺めたアングル。映画が娯楽の王様だった。案内看板とネオンの建つ「京劇」も、ボウリング場やゲームセンターになって久しい。さてアヤ美容室は果たしてご健在なのか?まあ自動車やスクーターの年式から発行年を特定するすべもあるが…う〜ん面倒だあ。

新京極・絵葉書宛名面
四条通りから新京極を北に向かって少し入ったあたり。右手に「京都花月」が見える。京都花月劇場が演芸興行を復活させたのが昭和37年だが、写真のディスプレイからは出し物が映画なのか演劇なのか判断できない。のち昭和63年に京都花月は「京都吉本ビル・パッサージオ」に建て替えられてしまった。

三条大橋から望む四条大橋
このアングルだと、現在とそう変わらない風景ではある。左手の鴨川端堤防を京阪電車が走っていたし四条大橋の意匠も変わったが、この無変化はさすが「京都」らしいと言えようか。ただ、河原に点在するアベックの数だけは大いに時の流れ感じさせてくれる。

祇園・八坂五重塔
コピーには「街の灯に浮く五重塔」とあるが、正しくは「街の灯に沈む」であろう。当時はライトアップという発想はなかったはずだ。「夜の京都」と銘打たれたセットにしては、祇園や舞妓の写真が見られないのは負におちないので、やはり「美味しいところ」は家人に使用されてしまったのであろうなあ。

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