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北海道SL撮影旅行・夏/1974.8.1〜8.20

北海道1974・夏

(Canon FTb・FD50mm f1.4/FD28mm f3.5・Ektachrome-X/Kodachrome)
天塩川沿いの線路端に、ふらりと出現したキタキツネ。
('74.8.12 宗谷本線 音威子府〜筬島/50mm KC)

(※旅行経路文中のリンクは「旅の遺跡 part1・蒸気機関車と鉄道趣味」既出ページへ)

[旅行経路]昭和49年
8月1日:大阪→青森 急行「きたぐに」〈車中泊〉
8月2日:青森→青函連絡船→函館 急行「すずらん」〈船・車中泊〉長万部→社台

夏の北海道撮影旅行は室蘭本線・社台から幕開け。
朝靄にけむる社台ファームを行くD51。
('74.8.3 室蘭本線 白老〜社台 D51単・貨4482レ/28mm EX)

夏とは思えぬ冷たい霧雨に迎えられ旅の先行きを案じつつ…競走馬と記念撮影。
('74.8.3 室蘭本線 白老〜社台 社台ファーム/50mm EX)

8月3日:室蘭本線 白老〜社台(撮)2454レ、222レ他
     室蘭本線 沼ノ端〜遠浅(撮)228レ他
     室蘭本線 栗丘駅〈駅舎泊〉
8月4日:室蘭本線 栗山〜栗丘(撮)820レ他
     幌内線  三笠駅周辺(撮)5790レ他
     函館・石北本線 急行「大雪」〈車中泊〉→北見
8月5日:池北線  置戸〜小利別(撮)1992レ
     石北本線 美幌〜緋牛内(撮)574レ
     石北本線 網走〜呼人(撮)大雪5号、大雪52号
     石北本線 美幌駅付近(撮)→活汲

今日も冷雨。国鉄相生線活汲駅付近の小高い丘から放牧場と製材所を背景に。
('74.8.5 相生線 活汲〜上美幌 9600形・貨1791レ/50mm KC)

駅舎で濡れた衣類を乾かす。
国鉄相生線は網走川に沿って美幌〜北見相生を結んだ盲腸線。
('74.8.5 相生線 活汲駅 28mm KC)

相生線終点の北見相生まで足を延ばし、S字カーブの見えるガーター橋で撮影。
('74.8.5 相生線 北見相生〜布川 9600形・貨1792レ/50mm KC)

8月5日:相生線  活汲〜上美幌(撮)1791レ
     相生線  北見相生〜布川(撮)1792レ
     石北本線 美幌駅〈駅舎泊?〉
8月6日:旅程不明 美幌→札幌(観光?)→急行「大雪」〈往復車中2泊〉かも→北見

連日の雨で遂にカメラ内部に漏水。シャープに撮れなくなってしまった。
('74.8.7 石北本線 生田原〜金華 常紋信号場/50mm EX)

蒸機の有名撮影地、急勾配の続く常紋越えにはスイッチバックの信号場がある。
('74.8.7 石北本線 生田原〜金華 常紋信号場/50mm EX)

8月7日:石北本線 生田原駅周辺(撮)1553レ
     石北本線 常紋信号場〜金華(撮)1590レ他
     渚滑線  渚滑駅周辺(撮)
     名寄本線 渚滑〜沙留(撮)
     名寄本線 沙留駅〈駅舎泊〉
8月8日:名寄本線 小向駅周辺(撮)1960レ
     名寄本線 元紋別駅(撮)1960レ
     名寄本線 渚滑駅(撮)1960レ
     名寄本線 上興部〜一ノ橋(撮)1690レ、1693レ、661レ他
     名寄本線 上興部駅周辺(撮)1692レ、682レ他 →深川〈車中仮眠?〉
8月9日:留萌本線 深川駅周辺(撮)5787レ
     函館本線 深川機関区 夜景(撮)
     北炭真谷地専用線 沼ノ沢〜真谷地
     夕張鉄道 若菜〜平和(撮)152レ他
     夕張鉄道 錦沢〜平和(撮)151レ、126レ他
     夕張線  清水沢駅周辺(撮)
     函館本線 岩見沢 急行「利尻」〈車中泊〉→稚内

やっと晴れた!美しい利尻富士をバックに日本最北の地を行く単行DC。
模型みたい。
('74.8.10 宗谷本線 南稚内〜抜海 キハ22形/50mm EX)

翌日はまた天気が怪しくなって強風が吹いた。利尻島はなんとか見えている。
当時のメモを見ると、この写真に『シュールの冷風』というタイトルが(爆)
('74.8.11 宗谷本線 南稚内〜抜海/50mm KC)

8月10日:宗谷本線 南稚内〜抜海(撮)324レ、1390レ、4381レ他
     宗谷本線 稚内駅〈駅舎泊〉
8月11日:宗谷本線 勇知駅付近(撮)1391レ他
     宗谷本線 兜沼〜勇知(撮)4381レ他 →徳満

大気不安定の中、北の大地の弩迫力日没を無茶な逆光撮影。
('74.8.11 宗谷本線 徳満駅付近/50mm KC)

天塩川沿いで、C55牽引の321レを待っていたら、ふらりと出現したキタキツネ。
臆病で、シャッター音にポーンと跳び上がるも、腹は空かせていたようで…。
('74.8.12 宗谷本線 音威子府〜筬島 天塩川に沿って/50mm KC)

8月11日:宗谷本線 徳満駅周辺(撮)321レ他
     〈宿泊地・方法不明〉
8月12日:宗谷本線 神路駅周辺(撮)324レ他
     宗谷本線 音威子府〜筬島(撮)321レ、1396レ
     〈宿泊地・方法不明〉旭川駅で寝たかも?
8月13日:宗谷本線 和寒駅周辺(撮)1395レ
     宗谷本線 塩狩〜和寒(撮)321レ、1397レ、324レ他
     宗谷本線 士別駅構内 夜景(撮)323レ
     〈宿泊地・方法不明〉急行「利尻」で寝たのかも? →浜頓別

オホーツク海から吹き上げてくる冷風雨の中、
神威岬に迫る峻険な斜内山道を攀じ登って撮影。
北見神威岬灯台は遥か下。マジで死ぬかと思った。
この場所の崖上
にて←「思いで鉄道探検団」
('74.8.14 興浜北線 斜内〜目梨泊 9600形・貨1991レ/28mm EX)

『魔の山』斜内山道の崖を下り斜内駅付近まで戻る。
ズブ濡れヘトヘトの記念撮影。
離れて見れば、なんと三脚を立てた辺りは完全に雨雲の中であった。
右は合流したA氏。
('74.8.14 興浜北線 斜内〜目梨泊 /28mm EX)

雨中の登攀で疲労が蓄積したため、浜頓別に旅館を驕った。あー極楽。
「誰や!ワンカップ大関呑んでチェリー吸ってる高校一年生(右)は!」
('74.8.14 天北線・興浜北線 浜頓別 旅館「富士クラブ」にて/28mm EX)

8月14日:興浜北線 斜内〜目梨泊(撮)1991レ
     天北線  浜頓別〈旅館 富士クラブ・泊〉→音威子府

前夜、浜頓別の宿でひさびさに入浴したので、二人ともなんとなく爽やか気である。
('74.8.15 宗谷本線 智東駅/50mm EX)

8月15日:宗谷本線 音威子府駅周辺(撮)
     宗谷本線 智東駅周辺(撮)324レ、321レ →旭川
     石北本線 急行「大雪」〈車中泊〉→網走

オホーツク海と原生花園を背景に、浜小清水駅を行くC58牽引の急行「大雪」
('74.8.16 釧網本線 浜小清水駅/50mm KC)

あいもかわらずの雨。湧網線の荷物列車が網走川を渡る。
('74.8.16 湧網線 網走〜二見ヶ岡 9600形・貨1991レ/28mm KC)

8月16日:釧網本線 浜小清水〜北浜(撮)大雪5号、大雪52号
     釧網本線 北浜駅周辺(撮)大雪回送
     石北本線 網走〜呼人(撮)
     湧網線  網走〜二見ヶ岡(撮)1991レ
     石北本線 網走駅構内 夜景(撮)大雪52号
     石北本線 美幌駅構内 夜景(撮)大雪5号
     石北本線 美幌駅〈駅舎泊〉
8月17日:石北本線 呼人〜女満別(撮)522レ、大雪5号、大雪52号
     石北本線 常紋信号場〜金華(撮)2594レ、1592レ他
     〈宿泊地・方法不明〉北見 →帯広

「愛国〜幸福」の硬券切符が人気となった、広尾線愛国駅にてスナップ撮影。
記念スタンプを手にゴキゲンのA氏(右)。
('74.8.18 広尾線 愛国駅/50mm EX)

8月18日:広尾線  愛国〜幸福(撮)
     根室本線 帯広駅構内(撮)→深川

撮影旅行最終盤になってようやく天気が回復。遅いわ!石狩沼田駅のD614。
('74.8.18 留萌本線 石狩沼田駅 D614・貨1792レ/50mm EX)

8月18日:留萌本線 石狩沼田駅構内(撮)1792レ
     留萌本線 峠下〜恵比島(撮)9782レ、772レ
     留萌本線 深川機関区 夜景(撮)→札幌
     函館本線 札幌→函館 急行「すずらん」〈車中泊〉
8月19日:函館→青森 青函連絡船「摩周丸」
     青森→京都 急行「きたぐに」〈車中泊〉
8月20日:京都帰着

ようやく帰路に。青函連絡船「摩周丸」甲板で記念撮影。
青函トンネルはまだ工事中。
('74.8.19 函館〜青森 青函連絡船 摩周丸/50mm EX)

大阪へ向かう急行「きたぐに」車窓より。
山形県の鶴岡駅では、庄内交通湯野浜線の電車が見えた。
('74.8.19 羽越本線 鶴岡駅/50mm EX)
1974(昭和49)年、北海道の国鉄線では合理化・無煙化が進められ、蒸気機関車は秋のダイヤ改正時にローカル線からほぼ姿を消すこととなった。管理人は当時高校一年生だったが、北の大地のスチームロコを撮影する最後の機会を逃すまいと決意。進学前の春休みと、この夏休みのほとんどを北海道の線路端で過ごすことになった。
大勢のマニアが押しかけたので、同様の行動をされた方も多いだろうが、ご存知の通り、この年の夏、北海道は記録的な冷夏で、雨、雨、また雨の最悪の気象に見舞われたのだ。宿をとる旅費や寝袋すら持たず、20日間有効のワイド周遊券一枚を握りしめ、普通車の車中泊と駅舎の軒下で新聞に包まって眠るのみ、という凄まじい旅程を立てた私には、この冷夏はキツかった。しかし若さとは素晴らしい。風邪もひかずに帰ってこれたのが、不健康中年の今となってはとても信じられない。
鉄道写真は主にモノクロで撮影したのだが、リバーサルカラーフィルムを装填したカメラの方が雨で漏水してしまい、ごらんの通り散々な写真しか残っていない。
撮影した蒸気機関車の写真は「旅の遺跡・part1」の鉄道写真コーナーに順次アップしてゆくつもりだが、今の更新ペースだと、管理人生存中に完了するかどうか、かなり怪しい。
なので今回、こちらの「旅の遺跡・part2」に、スナップ写真と旅程をまとめてみた。旅の記録メモが現在手元にないので、撮影データをもとにウンウンうなりつつ思いだしながら書いた。したがって経路・泊地・方法などの失念があり、鉄道・ダイヤ関係の誤記も多数生じていると思われるが、メモが見つかった時点で加筆・訂正してゆこうと思っている。
一緒に写っているAさんは、高校の一学年先輩。往路と復路を同行したが、道内ではそれぞれ単独行動し、あらかじめ申しあわせておいた日時場所で合流、また別れるを繰り返した。ケータイなんぞない時代、再会の喜びは現在とは比べ物にならないくらい大きかった。
なお、Aさんは後年、不運にも航空機事故に遭遇され異国の地で亡くなられました。ここに掲載させていただくにあたり、あらためてご冥福をお祈り申し上げます。
北海道SL撮影旅行・夏/1974.8.1〜8.20
(Canon FTb・FD50mm f1.4/FD28mm f3.5・Ektachrome-X/Kodachrome)

2005.10.31記

photograph171974.8.1〜20
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