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―公園を訪ねて―
東京・石神井公園
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公園の昼下りである。
人影はぽつぽつ。雲はひとつとしてなく、穏やかな練馬の冬の午後である。
あたらしいコートに身を竦めるようにして、池のほとりのベンチに腰掛けている。 |
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昨日、注文してから二か月程たって、やっとフィールド・コートを手に入れた。早速、それを着てここに来てみたのだけれど、ぼくはもともと、こういうゴワゴワした風合いのものは、性に合わないのである。
ソフトな安物のジャンパーの方が好きなのだ。
ただ、といっても、こういう類のものをいままで着たことはなかったので、野外向きに作られて進歩してきた結果これになったのであれば、これから着込んでゆくうちに、有難みが解ってくるのかもしれない。
良くなってくれなければ、困る。ぼくにとっては、かなり贅沢な価格だったからだ。
とにかく、ゴワゴワは御免してほしい。はやくヘナヘナになってほしい。
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東京に来てから、公園と呼ばれるところへ何回行ったかは覚えていないけれど、せいぜい五か所ぐらいだと思う。
その中のひとつ、砧公園は、ぼくがいままで認識していた公園のイメージとは、まったく違うタイプの公園だったので、驚き、気に入って、休日にはしばしばでかけていった。
サキソフォンを買ったのも、住まいのほど近くに、そこがあったからである。
とにかく、広いと思った。
広い芝生が続いている。芝生のそこここに、うまく林のような樹木を配置してあって、向う側が見えなくなっている。木の所までたどり着くと、そのまた向こうに広い芝生がひらけ、林が見える。この樹々の向う側にもまた芝生が広がっている。
こういう樹々の配置のしかたが、砧の公園を広く感じさせるのだろう。
ぼくが京都という特殊な都市に育ったせいもあるだろうけれど、京都にはこういう、ただ広い公園はない。奈良には開けた緑地が多いのだが。
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いまぼくは一つのことに気がついた。
目の前に石神井公園の池がある。カイツブリや、アヒルが泳いでいる。
この公園には、違和感はない。広さや奥の深さはあまり感じない。また、驚きもない。ここも、結構広い公園なのに。
要するに、落着けるのである。ゆっくりできる。
ぼくのイメージにある『公園』は、ここのように形が細長いことが普通であったのだ。
細長い公園、または四角くても真ん中に池があったりして、回廊型になっているもの。つまり、歩いていける所があまり左右に自由でなくて、自然にコースが決まってしまうような公園である。桂や修学院の離宮もそうである。
そういう風な手の入れ方をしてあるのが、ぼくにとって普通なのだ。 |
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世田谷・砧の公園(緑地)は、何の変哲もなかったけれど、大きくて四角かった。そして中央に池がなかった。
歩き方によっては、回廊のようにたどることもできるけれど、どの方向にも自由に動ける。
それだけ『自然』に構成されているのかもしれない。
今後、公園を散策するとき僕は四角いかたちをしているかどうかに注意して歩こうと思う。
四角くて、全体が見わたせないほど広い公園。
これが、僕をノビノビした、新鮮な気持ちにさせてくれるのだ。
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石神井公園は、細長いかたちのうえに、中央にも横長の大池がある。僕にとってはドキドキはしないかわりに、落ち着くことのできる公園なのだ。
のんびりベンチに座っていられる公園は、京都に育った僕の『素質』をあきらかにしてくれる。
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森での野宿は、まわりは四角くとてつもなく広く、そして焚火の場所となる雑木林の中では向こう側の開けた風景は見えない。僕がどうしてもよそ者のような気持ちから抜けだせないのはそのせいなのかもしれない。
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日本のなかでいちばん僕をドキドキさせ、落ちつかせてくれないであろう場所が四角くて大きなところだとすれば……
北海道でしょう、多分。
石神井公園のベンチで、そんなヘンなことを考えてしまった。
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(了)
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