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13 幕末・維新江戸庶民の楽しみ
青木宏一郎 著
中公文庫
投稿人:cave ― 00.08.03
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江戸末期、庶民たちが何をして“遊んで”いたのか?を面白おかしく読ませてくれることを期待したのが本書を手に取った理由だが、以前からこのテの文庫や新書はそこそこ読んできたオレには、あまり新しい発見が無かったばかりか、お堅い学者論文風だったので、ちょっとがっかりした。
だいたい庶民のほんとうの楽しみ、ちょっとした遊び、のたぐいは、なかなか史料として残されることが少ないのは昔も今も同じだ。昨今、お宝発掘だ、なんだと歌手やタレントのデビュー時の水着ピンナップを載せた雑誌等がもてはやされているが、これとて、みんな史料的価値を感じずに読み捨てていくものだから、希少感が出る。ちょっと凝り性やヘンな収集癖のある輩しか、そんなもの残さない。(オレは若干は残しているほうだ。そのうちこのサイトのネタが尽きだしたらヘンなガジェットものとして、公開してゆくかもしれない。)実家が蔵のある大屋敷で、母親が何でも残したがるタイプだというような特異な条件が揃わないことには、この世から消滅してゆく。ウチは全くその正反対の家なので、まだ実家に残っている、と信じ込んでいるオレは「甘い」のかもしれない。
たとえば子供の頃、町内のガキ連と「下駄隠し」なる遊びを盛んにやったものだが、その「オニ」を決めるときに唄う数え歌があった。これなど、歌詞を書いた紙などがあるわけがない。下駄を隠して面白いくらいの庭のある屋敷が駐車場に変わった時点で、だれもその遊びをしなくなった。遊びをしなくなると、歌も歌わなくなるので、歌いつがれることも無くなり、我々の記憶から消えた時点でオシマイとなる。
博徒のする博打のルールなんかもそのきらいがあるようで、どんどん忘れ去られてゆくようだ。この辺りは文書化するとヤバイものでもあったろうし。ここは、コワモテ系作家連中の記録作成に期待するばかりだ。
それが江戸庶民の、となるとなおさら残すのは困難だろうから、記録が少ないのは当然だ。しかし、その記録が「聞き書き」や「語り継がれた」風俗の様子であれば、興味深い読み物になるのだが、本書にはあまりそういう方面からの記述がない。基本的に「年表」からの拾い上げが主流なので、人間が息づかない。「江戸名所図会」などの図版も掲載されているが、サイズが小さいために内容がよく読み取れない。これらの図版が大きく載せてあれば、それをじっくり見つめてゆけば、文章や数字で綴るよりも数段庶民の暮らしぶりを、表情や仕草や背景から読み取れるのに、これも残念。
結局、オレの興味ある部分を満足させてくれるのは、このタイプのセンセイの論文ではなくて、落語家、講釈師、武道家、小説家等の、芸混じりの一文や当時の浮世草子等なのだなあ、と頭を掻いた始末。まあ、たまにはこういうこともあらあね。
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