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文庫本読書倶楽部
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三人寄れば虫の知恵

三人寄れば虫の知恵 54 三人寄れば虫の知恵

養老孟司・奥本大三郎・池田清彦 著
新潮文庫
昆虫話鼎談集

投稿人:cave ― 01.08.17
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 登山愛好家を「山屋」と称するように、昆虫好きの人を「虫屋」と称するのだそうだが、この「屋」が付く趣味とそう呼ばれる人は、何となくタダものではない語感を漂わせている気がする。単なるマニヤではなく、一歩も二歩も深いところで「悟り」の境地に達しているような風情を感じてしまう。人間的に尊敬できる人物、てな雰囲気を含んでいるように感じる。ロクな輩がほとんどいないと私が思っている「釣り」趣味において、「釣屋」と称される人物を聞いたことがない。「釣りキチ」とか「釣りバカ」ならよく耳にするけれど。
 いきなり話しがそれてしまったが、本書はその「虫屋」の本邦きっての「大御所」ご三方の鼎談集である。
 養老先生は解剖学者。多数ある著書中、内容の簡単なものは愛読させていただいているが、そのユニークな文章は、頭の悪いシロートの私にも、科学の世界への興味を強く喚起させてくれる。本書では、奥本・池田両氏の熱談に絶妙のツッコミとボケをかまして「フフフ…」と去ってゆく、往年の「横山ホットブラザーズ」の親父さんのような役回りが何ともシブイ!池田先生も生物学者で、当コーナーに登場した「アリはなぜ、ちゃんと働くのか」の訳者でもある。奥本先生は日本昆虫協会会長の仏文学者。どなたもスジガネ入りの「虫屋」である。

 私は「虫屋」などという高尚な域には滅相もないのだが、ガキの頃の夏休み自由研究の定番は昆虫採集だったから、蝉、甲虫、蝶、トンボ、バッタなどの標本は熱心に作成したことがあり、不器用ながら凝り性なこともあって、各品種に合わせて、竹屋の店先で竹を選んで買い、布と針金で専用の捕虫網を作るくらいのことはした。セット売りの「昆虫採集セット」の注射器やピンセット、薬剤のボトルを眺めて悦に入っていた経験はある。セットに同梱されていない薬剤を単品で購入するのもマニアックな楽しみがあった。ところが最近では、「ああ、今年も蝉が鳴いているなあ…」なんて想う程度に興味が退いてしまっていた。息子の質問にも答えねばならないので、昔の記憶を掘り起こす意味も込めて「虫関係本」に手がでてしまった次第である。それでも、公園でしゃがみ込んでアリの巣をじっと眺めていて、「何をなさっているんですか?」などと質問されることは今も良くある。もっとも、今の私は高尚な「虫屋」のほうではなく、文字通りの「金魚屋」に近い生活になってしまってはいるのだが。
 
 さて、今回も恒例の拾い読み。

「動物愛護とセンチメンタリズム」
 鳥やクジラなどに顕著な「採るのはかわいそう」という風潮に対する先生方のご意見が興味深かった。このセンチメンタリズムが人間を「自己家畜化」して、「大人」を幼児化させていくという話だ。犬はもと狼だったのが、家畜化され、顔が丸く短くなり耳もたれてきたのは、子犬の形のまま成獣になっているのらしい。ようするに頼りなくなってきているのだ。「個体数が多いのなら採ってもいいんじゃないか」という考えが否定されるのもこの「幼形成熟」なのじゃないかというハナシ。もっとも「昆虫」はその繁殖力がズバぬけて高いので、網で採る影響など微々たるものだということも話されている。

「古くから文明が栄えたところには虫がいない」
 中国の都市の近くには徹底して虫がいないのだとおっしゃる。そして、中国の本には虫の記述は出てこないんだという。これは意外だった。要するに、古代からの連続した人工化が虫を駆逐してしまったわけで、インドやギリシャなども同様だそうだ。乾燥した地域の木を伐ってしまうと駄目になる一方で、自然回復が難しい。その点日本は温暖で、雨が降り陽も照るので砂漠化はしないようだ。あの悪名高いゴルフ場も、放っておけばすぐにブッシュになってしまう。そういう意味では恵まれた国であることは確かだ。

「日本の虫のすがた」
 こんどはデザインのこと。虫に限らず、図鑑などを見ていると外国産のものはやはりどこか「バタ臭い」。海産のものは海が繋がっているからそうはっきりとはいえないが、色にしても柄にしてもカタチにしても、なんとなく違和感が来る。世界を股にかけて網を振っておられる先生方も、そうおっしゃる。ブータンで虫をみて、インドから来たやつだと何となくわかる、というからヘンなものだ。フランスの虫は中間色で洗練されている感じを受けるそうだし、南米の虫は何となくリオのカーニバル風だ、というのも頷ける。植物相と人間と、昆虫相はパラレルだ、というお話。奥本先生は、日本のはなんか「しっとり」してる。という表現だが、これは私も同感だ。生物に限らず、ひと昔前のプロダクトデザインなどもそうだった。クルマなんかはもはやゴチャ混ぜだが、蒸気機関車のデザインなんかにも如実に海外との違いがあった。なんか「しっとり」して好きだった。犬の顔もそうですね。ただ、犬や人(日本人)の顔に「しっとり」は勿体なくて「情けない」のほうが近いような気もするが。

「虫を食って生きる」
 養老先生は人類は「食虫類型」だとおっしゃる。なにせほ乳類は顎が弱い。だからマンモスやシカなんかを仕留められるようになるまでは虫が貴重なタンパク源だった。日本では今でも信州を中心にイナゴやザザムシは食されているし、西丸震也さんはカミキリムシの幼虫は驚くほど美味いとおっしゃっている。しかしナマではやはり不気味だし、なにもかも佃煮系の料理法なので味の個性が乏しい。環境破壊を食い止めるには農耕を捨てて、自然のサイクルのなかに人間が戻ることがいちばんだそうだが、そのためには地球の人口を100分の1くらいに減らさねばならない。でも、他に美味しいものがあるかぎり、虫を食って生きようと思うのはちょっと難しそうだ。

 まだまだ興味深いお話や笑えるお話は山ほどある。特に最近のDNA研究の急速な進歩で、分類や進化の考え方が劇的に変わりつつあること。どうやら標本箱に並べるために捕虫網を振って虫を追いかけることの意味も変わって来そうなのだが、このあたりの話になると私の理解力と作文で感想を述べるには荷が重い。なので、興味を持たれた方はどうぞ本書をご覧くださいますよう。文中話題の虫は原寸大の写真付きですぞ。


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