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文庫本読書倶楽部
56
バッドラック・ムーン

バッドラック・ムーン上バッドラック・ムーン下 56 バッドラック・ムーン[上下]

マイクル・コナリー 著
講談社文庫
海外ミステリ

投稿人:コダーマン ― 01.09.10
コメント:
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 この春、講談社文庫出版部の友人が「マイクル・コナリーとったよ」と言った。それに答えて「え、ボッシュシリーズ?」と、私は聞き返した。「ん、ノンシリーズとあとボッシュも」と言った。
 マイクル・コナリーが書く、ハリー・ボッシュという刑事を主人公とするシリーズが扶桑社文庫でずっと出ている(5作)。『ナイトホークス』に始まる、ヴェトナム戦争の後遺症を心に抱えるボッシュ刑事シリーズは、世間で売れているかどうかは関わりなく、私には非常に面白い警察小説で、常に「次が楽しみ」。無条件で買うことに決めている。caveさんに言っておくけれどね、このハリー・ボッシュシリーズ、ミステリの読み手としての力量を計るのに最適のシリーズですよ。基本的に非常に面白いんだけれど、読者にとても負担をかける、また、どの本でも主人公が非常に大きな負担を追わされるので、辛くて辛くて「どうしてこんな思いをしてまでこの本を読まなきゃいけないんだろう」と、思ってしまう。それでいて、その読んでいて苦しい分が「コク」になるんだろう、読み終えると、いいミステリ読んだなぁとつくづく思うんです。
 そのマイクル・コナリーを講談社の友人がとったと言うのだから、ボッシュシリーズを今後講談社から出すことができるようになったという意味だと思ったのだ。それはそれで正解ではあったが、ノンシリーズ作品もひとつあってそれをまず出すことにしたと教えてくれた。この著者は、シリーズ作品の間にノンシリーズを挟むようなローテーションで書いているようだ。単発作品は以前にも読んでいて、MWA賞受賞作『ザ・ポエット』(★3つ)がそれである。これはものすごく面白かった、どうして日本で話題にならないか不思議である。

 これまでひとつのシリーズを翻訳して出し続けている出版社から版権を奪い、シリーズ途中から自分の社の本にして出していくということが、どういうことなのかはわからないが、いずれにしたって、扶桑社より高額の契約を申し出たと言うことだろう。講談社が、そうするだけの価値がある作家だと思えばいい。なに、こっちはただの読者である。出版社同士の戦いは気にしない。読んで楽しんでいればいいのだ。

 さて『バッドラック・ムーン』。
 癖の強い、心にわだかまりを持つボッシュ刑事に慣れているもので、勝手に主人公は男と思い込んでいたが、このミステリでは女窃盗犯、キャシーが主人公である。
 十数年の刑期で刑務所に入れられていたが、お利口にしていたので仮釈放で出てきて仕事をしている。今、中古車のディーラー勤務という案外真っ当な職業に就いているが、そろそろ、どこかで別の「優雅な」暮らしを始めるだけの稼ぎを、「本業」で手に入れたくなってきた。
 それというのも仮釈放中なので、一定期間をおいて仮釈放監察官のところに顔を出して、現状報告が義務づけられていたり、監察官が突然家を訪ねてきたりという、うんざりする日常から逃げたいのである。他にも、州境を越えてはいけないだの元犯罪者には、負担が多い。精神的にもいっぱいになってきてしまった。それから逃げ出したいのだ。 そこで、刑務所に入れられる原因になった前の事件の時に組んだ相棒の兄弟に、仕事はないかと相談を持ちかける。あれこれ注文をつけなければあることはある、とは言われ、色々ややこしい条件はあってもさしあたってそれしか仕事がないのだから、選り好みをしているわけにはいかない。
 ということで、キャシーは窃盗をすることになる。
 現場は、前に捕まった時と同じラス・ヴェガスのホテル。同じホテルだから、キャシーは、また捕まるのではないかと、かなり心が揺れる。
 今時のホテル、今時のギャンブル場はテレビの監視装置がしっかりしているし、金の管理も徹底している。狙った相手の部屋にはいるための鍵も「合い鍵」を作るというようなことのできないカード式で、ホテル内部に協力者がいない限りどうにもならない。協力者がいる上で細かな手続きが必要で、様々な電子装置も用意しなければいけない。しかも、ホテルの中ではどの角度から自分の姿を見られるかわからない。前の仕事の時の記録が残っているか、その時に監視の仕事をしていた者が今でもいれば、監視テレビでチェックされただけで正体がばれて厳しく監視を受けるかも知れない。つい、自分の方に向いているのではないかと気にして関しカメラ方向に顔を向けてしまいそうになるが、それをやったら、危険が増す。不自然な行動をしないように、かといって、そう思うとかえって不自然になってしまう、そういうハラハラを乗り越えて、仕事を実行してしまう。狙う相手の泊まっている部屋に忍び込んで、小型監視装置を設置して、近くの部屋で待機して相手の行動を監視、眠り込んだことを確認してから、細工をしておいたドアを開けて忍び込む。極薄のゴム手袋をして全ての道具を組み立てるなど、科学捜査に対する窃盗の対策は今やかなりしっかりしていないと駄目らしい。
 何日かホテルに滞在して、ギャンブルで大金を稼いだ人間の金を奪う。殺しはしないで、きれいに金だけをいただくつもりである。ドキドキ・ハラハラの末に窃盗は成功するのだが、思わぬ事態が発生している。
 次の朝、被害者の部屋にホテルの支配人が行ってみると、被害者が殺されている。しかも、その被害者が持っていなければいけないアタッシェケースが失われている。殺人事件が発生したことを公にすると、ホテルの評判が落ちるので困る支配人は、雇っている探偵にこの事件の捜査を命ずる。
 何が隠されているか知らないが、支配人が自分一人で朝の客室を訪ねるというところに、怪しい背景があって、被害者が持っていたアタッシェケースに入っていた物は、支配人には絶対必要な物だったのである。それを失うことは、自分自身が組織に消されてしまうことにも繋がる。雇いの探偵に甘い条件を持ち出して「何とか犯人を捜せ、持ち去られた物を取り返せ」という。
 探偵は探偵で、この機会に大金を握って、トンズラしてしまいたいと計画する。こうして、それぞれに思いを異にする人間が追いつ追われつという状態になる。
 これ以上はミステリの性格上、言いにくい。
 逃げるキャシーには、女性らしい秘密があり、腕のいい窃盗犯のわりにはナイーブなところがあって後半に行くにしたがって、読む者の気持をつかんでいく。探偵は、まったく性格の悪い奴だが頭が切れるので、支配人を騙しつつ、犯人を捕まえてからどう逃げるかを計画してあくどいことをし続ける。その、探偵に弱みを握られているように見えている支配人も、案外な人物で、保身だけの人間ではない。
 甘い部分がほとんどなく、大勢の人間が出てきていながら、無駄な人間がいない。特に下巻に入ってからはローラーコースター・ノベルで、止まらなくなってしまう。事件の全貌が見えるまで、登場人物の心の中がわかるまで、かなり時間を要するという「ミステリの基本」に耐えられる人には、満足がいくと思う。
 上巻の後半に少し退屈な部分がある。どの登場人物もきちんと個性を見せ、みごとにできている。窃盗犯を主人公にして、作家はどう話をまとめるか、という気持があったが、こちらの予想を「上の方に」裏切ってくれた。
 しばらくぶりの、犯人が主役のミステリ、悪くない。


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