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72
木戸の闇裁き―大江戸番太郎事件帳

木戸の闇裁き―大江戸番太郎事件帳 72 木戸の闇裁き―大江戸番太郎事件帳

喜安幸夫 著
廣済堂文庫
時代小説・人情捕り物系

投稿人:コダーマン ☆☆ 02.04.01
コメント:思いがけない主人公で、味のいい小説。


 この文庫本には「大江戸番太郎事件帳」という副題がある。本の表紙には、四ッ谷左門町と文字の入ったぶら提灯を持つ人物が描かれている。
 さて、この「番太郎」はどういう役を担った者だったか。
 江戸時代の江戸の町は、夜になると町内ごとに作られている「木戸」が閉められ、自由に歩き回ることはできなくなる(だから、テレビの時代劇はかなり嘘になってしまう。それ以外にも嘘は多いのだが)。そういうことで、役人と産婆が通れるだけ、ということになっていた。その木戸を閉めて朝までそこで番をしているのが木戸番。
 番太郎と呼ばれるのは、これである。もちろん役人ではなく、だいたいは町内の鼻つまみか、そういうことでもやらせておかないと何をしでかすかわからないような奴、である。そういう男を抑えておくために押しつける感じが強い。しょうがない番太郎でもさせるしかないか、というところ。「番太!」と、蔑まれて呼ばれる。十手持ちの岡っ引きにあごで使われる。この岡っ引き自身が、正式な役人ではないから、それにたやすく命令される番太郎は、どうにも惨めな存在ではある。十手持ち、与力、同心などという人としばしば顔を合わせなければいけないわけだが、木戸番に注目するような人は基本的にいない。その程度の存在なのだ。木戸番なんかに気持を向ける人は少ない。
 一般的に番太郎が主人公になった時代小説は少ない。稀、である。北原亞以子さんの深川澪通りの木戸番シリーズがある程度だ。これは世話物の名作、読んだ方がいい時代小説である。ぜひ、おすすめ。
 さて、この小説の木戸番は、毎日の木戸番としての仕事をただ無事に果たして、静かにこの町で暮らしたいと思って生きている。静かに暮らしたいと思う主人公には、それなりにわけがある。そのわけがが少しずつわかってくるという話の展開。だからここには、そのわけを書かない。
 
 四ッ谷左門町というのは内藤新宿に続く街道筋にあって人通りも多く、武家屋敷もあれば町屋もあるし多くの寺もある。だからその、木戸番として役を果たす範囲にちょっとした事件がしばしば起きてしまう。これを、誰にとっても不満のないようにそっと始末をつけているのが主人公。いや、悪さをする若い者などにはきっちり物の道理を教えるような人物だが、その世事の裁き方のいいことや、腕力沙汰になったときに見せる鋭い動きに、この一帯を預かる十手持ちが不審を抱く。
 ただ者ではないな、となる。
 十手持ちはまた、おおよそはろくな者じゃなくて、事件が起きたらすぐに駆けつけて内々に済ませるからと金をせびる。もっとも、それが当たり前の江戸時代だったことになっている。軽い傷害事件のような場合でも、奉行所にいって事件の決着を付けなければなくなると、関係者双方の町役だ名主だ、大家だといった面々が全員顔を揃えて奉行所に出かけ、連日のように取り調べを受け、その費用を当事者が払うの、誰が持つのということになってしまうらしい。裁断まで非常に長い時間がかかる。日々の手間賃で暮らしているような者にとっては、連日奉行所に出かけること自体がもう暮らしに響いてしまう。お店がかかわると、そこの主人を含めて呼び出しを食うわけで、調べだといって役人に店先に立たれでもしたら、長く商売に障ってしまう。そういうことにならないように済ますために、町内に縄張りを持つ岡っ引き、いわゆる十手持ちに、内々に済ますために金を渡すのが普通で、彼らがそれなりに始末を付けて、その世話賃で生きていたわけだ。
 そういう一人に、静かに暮らしたい木戸番は目を付けられてしまう。
 四ッ谷にある寺で寺男をしていたが、坊さんの紹介で木戸番になったというが、その寺男になる前はどうだったのか。十手持ちがいくら調べ始めても、寺男になる前が、全然わからないのである。番太郎は過去を知られたくない。調べてももらいたくない。
 静かに暮らしたいのに、四ッ谷左門町界隈ではだんだん評判の番太郎になっていく。と、同時に多くの人に頼られるようになってしまう。注目されると困る、と本人は思い続けるが、ますます岡っ引きの注意を引いてしまう。
 そして、大きな事件が起きて、その下手人が番太郎と関係があるような気配を感じ取った十手持ちと番太郎のやりとりが緊迫して話は盛り上がっていく。


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