アメリカ彦蔵 |
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95 アメリカ彦蔵
吉村 昭 著
新潮文庫
歴史小説
投稿人:cave ☆☆ 03.03.10
コメント:彦蔵の生涯に添って日本の開国と欧米の動きを時系列で理解する |
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史実を丹念に調査し、落ち着いた視点から客観的に主人公の生涯をたどってゆく吉村文学。その淡々とした文体のリズムはレールの上を走る轍が刻む音のようで、わたしには非常に心地よいものがある。この彦蔵という素材は、小説としてドラマティックに脚色されるようなタイプの人物ではなかったようだ。しかし幕末から明治に至る開国の諸事情と同時期の海外事情に密接に関連していることから、彼の生涯に添って時代を眺めてゆくと、当時の日本と米英、香港や清国の状況を同時系列で捉えてゆくのに非常に理解しやすい。そういう意味では、演出を廃し史実のみを的確に辿る吉村昭のテイストで書物化されるのがもっともふさわしい題材ではないだろうか。
嘉永三年、播磨の浜辺の村に生まれた彦太郎(のちの彦蔵)は、十三歳の折り母親を亡くし、大型回船の船頭の義父の勧めで見習いの水主として船に乗り込むが、大時化に見舞われ漂流する。氏の作品には「漂流」をはじめ、江戸末期の難船漂流のようすを描いたものが多いが、本作でも、当時の船乗り達が大波と闘う様子が描写されていて興味深い。欧米の外洋船舶がすでに水密甲板を採用していたのに対し、日本の船にはその技術がなかったので、波を被ると簡単に船底まで水が進入してしまった。幕府が鎖国政策のために大型船の建造を禁止していたこともあろうが、難船が続出しているのに神仏に頼るばかりで、技術的な改善ができなかったところを見ると、日本人はこういう基本的な発想の分野は、当時から得意ではなかったようである。
遭難死に直面した彦蔵ら一行は、運良く偶然通りかかったアメリカ船に救助され、サンフランシスコへ渡る。ここから漂流民たちはおのおの帰国への努力をし、様々な経路・方法で日本に戻るのであるが、彼らが米国や香港、上海等に滞在している間にも、驚くほど数多くの日本人漂流民が救助されて彼らの前に現われる。著者はそのひとりひとりを結末まで丹念に調査し、文中に記している。まさに吉村昭の真骨頂というところである。彦蔵周辺だけでもそれほどの漂流民があらわれるのだから、救助されずに行方不明になった船乗り達が、かなりの数に上ったことが想像できる。
一行のなかで最年少であった彦蔵は、英語の理解力が優れていたこともあり、米国の名士たちに可愛がられ、さまざまな恩恵をうける。ニューヨークやワシントンに随行して、三代にわたる大統領と握手をしたり、南北戦争時のアメリカに肌で接したりすることになる。彦蔵はハリス率いる「ミシシッピー号」で神奈川の領事館に通訳として帰国するが、動乱期なので攘夷派のテロが横行した。アメリカ国籍に帰化しキリスト教の洗礼も(ジョセフ・ヒコ)受けていたこともあり、彦蔵は身の危険を感じて再度渡米する。戻ったアメリカは南北内戦のあおりで荒んでいたので失望し、幕府崩壊後、治安が安定した日本に通訳の職を得て再び帰国する。
この人物、頭脳は明晰で語学力には長けていたようだが、非常に慎重・臆病な性格で、積極的に発言したり、運命を自ら切り開こうと努力することがない。消極タイプのA型だったのかも? 人の助言や時の流れに任せて漂ってきたという印象。ところが、ツキには恵まれていたようで、大した苦労をすることもなく職も名誉も得ている。英語が理解できるだけで両国からこれほど重用されたのも、単にタイミングが良かったことに尽きる。両国の国情に関しても深入りすることもなく、傍観の態度を決め込んでいる。日本で最初の欧米風の「新聞」を発行したことで名を残したが、その新聞も強い信念やビジネス感覚を伴ったものではなかったので、さほどのインパクトはない。凡庸な本人のまわりで勝手に歴史が「激動」しただけ、という印象である。「アメリカ彦蔵」とは名乗っていても、いかにも日本人的優柔不断で影の薄い人物の生涯であった。
現在佳境に入ってきたイラク問題(03.03.09現在)。下手をすれば来週にも戦争突入か、という状況だが、国際関係のなかで「戦争は反対。米国には追従」という、わけのわからない日本政府の態度が、日本人「アメリカ彦蔵」の煮え切らない生涯に重なって見えてしまった。
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