おかやどかりの飼育

34話
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夏ヤド舎〈改〉 〜偏屈旦那のつぶやき〜

↑メンテの間は、苦手な行水&日光浴で時間潰し。(05.07.15撮)


 夏限定・陸ヤド舎をマイナーチェンジした。ヤド六姐さんも粗目のサンゴ砂敷きは、ゴツゴツした風合いがお好みではないようだったが、保湿性が悪いうえ、やはりメンテがしづらい。大きな粒の隙間にウンチが落ち込んでしまい、ピンセットでの糞取りにイライラさせられるのだ。ま、わたしの老眼がイライラの大きな要因なんではあるが。つうわけで仮設ヤド舎に敷いてある中目サンゴ砂と総入れ替えしてやろうと、粗目サンゴ砂を水槽から取りだしたのだが…。そこでズボラ心がむくむくと沸きあがってしまった。「もう水槽に直接砂を入れるのは面倒だナ〜」である。流木を取りだし、ロフト寝床とバスルームケースを取りだすのはユニットなので楽ちんだが、当然その跡地にサンゴ砂がパラパラとこぼれてゆく。これをキレイに取り除かねば、メンテ後、寝床などのユニットを元の位置にピッタリと置けないのだ。ああ面倒。そこで簀の子や砂を全部取りだしてしまい、別のプラケに中目サンゴ砂を申し訳程度に敷いて、全部カセット化してしまった。へへ。

 これで水槽の高さを最大に使えるようになったので、流木をもう一本プラスしてやることができる。ただし水槽内が非常に乾燥しやすくなるので、湿度の管理は十分注意してやらねばならない。またやたらとプラケースばかりになったので、ヤド六は足場が滑って大変そうである。飼い主のわたしにとっては「改良」と言いたいところだが、ヤド六にすれば「改悪」ということになるのであろう。どこぞのオーナー会議みたいなもんか。ま、これも夏の間だけ、それも永いお付き合いがあり、顔色を読めるヤド六姐さん一匹だからできるズボラ飼育である。二匹以上在宅ならやりまへんわ。


↑ますますプラケースだらけになった、夏ヤド舎・改(05.07.15撮)
「す、すべる!」

 夏ヤド舎・改良(悪?)形

←水槽に砂を直接入れるのはヤメに。プラケースのユニットは4つに増えた。これで流木とユニットを取りだすだけで、簡単に水槽の丸洗いができる。
←左端はロフト寝床(サンゴ砂細目)。その隣の小キューブにはガジュマル挿し用三角フラスコを粗目サンゴ砂で埋めてある(階段兼用)。中央下の細長いプラケは中目サンゴ砂入り。右端は粗目サンゴ砂敷きバスタブ(兼水飲み場)。
←中央部の中目サンゴ砂は1〜2cm厚に敷いて、たっぷり湿らせてある。それに差し込んである流木が、ここからも水分を吸い上げて湿り、蒸発させる。中央奥の空きスペースに流木をもう一本設置した。
←プラケも流木もないスペースは、水槽の底がそのまま露出している。このままでも良いのだが、ヤドカリが滑って難儀するのもかわいそうなので、脱臭効果も期待しつつ備長炭をコロガシてある。


 偏屈旦那のつぶやき…

 ヤドカリは、ペットと呼べるのだろうか? ペットとは、飼育者である人間とある程度の相互コミュニケーションを行なうことのできる生き物ではないのか。飼われている生物が、特定飼育者から生きるために必要なモノを与えられていることを認識できて、はじめて利益の依存関係が成立する。犬猫はもちろん、ウチで飼育している金魚でさえ、飼育者個人を認識して餌をねだる。飼育者に対して意志を発信してくるのである。この相互関係があってこそのペットなのではないかと思うのだ。ヤドカリは飼育者の存在など気にもかけずに(まあ恐ろしいモノとは認識しているようだが)餌を与えられていることすら認識せずに生きている。飼っているこちらは、喰って栄養にするのならともかく、「癒し」「安らぎ」「好奇心」なんてものを満たすために、余計な世話を焼いているだけで、そのヤドカリの生きている証しについては、全く配慮してはいない。だから恩も知らずに必死に脱走する(笑)。ま、あらためて人間の身勝手さを痛感するのであるが、相手も生あるもの、命をぞんざいにするワケにもいかない。

 ムラサキオカヤドカリの「ヤド六」を飼い始めて6年が過ぎ、そろそろ7年目に入る。その間(まあ局ヤドが越冬に訪れた年もあったけれど)ヤド六はずっと一匹きりである。とりたてて愛情を込めて育てているわけでもなし、最も重要な趣味というわけでもない。特にヤドカリを始めとする無脊椎動物に関しては、「かわいい」と思うこともほとんどない。見ていて、「アホやなあ」と苦笑するのは、毎日のようにあるけれど…。脱皮という困難な大仕事をこなしながら成長する生き物なので、いつ失敗死するかは予想できないし、完全に防ぐ方法もないと思っている。なので、飼育下での死については全く「かわいそう」とは思わない。いつまで生き続けるかは、ヤド六の精進しだいである。ただ、ひとつ気にかかるのは、この旦那、姐さんを囲いモノにして、その生き物の生きている証しである「繁殖」の機会を奪ってしまっていることだ。

 餌をねだることもしない甲殻類との関係なんてのは(昆虫、両生類、爬虫類も同様だが)、観察者と飼育下生物という、実にあっさりしたものにすぎない。ミトコンドリアから人類まで、おしなべて生を受けた後の最大の使命は、『自分の遺伝子を後世に残す』ことであるからして、ヤド六も(ヒトもなんだが)その使命のために日々真摯に生きているのであり、メシも喰っているのである。天命である繁殖行為がヒトによって遮られてしまうとすれば、飼育用であれ食用であれ、人間に(天敵でもだが)捕えられた時点で、もはや、その一個体には長々と生きる存在意義はないとも言える。「うう捕まったか、無念ナリぃ。こうなったからにはあとは煮るなりとって喰うなり勝手にしやがれィ!」てなもんだ。飼育下でいくら長生きしていようとこれは同じだ。人的倫理観で言うと、もはや正しく「かわいそう」なのである。言い換えれば、飼育下で繁殖をさせてやれば、ヤド六の遺伝子を次に残せれば、ヤド六一個体の使命は全うさせてやれるということにもなるのだが、これ、よしんば成功したとしても、次に生まれた生命の全個体に新たなその使命が生ずるワケで…となると、もはやわたしに飼いきれるはずがなく、かといって元の棲息地に返すにも、ヤド六の捕獲地がわからないので、結局全部殺すしかないべ、ということになる(後述)。こうしてこの「かわいそう」問題は、わたしには「どーしょうもない」問題になってしまうのである。

↑あちき好みの小粋な貝殻なんて、ここん家にはさっぱりありゃあしないョ。

 確かに、ペット用に捉えられたオカヤドカリが、飼育や流通の不手際により無駄に死んでゆくのは「かわいそう」ではあるが、繁殖の機会なしに飼育されるのであれば、その一個体にとっては、息災も死も同じ「不幸なこと」なのではないか。わたしが、「非ヤド道的販売方法」に対して積極的な行動をとりきらないのは、そこが引っ掛かるからなのだ。販売のための大量捕獲による「種の絶滅」の怖れに関しては、実情はどうあれ、一応は国が「天然記念物」に指定して保護している生物であり、現在の国産オカヤドカリの流通主力種が、他の絶滅危惧種に特に優先される必要はないであろう。それより危惧するのは「外来種との混交」また「棲息環境の変化・減少」であり、こちらは厳しいチェックがなされる必要があると思う。

 他の生物でも問題になっているように、たとえ同種であっても棲息地により持っている「遺伝子」が違うので、捕獲地以外のところに放すことは絶対に避けなければならない。たとえばホタルは同種であっても棲息地によって光り方などが違うので、「再び川にホタルを」などと安易に放流するのはとんでもないことだ。国産カブトムシは単一種だが、見かけは同じでも、棲息地によって違う遺伝子を持っている。大量に養殖され、流通に乗りホームセンターなどにバラ撒かれて売られているので、自分で捕ったもの以外は絶対に近所の山に返してはいけない。本来カブトムシが居なかった北海道が、いまやカブトムシの天下になってい、天敵が居ないので高級メロン食い放題の狼藉だというが、これも人間の無知な行ないに責任があるのである。オカヤドカリも同様である。売られているものに捕獲地の詳細が表示されていないので、飼えなくなったときは、いくら「かわいそう」でも、放流せず、すみやかに「死」を与え賜え。

 いわゆる「かわいそうな売り方」に感しては、これはもはや「人的ジレンマ」の世界の問題なので、あまり関心が湧かない。バブル期以降、企業は、新技術の研究開発と並び、限られたパイの商品のなかからニッチニーズを探しだして販売することを、生き延びる策のひとつとして位置づけたが、同時に世論・マスコミにより逆風に晒されるような失態が、大きなダメージになることも学んだはずだ。それを承知のうえで、「かわいそうな売り方」の、言い換えれば「不完全な商品」の販売を続けてゆくというのであれば、もはや「リスク覚悟の上での小銭稼ぎ、儲かればイメージは灰色のクソ企業で結構」というスタンスか、「自社で気づくことのできない、感性と人材に乏しい馬鹿企業」の姿を世間に晒しているということである。またこれは、このご時世に、自ら『当社は環境には配慮しません』と標榜しているような姿勢であり、そんなところは、これからの厳しい経済の世界ではおのずと淘汰されてゆくであろうと考えておくことにする。ただ前述の理由で、売れ残った生体を全部「殺して」処分しているかどうか。この一点だけは問いただしておきたいところではあるが。

 でも、そういう企業をのうのうと儲けさせておくのも癪由美子である。街でそれらのオカヤドカリセットを見て興味を持たれた方で、いまだ購入に至っていない方には、ハッキリ申し上げておこう。あれらのセット、『飼育に不適な無駄なものばかり』の詰め合わせでっせ(肝腎の生体も死にかけのばかりだし)。オカヤドカリを飼うと決めたのなら、『元気な生体』だけを入念に選んで購入し、水槽や底砂や流木などは自分で探して揃えよう。とりあえず家にある洗面器に水道水を2〜5mmくらいの深さに入れ、真ん中に陸になる部分を作ってヤドを入れて置けば、夏の間は1週間やそこらで死ぬことはまずない(元気な生体なら。ただし脱走には要注意)。餌は人間のオカズのカケラを喰わせておけば良い。そうして仮に飼っておいて、飼育法の書かれているサイトを訪れ、飼い方をよく調べた後、ペットショップなどを回って水槽や底砂などを購入し、ゆっくりと必要な環境を整えてやればいい。『いらないものに無駄なお金を使って企業や個人を儲けさせるのはアホらしいのでやめときましょう。』




←ヤド六、ベランダで行水中。水は水道水にコントラコロラインとアクアセイフを落したもの。


←↑いくら外に危険や死が待っていようたって、ただただひたすら逃げたいのである。「もう囲われ者なんて身の上は、マッピラ御免でござんす」

←中目のサンゴ砂は、保湿力があってよろしい。ピンセットでのウンチの取り除きやすさは、これが一番ラクチン。
←床が下がり、流木が2本入るようになったので、お好みの場所の選択肢が増えた。そのときどき、自分で最も快適な場所を探して、そこに腰を落ち着ければ良い。
←「でも、もっともっと高いところへ登りたいン!」
「そら姐さん、デスクボーイにゃこれ以上は無理な注文ですわ」(実は天井にドーム状カプセルを付ける手はあるのだが…)
←なごむ姐さん。
フラスコの口にちょんと座って、なに考えてるんだか。

↓なごむ姐さんを後ろから。三味線でも持たせてみたいもんだ。
2005/07/28 (Thu)

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