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28 精進百撰
水上 勉 著
岩波現代文庫
随筆 食・料理
投稿人:コダーマン ― 01.02.19
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作家水上が、心筋梗塞に襲われ、心臓が一部壊死してしまったと書いている。そういう患者を病院にとどめて、三度三度の食事に食べきれない量の、栄養十分な料理が出てきて、これを全部食べられないことをもったいないと嘆き、また一方で、それを全て食べて太り始めたりしたら残っている心臓では持たないのではないかと心配し始める。それに加えて、三度の食事のあとに服用を命じられている薬の多さに、げんなりしている。暇があるので、医者にもらった薬がなんだかわかる本を買ってきてもらって、ひとつひとつの薬をじっくり調べる。
結論、薬に助けられる日常をやめて、自然の中で暮らし、正しく旬の物を口にしていれば「私は人生を、人命を全うできるのではないか」と結論して、病院から外に出る作戦を立てる。なにしろベストセラー作家だった人だから、軽井沢に別荘を持っていて、これを処分して長野に畑付きの土地を入手し、わび住まいできる程度の家を建てる。このわび住まいが、実はかなり充実した立派な家であるらしいことだけは想像できる。
そういう風に、引っ越し作戦を紹介しながら、かつて子供の頃に実家の口減らしのために寺に預けられた時代の話を紹介する。そこが精進につながる。
水上少年は偉いお坊さんに付くことになって、精進料理も厳しく教え込まれたと書く。仏門でも高僧になると、学識と経験を積んだお坊さんが秘書のような役として付くようになるらしく、寺を移ってもこの人が付いて来る。水上は高僧の身の回りの世話をしながら、こうした人に精進料理を、その思いと作り方の両面から教えられたということだ。
なに、その教えなんてものは、我々にだって言葉ではわかっているようなことで、あちらはそれが人間として全うでき、こっちは俗欲にまみれて何もできないということである。大地から採れるものは、全て自然の恵みであって、無駄にしたり、粗末に扱ったりしてはいけない。感謝の心をもって、残すことなく味わい、自分の体を通して再び大地に返してやることで、自分も自然の一部になることができ、輪廻の一部になることができるのだ、というようなことである。ね、言葉ではそうした「仏心」か哲学か、あるいは悟りへ近づく道か、そうしたものを口先で扱うことができるが、実践はまずできないでいる。
で、水上は、長野に住んで、小さな畑を耕し、少し歩いて手に入る野草、山菜を摘んできては口にして生きることを実践し出す。一所懸命に仕事をしようものなら心臓に負担がかかるので、実にゆっくりと生きる。病院ではほとんど立って歩くことすらおぼつかないような日常だったのだが、自然の中に出て、土に触れ、草を摘みにいくことを自分に課してみると歩ける。ゆっくりにしても、坂を上ることができる。そうして動ける範囲、持てる範囲の重さのものを利用して畑を小さく作り、できた野菜を口に運ぶ。
その、料理を紹介している。この料理紹介の部分が本の半分ほどで、ここはさっと過ぎていくだけだが、なんとも雅味がある。
風の通りのいい場所、日の射しにくい場所、土がちょっと違う場所、そうしたことで野菜ができる日が数日違ったりする。それを喜びながら、今日はここのが食べられる、明日はあっち。旬が来ると、同じ野菜が連日食卓に上ることになる。多くの人はそのことを忘れているが田舎者の私にはそのことがよくわかって、懐かしかった。ある野菜が集中してできてしまうときに、何とか別の料理にして食べよう、同時に出てくる野菜と組み合わせて食べようという工夫、こうしたことがなんとも大切に思える。全編そういう気持に満ちた、心を澄ませてくれる本である。
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