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29 泣きの銀次
宇江佐真理 著
講談社文庫
時代小説
投稿人:コダーマン ― 01.02.19
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ペンネームにしたって宇江佐という姓があまり見ない姓で、印象に残っている。これまでに何冊か読んでいるはずだが、悪くない時代小説を書く女性の作家という印象を持っている。「悪くない」などというのは、生意気な読者である。
泣きの銀次は、言葉通りすぐに泣くからついた名前。そのいきさつを書いても、読む人にあらかじめ知らせてはいけないことを教えてしまうことにはならないと思う。
かわいがっていた妹が殺されて、その死体を見たときに号泣してしまった銀次。その後、自分で妹の殺人犯人を捕まえなければ気が済まないと、岡っ引きになってしまう。しかし、殺人事件の現場に行って死体を見ると妹のことが思い出されて必ず泣き出してしまう、そこで泣きの銀次である。もちろん、親分にも、その上にいる八丁堀の旦那にも「その泣く癖は何とかならねぇのか」といわれるし、同じ岡っ引き仲間に馬鹿にされていることはいうまでもない。しかし、皆事情を知っているので、そのうちには何とかなるだろうと、我慢している。
日々の事件に追われながらも、妹の殺人犯人を見つけださないことには岡っ引きになった甲斐がない、と頑張る銀次。この分は捕物帖である。
こうした話の下敷きになっているのが、銀次は大店の跡取りだったということ。岡っ引きと大店の跡取りが両立できるわけがないので、弟に跡を継がせることにして、家を出て長屋で一人住まいしている。ここが銀次の「泣かせる」ところ。ただし、あまりにわびしい日常が続くと、夜になってから、実家の台所に現れて飯を食わせてもらうのである。この時、若旦那が帰ってきたと両親に話そう、弟に伝えましょうとするのを止めて、食事が終わればそそくさと長屋に引き上げる。この時間が何となく心に沁みてくる。店の者が寝たあと、台所の片づけをしている女中だけが起きているというようなところに、そっと顔を出す。何でもいいから、食わしてくれという。無論、冷や飯を食わせるわけにはいかないので、女中は温かいものを用意する。
それと、いまに妹さんを殺した犯人が見つかれば岡っ引きを辞めて実家に戻って来るんでしょ? といわれて少し迷ったり、いつまでも岡っ引きなんかしていると店に戻ることができなくなりますよ、と言われて逆に、せっかく一家を切り盛りしていく気になった弟のために、もう家に顔を出すのは控えようと思ったり、色々ある。また、この銀次が顔を出すと甲斐甲斐しく食事の用意をしてくれる女中との心の通いなど、世話物としての欠かせないものが全て塩梅よく配置されている。
昨今の時代小説、江戸時代物の中で「岡っ引き」の扱いが昔とは大きく変わった。八丁堀から直接十手を預かっている親分ならまだしも、その下の子分ともなるとペエペエもいいところで、半ばごろつきだったことは歴史的には知られている事実。本人たちは生きるのが大変だったようだし、基本的には鼻つまみだった、そうしたことが昨今の時代小説には実体に近いように描かれる。進歩といっていいんだと思う。親分たちも、二足の草鞋で、ヤクザの親分と十手持ちが一人の人間なのが多かったらしい。とくに、街道筋の宿場では普通だったようだ。
さて、この話の最後に、あれ「めでたしめでたし」で終わらせないのか? と思わせるところがある。そこがいかにも女性の作家らしい運びで、銀次の惚れた相手と簡単に一緒にならないような女の複雑な心の動きを描く。うまいとも、意地が悪いとも、また女心の複雑さとも読みとれるが、これは男の読者にだけわかることかも知れない。一方、女性だったら当然こういう気持になる、と理解するようなところなのかも知れない。
この作家の小説は、追いかけて読むレベルだと思っている。
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