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文庫本読書倶楽部
84
大江戸生活体験事情

大江戸生活体験事情 84 大江戸生活体験事情

石川英輔 田中優子 著
講談社文庫
江戸体験学エッセイ

投稿人:cave ☆☆☆ 02.08.19
コメント:エネルギーバブルは近々確実に弾けるぞ。


 石川英輔さんの「大江戸○○事情」シリーズの文庫最新刊である。前作の「大江戸ボランティア事情」に続き、田中優子さんとの掛け合い共著となっている。本作はいままでの「大江戸○○事情」と少し趣向が違い、著者ふたりが実体験してみた「江戸の暮らし」について書かれたエッセイなので、実に興味深い。わたしは自分の経験したことも思いだしたりしながら楽しく読めた。

 江戸時代の暮らしは、一見非常に遅れていて不便なように感じるが、実はエネルギー消費の面でかなり合理的なものであり、江戸庶民の生活水準は世界的に見ても高かった。また、その不便さを補うための工夫や必要な技術の習得も、かえって日々の生活を豊かなものにしていたのではないかという。両著者は、スイッチひとつで明かりや火を使うわけにゆかない江戸時代の生活を二年にわたり楽しんで体験し、そこから感じたり発見したことを面白く、詳しく解説してくれている。現在の便利な暮らしは「エネルギーの大量消費」によってもたらされているのだけれど、こう湯水のように化石燃料を消費していては、早晩破綻するのは目に見えている。環境にも配慮したムダのない生活への転換はもはや急務だ。そのポイントを先祖のくらしに学ぶ。

 さて、まずは時間の使い方から。当時は太陰太陽暦、二十四節気である。そして時計を製作しての不定時法での生活体験をしてみる。江戸時代の明六ツ・暮六ツというのは、太陽の日の出と日没の時間だったので、季節により昼夜の時間が変動する。現在なら実に不便なのだが、それは電気による照明があるから可能なわけで、行灯のような暗い照明器具しかなかった江戸時代には、太陽の明るさにしたがって暮らしを変化させざるを得なかった。そのかわりほんの少しのエネルギー消費で営むことができたという話である。

 続いて「火打ち石で火をつける」と「行灯」での夜の生活である。火の付け方、行灯の作り方の図解・説明もある。これらを使うには、大変な経験と技術を必要とするが、大災害などのサバイバル状態を考えてみれば、習得しておいて損はない。また電灯や蛍光灯と比較にならないほどの暗さを体験することによって、気づくことのできるさまざまな利点を田中優子さんが書いておられる。

 そのほか、筆記具である筆と和紙について、着物での暮らしの有用性、下駄や櫛などの木製品の考察等が、豊富な図版とともに実体験をもとに語られてゆくので非常に説得力がある。

 昭和33年生まれのわたしは、家の土間に井戸があり、かまどで煮炊きをし、薪と石炭で風呂を沸かす生活を憶えている最後の世代だろう。すすはらいも七輪も経験した。本書を読んで考えてみるのだが、子供の頃のあの暮らしも、当時はそれが普通のことなので、不便だとは感じなかった。現在の生活の便利さはありがたいものの、その代償としての電気ガス水道などのエネルギーの無駄はあまりにも多すぎる。核家族での生活単位も、多重にエネルギーを消費しているし、なによりそのことによって得られているモノ、まあ便利とかプライバシーとかだが、どうもその消費量に値してはいないのではないかと感じるようになってきた。

 実際、近年の都会の夏の猛暑は、どう考えても異常である。地球全体の温暖化もその理由ではあろうが、過度の冷房や自動車などの放つ熱が直接の原因になっていると思わずにはいられない。暑いのでエアコンで冷やし、ますます街中が暑くなり、それを冷やすための電気を発電し、発電するのに燃料を消費し熱を放出する、という悪循環なのだろうが、本書に見られるような実体験に注目し、いっそ街単位で一斉にクルマや電力を使わない実験をしてみれば、そのあたりのことがはっきりすると思うのだけれど。なにせ確実に海辺の海水浴場より都会の往来の方が暑いのだから。

 不可思議にもガソリンスタンドの1リッターの価格はわたしがクルマに乗っていた20年前の半分以下だ。化石燃料の石油である。どう考えても、近々エネルギーバブルは弾けると考えざるを得ない。電力が安定して供給されなくなったときにも、お金を使わずに豊かな生活を営むためのヒントとして、本書を一読しておくのも良いのではないかと思う。


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