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文庫本読書倶楽部
85
日本のいちばん長い日

日本のいちばん長い日(文藝春秋版・単行本) 85 日本のいちばん長い日

大宅壮一 編(書いたのは半藤一利)
角川文庫(現在入手不可)
※写真:日本のいちばん長い日[決定版]―運命の八月十五日 半藤一利 著
文藝春秋(単行本) 1995.6出版 →2006.7[決定版]文春文庫化

戦争ノンフィクション
投稿人:コダーマン ☆☆☆ 02.08.23
コメント:戦争はしないものだと、確認するために必読ですね。


 いつか読むに決まっている本だった。8月に読むことにしている戦争の本の一冊として、いつか読むつもりで持っていた。
 そしてついに、父の死んだ年の夏に読むことにした。戦争に行った父を持つ、戦争を知らない子供としてこの本を読んでみた。
 昭和54年の版、文庫本の棚に長い間あったことになる。すっかり黄ばんでいる。活字も小さい気がする。本の縁が日に当たってすっかり黄ばみ、というより褐色になってしまっている。ページを開くと、褐色に縁取られたページがある。
 何となく、内容と、この夏とがふさわしいような気がして読み始めた。
 この本は、昭和20年8月14日の正午から、玉音放送のあった15日の昼までを、軍、議会、宮中の様々な人間の立場から見て、時間系列で「事実」を積み重ねていく。
 この作品を映画化したものをたぶんテレビで見ている。それを思い返しながらページを繰っていた。映画は、とても冷静にこの本をなぞって作ったものだとわかった。ドキュメンタリー映画として、淡々と「静かに」撮影し、この本を書く段階で事実とされていた状況を描いたのだ。
 だから、薄れかけた記憶の映像とこの本の内容はよく重なった。

 現実離れした宮中の人間たちと、もう一つ現実離れした徹底抗戦派の若い将校達の昭和20年の「熱狂」が、私を気持ち悪くさせた。
 国体護持、この実態のない、ある意味で神のいる場所としか思えないような日本を失いたくない、守りたい、そこしか自分のいる場所がないという陸軍の若い将校の思い込みの深さ、激しさ、しがみつくのはそれしかないという弱さ。それがたまらなく厭やだった。それにしがみつくせいで戦争が長引き、徹底的に無駄に日本人が死んでいくことを全く斟酌しないのが猛烈に腹立たしいのである。自分たちと同じように、神の国の民なのだから、市民も同じように行動をとるだろうという、同じ行動をとらなければならないとする、一種の思い上がりだろうなぁ、これが本当に、身の毛もよだつほど厭やだった。だから、戦闘に差し支える場合は、市民を殺して戦いやすいようにしてもかまわないという論理である。
 兵士は死んでも本望かも知れないが、市民はそうではない。神が始めた戦争であっても、もうそれに倦んでいるのだ。そのことを市ヶ谷にいて全く思いもしない。
 戦争の本を読むたびに、陸軍の参謀本部だのなんだの、要するに命令を下す最高機関にいる連中の戦争は、紙の上の戦争でしかないのだといつも思う。発砲されて命を落とす危険がないところで、国体などと言い続けているに過ぎない。国体を、天皇制というように解釈している本もあるが、この本を読んでいる限りでは、天皇制というよりもっと原始宗教的で「制度としての天皇」ではなく、天皇という父のいる日本国家という感じの方が強い気がする。
 さて、一方。
 宮中の人々である。
 国会があって、その上に宮中会議が必要だというシステムは私にはわからないが、天皇を囲む特殊な日本人たちの「世界認識」が、遙か以前から破壊されてしまっていることが、一つ戦争の原因になったような気がした。
 天皇を戦争に向かわせたのが周囲の者たちなのか、周囲の者が諫めたにもかかわらず、天皇が戦争をしようと言ったのか。陸軍の嘘に動かされたのは天皇だったか、あるいは宮中に戦争をしてみたい人間がいたか。
 天皇さえ戦争を止めようと明言すれば、戦争を止めることができるのですと、どうして誰も言わないのか。神に忠告はできないか。
 昭和20年8月15日時点では、まだ天皇は神様であり、宮城の人々は神に仕える人々ということになって、浮き世から遠ざかっている。満州ではほとんど無力の日本人にソ連軍が殺戮だけのために襲いかかっているときに、何をしているのか!
 徹底抗戦の意志を下げそうもない陸軍に対し、普通は、国会の決定事項をただ承認してもらうだけの「御前会議」で、天皇に直接結論を出してもらおうという鈴木首相の思いきった策で、ポツダム宣言受諾を受け入れさせてしまう。大君がそういうのであれば、陸軍は粛々ととそれに従う。阿南陸軍大臣はそれを日本帝国陸軍に納得させる。そして15日の朝、切腹。
 そこに到るまでに、青年将校達の反乱がある。
 天皇が、降伏を受け入れるラジオ放送の録音を済ましたことを聞き及び、そのレコードを奪うしか手はないと考えて、宮城を占拠してしまう。この、極限の反乱は一時ほとんど成功しているのである。しかし、神のおわす宮城は、軍人には迷宮であって、録音盤を見つけることができない。第一、それをしまったのが誰か、どこにしまったかをほとんどの人が知らないので、反乱将校に問いつめられても誰も答えることができない。
 そうしてじりじり15日の朝が開けていく。
 反乱がニセの命令によって起こされたと気づいた上層部は、ついに反乱軍を制圧。
 それでもなお、NHKの放送室まで侵入して、玉音放送の前に「徹底抗戦を呼びかけさせてくれ」と悲壮な願いを口にする将校がいた。

 戦争から遠い時代になって、どれだけ日本人の命を無駄にすれば気が済んだのだろうと思うのは、神の子供として日本のために死ぬことを喜びとした青年将校を正しく理解していないことになるのだろう。
 それにしても、戦争というものの状況分析がなさ過ぎる。
 一方で、広島、長崎に原爆が落ちて、戦うにも武器がない状態になるまで「もう止めよう」という決意を天皇に促すことのできなかった、迷宮の人々も、責任を感じてよかったのではないか。戦後の歴史を見ると、全てが軍人のせいになっているが、どうもそういう風には読み取れない。
 もちろん、軍人たちの古色蒼然とした発想は「みじめで」悲しい。勝てるのか? と問われても、戦争というものはそういうものではない、必ず勝てるとは言えない、しかし、アメリカ軍が攻めてきたときに本土決戦に持ち込んで海辺で一泡吹かせたところで講和に持ち込もう、それしかないと言う。この愚劣さ。もう、ソ連が日本を割譲する気で攻撃を仕掛けているというのに、それを慮る頭脳もない。
 玉音放送を聞いてなお特攻に行く日本軍がいた。

 事実を丹念に探してまとめた本。この本の内容は事実だと思えるが、こんな事実を内包したまま、まるで改まらない国だということが、もう一つ気持ちが悪い。
 外交面では、相手の情報を収集する能力に恐ろしく欠けている。国際情勢を読む力がない。国際的な場所での議論のやり方が全然できていない。半世紀経っても全く替わりがない。
 そういうことを徹底的に見せつけられる本であった。


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