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当アクアリウムコーナーの主でもあり、コーナー開設の動機でもあった、8年目の金魚「東王(あずまおう)」が、本日(12月2日)夜9時、急死した。
前回の記事の最後に、水カビ病が75cm本水槽に伝染したことを書いて終わったのだが、その後、換水をして、水温を高めに設定し、なんとか水カビの進行を押さえることができていた。
私も仕事が忙しくなり、また家人が所用で一週間家を空けることになったので、十分なメンテナンスはできなかったのだが、深夜帰宅後、注意深く水槽を観察して、なんとか対応はしていた。
そして昨日、12月1日午前。換水の折りによく見てみると、水槽内の水カビはほとんど収まったものの、「東王」の左半身には、少しであるがカビの付着が認められた。右半身には小さな白い斑点がついている。彼女自身も腹を底砂に着底させていて元気がない。同じ水槽の他の金魚たち(彼女の息子、娘たちだが)はいたって元気で、飼育水自体に大きな問題があるとは考えられなかった。
死者2匹を出した「海軍兵学校」の水カビ病騒ぎで、手持ちの治療薬を使い果たしていたので、状態の急変に備えて、夜、思い立って自転車を飛ばし、治療薬「グリーンF」を購入した。しかし投薬することはせず、水温を5℃高め(27.5℃)に設定して、一晩状態の推移を見ることに決めた。
明けて、2日。水槽を覗いてみると、「東王」に付着していた水カビは、かなり少なくなり、白斑点もほぼ消えていた。昨日萎れたようになっていた背鰭も、シャキッと立ってきている。これなら投薬の必要もなかろうと判断して、水温を1℃下げる設定にした。
午後7時頃、夕食の折には、餌をねだったので、いつも与えている錦鯉用の餌を与えたところ、水面にまであがってきて2粒食べた。その後は、あいかわらず水槽の底に着底して、じっとしている。
しかし、どうも元気がないので心配になり、じっくり観察し続けていると、1時間後、体が左右にふらふらしだした。そのうえ常にパクパクしている口の動きが緩慢だ。
やはり、水カビが鰓内部に付着しているのかも知れないと、急いで換水作業に取りかかると、急に暴れるように泳ぎだし、水槽のガラスに激突することをくり返しだした。距離感が測れなくなってしまっている。カラダの上下をしっかり保つことも不可能になり、ゆっくりと回転しながら漂っている感じ。そしてついに腹を上にして動かなくなってしまった。午後9時頃だったろうか。
数分前の、元気はないけれど普通だった状態からの急変に驚いたが、換水作業の途中だったので、それを中止し、両手で魚体を捕まえて、人工呼吸をすることにした。両手の親指で両鰓を少し開き、開いた口に、濾過装置から出る水流を直接入れる。また、水面から口をだしたり沈めたりして、水が鰓を通るようにする作業を15分ほど繰り返した。鰓内部に水カビの付着は見られなかった。最初は時々、わたしの手を振払うように暴れていた。そして2度ほどは口からピュッと水を噴きだしたりもしたので、蘇生するかと期待して続けたが、そのうちピクリとも動かなくなってしまった。
介抱も空しく、これはだめだな、と判断した私が、作業を中止すると、後ろで心配げに見ていた息子と娘の嗚咽が聞こえてきた。
かくして、あまりにも突然に、我が家の一員であった、「東王」は逝ってしまった。息子が2歳になるまえに、縁日で掬ってきた金魚である。娘にとっては産まれたころからいた金魚だから、まあ愛着もあろう。かく言う私にとっても、ここまで育ててきたからには、40cm、50cmと成長させて、この欄の中心キャラクターとして、さまざまなエピソードを披露して行きたかったが、いたしかたもない。
今、この記事を書いているマックの、後ろにある大バケツには昇天した「東王」が横たわっている。わたしは明日の朝は早く出勤する日なので、墓掘りに立ち会いたければ5時半起きだと息子(小学3年生)に告げると、「学校から帰ったらオレがやる」と言う。いつもは小遣いを与えてもイヤイヤなくせに、どうやら今回だけはちょっと違うらしい。まあ、それもよかろう。丁重に葬っていただければ、言うことはない。順番から言えば、わたしだっておまえさんより先に死んじまうんだ。息子も成長して「死」と言うものに対して何か感じるものが生まれてきたのだな、と、すこし救われた気分になった。
死因だが、わたしにははっきりと特定することはできない。「水カビ病」に関しては記述の通り、死にいたるほどの重症ではなかった。水温を上げたのが呼吸困難をまねいた可能性はある。しかし、混泳中の他の金魚やオトシンクルス、プレコたちに変化はみられなかった。最近は糞の量が少なくなっていたので、消化不良を起こしていたのかもしれない。また、周期的に訪れたいろいろな病気が、老齢の魚体に疲労を蓄積させ、多数の子供たちとの混泳にストレスを感じていたことも重なり、体力に限界がきたのかもしれない。それに、どう見ても「肥りすぎ」ではあった。本によると、金魚の8歳はヒトに換算すると55歳くらいである、とあった。老衰というには少し早すぎるかもしれないが、わたしとしては天寿を全うしたと思いたい。
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←人工呼吸、心臓マッサージなどの介抱もむなしく、ついに昇天してしまった、「ビッグ・ママ、東王」。1時間ほど前までは、餌さえ採っていたというのに。 |
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さて、当欄に来訪していただいている皆様に、お断りしておきますが、わたしは、飼育の専門家ではありません。正しい飼育法を実践しているわけではありません。どちらかと言うと、「季節の移り変わりをぼおっと見ているのが好き」的な人間であり、それにまつわる思いをコラムのように書き綴っているのです。病気などのトラブルに関しては、当欄での処置を絶対なものとせず、必ず、他の「専門家」による解説のあるサイトや書物を参考にしていただくようお願いいたします。
死んだ「東王」をハカリに載せて、サイズを測ってみた。体長は30cm、重さは580グラムだった。生まれは正確には解らないが、メモを調べて見ると、95年の阪神大震災の後、8月20日ごろに最初の金魚鉢を買っている。体長3cmくらいで我が家に来たから、孵化から換算するとおよそ7〜8年間ほど生きたことになる。白赤のマダラになったのは4年目くらいか。それまでは普通の真っ赤な「金魚掬いの金魚」の姿であった。
しかし彼女はやんちゃな子供たちを多数残した。今後、子供たちも病気などにより淘汰されていくとは思うが、彼らのなかに、母親の資質を受け継いだ、赤白マダラの巨大金魚が育ってくることを期待しよう。それを確認できるのは数年後になることだろうが。
この金魚のために設置した大きな水槽は、主の死によって、ぽっかり空間ができてしまった。そこに、暴れ者の父ちゃんと伯父さんが引っ越ししてきたので、60cm水槽「海軍兵学校」は分裂だ。母ちゃんがいなくなってしまった水槽では、すぐさま彼女の息子や娘や亭主たちが、激しい教練を始めだした。どうやら今後は本水槽を「海軍兵学校」いや、「連合艦隊」と呼ぶことになるのかもしれない。
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←死後、体長と体重を測定してみた。30cm、580グラムであった。 |
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←容量10リットル、広口タイプのバケツでも真っすぐには収まらない。
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