レトロガラクタ偏故洞
駅弁当包装紙
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駅弁当包装紙10
旧国鉄 東海道本線 大阪駅 幕の内弁当(300円)
1973(昭48)年3月30日
大阪駅、新大阪駅といえば、現在でもこの合資会社「水了軒」の駅弁当がポピュラーである。会社概要によると、創業は明治21年。社名の由来は、創業当時の大阪駅には構内に大きな井戸があり、この井戸水を利用した「冷やし飴」を販売したので「水あめを了(う)る軒(みせ)」水了軒としたそうだ。
この掛紙、大都会のターミナルでのスタンダード弁当ということもあってか、実に味気ない。商品名もただの「お弁当」である。食品を包む色としてもっとも無難と言える、オレンジ系の地色に、扇形にトリミングされたご当地写真が2点のみ。上は大阪城の天守閣。そして下が住吉大社の太鼓橋である。
まあ、このクラスの幕の内がその業者の実力を判断するのにもっとも適当なのである。ご飯の炊きかたやおかずの味付けの傾向などが自分の好みに合っているかどうか味わってみて、旨いと思えば高級弁当を購入すれば良いのだ。なんてエラそうなことを言っているが、貧乏旅行で、このタイプしか買えなかったのが本音。旅の途中では同じ駅の駅弁をそう何度も食べる機会は無いものなあ…。
この弁当は、奥能登方面への旅行のため、大阪駅22:10分発の「急行きたぐに」車中で食べるために購入した。同急行は、半年前の昭和47年11月6日に北陸トンネル内で食堂車から出火し、30人の死者を出す大惨事を起こしたため、火元となった食堂車(オシ17)が編成から外されてしまったのだ。当時はまだ10系旧型客車の寝台と普通車の混編成であったが、まもなく12系に更新された。
この時期の包装紙で「DISCOVER→JAPAN」のロゴが入っていないのは珍しい。これも都会のターミナルステーションならではである。
新潟駅 幕の内弁当へ
七尾駅 松乃寿しへ
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2003.03.07