えらい土砂降りの日が続いたと思ったら、梅雨明け一転カンカン照り。水銀柱(古)もイッキに鰻のぼりという極端なおテンキに。人間がイチビった影響で地球がおかしくなったとよくいわれるけど、こういう有無を言わせない地球の我儘ってのは、あたしはなんとなく好きなんであります。もう何十億年も回ってるんだから、そら傲慢もアリでしょう。人類が悪さしたと言ってもたかがこの百数十年。地球全体の歴史から見れば、昨今の異常気象なんて、ちんまいもんです。狼藉の報いでよしんば人類が絶滅の憂き目にあったとしても、事後の環境に適したイキモノがかえって増えて、生命の多様性は高まるに違いないんですから。自然はそんなにヤワじゃないですわ。
実家裏の空家に永らく放置されていた、ほくさんバスオール
また長くて無意味な前フリになってしまいましたなあ。で、その梅雨のよく降った折のはなしなんですけど、京都のあたしの実家の母屋裏に、もう20年近く誰も住んでいないボロ空家がありまして、このたびの激しい降りで大屋根の雨漏りが激化してしまいました。昭和の初めに建った借家普請の木造町家なんですが、やっぱり建物は人が住んでないと痛みが進みますね。この景気の悪い時に厄介なことになったんですが、放っておいて家が腐って倒壊、漏電して出火、なんてことになるとさらに大事だというんで、急遽屋根を修理せざるを得ない状況に追い込まれてしまったわけであります。
当時、内風呂は夢の物件でした。嗚呼、昭和は遠くなりにけり...
コレ、たぶん1967〜8年頃に新品を設置して、賃貸人に使用されてたんですが、空家になってから20年近く誰も使っていなかったので、状態がまあまあ良いんです。後期型の洗い場付きの大きなタイプで、あたしは入浴したことはありません。廃棄処分するのはカンタンですが、一度失われてしまうともはや復元不可能な物件なんで、安易に捨ててしまって良いものかとね。
まだまだ現役使用中のバスオールもあるところにはあるんでしょうが、こういう昭和の生活遺産が、全く重視されず、ほとんど保存されていないのが日本の文化のアカンところだと思うので、ダメ元でネットで引取先を探してみました。そうしたら幸い「洗いの殿堂」さんというサイトの紹介を得られ、この12日に、めでたく吹田の博物館が引き取ってくれました。
いくら狭いユニットバスとはいえ、畳一畳分は占拠する大きなブツですから、やっぱり公的施設じゃないと保管は無理でしょうね。というわけで、裏の空家のほくさんバスオールはトラックに積まれて博物館に後家に行きました。とりあえずは貴重(?)な昭和の生活史遺産を燃やしてしまわずに済んだので、ホっとしているところなんでありますよ。
この家、空家のまま放っとかずに、少し手を入れて下宿屋でもやりゃよかったのかも。でも商売するとなるとイロイロ厄介なことが必要になるし、時代もワカモノも変わったし。ま、仕方ねえべ。
しかし懐かしいなあ下宿屋。「ありがとう」の「と」にアクセントが入ってるのを聴くと、京都人ながらいつもハッとさせられるんですわ。今どき聴く加川良のアルバムとなると、withレイジー・ヒップの「駒沢あたりで」がいいかな。暑さにぐんにゃりしながらぼんやり聴いてたいス。