ぼやテツです。昨日2013年3月31日を持って、あたしが永年親しんできた京阪電鉄の特急車、初代3000系が運転終了とあいなりました。
この車両、デビューしたのが1971年。前年の大阪万博の70年に登場した通勤用5扉車の5000系に続き、翌年颯爽とデビューしたもんで、京阪沿線住人のあたしとしても当時非常に誇らしく思ったのを憶えております。
鉄分ギンギンだった当時は、無煙化の進む蒸気機関車ばっかり追いまくってましたんで、身近な京阪電車の新型特急にレンズを向けることも無く、続く青年時代最盛期はご多分に漏れず酒とリピドー方面にベクトルが振れたもんで、鉄分相場は大幅反落。
その後1982年から東京に出張りまして関西に戻ってきたのが91年。その間に京阪は京都の鴨川沿いの線路が地下化延伸されたり、新型特急車の8000系が登場したりしてたんですが、会社が忙しかったり家庭を持ったりで、もはやデンシャの写真を撮ってるヒマはおませんでした。
とはいえ沿線在住のガキとして物心ついたときから、京阪の旧特急色と旧普通車塗色が「デンシャの色」と刷り込まれてきたもんですから、今回の初代3000系の引退は、やはり一抹の淋しさを感じるわけなんでありますよ。
...というわけで、手元にあるここ10年くらいの間に撮った京阪特急関連デジカメ写真を並べとこうかな、という次第。沿線に三脚立ててまで撮り鉄したことはないんですけど、京阪を利用した時にたまたまシャッターを切ってたスナップ写真でお茶濁しです。
京阪初代3000系特急車(8000系30番台)の車両のスペック詳細や変遷などは、鉄分濃いめの現役マニアさんにお任せしますけど、前面デザインの比率の美しさなどは今でも古さを感じさせないナカナカの車両だと思いますね。
サイドビューもクロスシート一座席にひとつの窓が割り振られるなど、潜在的乗り鉄客を納得させる仕様になってます。即窓の上段が上昇式だったんで桟がありますが、この窓がガラス一枚のハメ殺しだったら、今の最新車両に混ぜても美しさはトップクラスなんじゃないでしょうかね。
近年の3000系が再び輝いたのは2階建て車両の増結ですね。このダブルデッカー車両は寝屋川工場で自前改造された異色のもので、のちの8000系ダブルデッカーのプロトタイプ的存在なんですけど、1Fの2+1の3列シートが広々としてて快適でしたね。一階席は揺れが多少強かったということですが、あたしはまったく気になりませんでした。
さて、京阪特急と言えばウリは「テレビカー」であります。残念ながら3000系のテレビカーの写真は撮ってませんでしたが、8000系のはありましたんで、それ載せときます。
個人的なテレビカーの思ひ出としては、古葉赤ヘルの広島カープがリーグ初優勝した1975年の日本シリーズ阪急戦を、3000系特急車中で観たのを憶えてます。でもノイズと断線だらけでマトモな試合観戦にはなりませんでしたけどね。
ちょっと旧3000系から外れまして、京阪特急色の車両おば。もはや最晩年の1900系1929F編成の写真がありました。
あたしこの凸凹5両編成が昔から好きでねえ。3ドア化された中間車の両開きドアがテレコに挟まってる風情が堪りません。ルーフラインがガタガタなのもキュンと来ます。前面の更新改造もなかなかの出来、また旧特急色が似合うんですなこの編成。
脱線ついでにもう一枚。ブルーラインが入った固定クロスシートとロングシート混成時代の特急兼用車、京阪9000系であります。中之島線と新3000系の登場でオールロングシートになってしまいましたが、それ以前は、急行や準急待ちのときにもプチ・サプライズ的期待感があったんですけどね、この車両。
昨今の鉄道ブーム復活に便乗してか、京阪電車も初代3000系引退のイベントには相当リキを入れてた感じで、クラシック編成化たら貸切ツアーたら特設サイト設置たら記念グッズ販売たら、およそ京阪らしくないハシャギぶりでした。結構お金を掛けたみたいですけど儲かったんですかね。
しかしラストランが終了する前から、早速ダブルデッカー車の解体部品販売なんぞ開催しだしまして、優れた産業遺産のひとつとして保存するなどの気概がまったくナシ。近鉄や京阪など、関西の私鉄はおしなべて銭のかかる廃車車両保存にいたって淡白・現金なのにはホトホト幻滅します。関東私鉄の東武や西武なんかのツメの垢でも飲んでほしいんであります。
長くなりましたので、京阪旧3000系引退スクラップの話題はこんなところで。記述の間違いはご容赦ね。
掲載写真はたぶん当サイトに既出なんですけど、管理人自身がどこに掲載したのかわからないというサイト内グジャグジャ状態なんで。まあ、まとめということで、お粗末さま。
8000系30番台に改番前の3000系3505編成 出町柳 2008年5月17日撮影
この車両、デビューしたのが1971年。前年の大阪万博の70年に登場した通勤用5扉車の5000系に続き、翌年颯爽とデビューしたもんで、京阪沿線住人のあたしとしても当時非常に誇らしく思ったのを憶えております。
鉄分ギンギンだった当時は、無煙化の進む蒸気機関車ばっかり追いまくってましたんで、身近な京阪電車の新型特急にレンズを向けることも無く、続く青年時代最盛期はご多分に漏れず酒とリピドー方面にベクトルが振れたもんで、鉄分相場は大幅反落。
その後1982年から東京に出張りまして関西に戻ってきたのが91年。その間に京阪は京都の鴨川沿いの線路が地下化延伸されたり、新型特急車の8000系が登場したりしてたんですが、会社が忙しかったり家庭を持ったりで、もはやデンシャの写真を撮ってるヒマはおませんでした。
とはいえ沿線在住のガキとして物心ついたときから、京阪の旧特急色と旧普通車塗色が「デンシャの色」と刷り込まれてきたもんですから、今回の初代3000系の引退は、やはり一抹の淋しさを感じるわけなんでありますよ。
三条大橋のたもとに遊ぶ管理人 鴨川越しに京阪三条駅と停車中の初代500系?が。昭和37年頃か
...というわけで、手元にあるここ10年くらいの間に撮った京阪特急関連デジカメ写真を並べとこうかな、という次第。沿線に三脚立ててまで撮り鉄したことはないんですけど、京阪を利用した時にたまたまシャッターを切ってたスナップ写真でお茶濁しです。
フラッグロゴマークですね。3000系3505編成京都方先頭3055 出町柳 2008年5月17日撮影
京阪初代3000系特急車(8000系30番台)の車両のスペック詳細や変遷などは、鉄分濃いめの現役マニアさんにお任せしますけど、前面デザインの比率の美しさなどは今でも古さを感じさせないナカナカの車両だと思いますね。
サイドビューもクロスシート一座席にひとつの窓が割り振られるなど、潜在的乗り鉄客を納得させる仕様になってます。即窓の上段が上昇式だったんで桟がありますが、この窓がガラス一枚のハメ殺しだったら、今の最新車両に混ぜても美しさはトップクラスなんじゃないでしょうかね。
近年の3000系が再び輝いたのは2階建て車両の増結ですね。このダブルデッカー車両は寝屋川工場で自前改造された異色のもので、のちの8000系ダブルデッカーのプロトタイプ的存在なんですけど、1Fの2+1の3列シートが広々としてて快適でしたね。一階席は揺れが多少強かったということですが、あたしはまったく気になりませんでした。
3000系ダブルデッカー3805 イスが転換じゃなく固定式なのが残念。出町柳 2008年5月17日撮影
3000系ダブルデッカー3805 踊り場の照明とDD1995の銘板 出町柳 2008年5月17日撮影
さて、京阪特急と言えばウリは「テレビカー」であります。残念ながら3000系のテレビカーの写真は撮ってませんでしたが、8000系のはありましたんで、それ載せときます。
個人的なテレビカーの思ひ出としては、古葉赤ヘルの広島カープがリーグ初優勝した1975年の日本シリーズ阪急戦を、3000系特急車中で観たのを憶えてます。でもノイズと断線だらけでマトモな試合観戦にはなりませんでしたけどね。
8000系テレビカー8757 まだ21型ブラウン管カラーテレビ。テレカ電話室も健在。2006年5月4日撮影
8000系テレビカー8706 液晶32型カラーテレビに。電話室がしぶとく残ってます。2009年1月3日撮影
ちょっと旧3000系から外れまして、京阪特急色の車両おば。もはや最晩年の1900系1929F編成の写真がありました。
あたしこの凸凹5両編成が昔から好きでねえ。3ドア化された中間車の両開きドアがテレコに挟まってる風情が堪りません。ルーフラインがガタガタなのもキュンと来ます。前面の更新改造もなかなかの出来、また旧特急色が似合うんですなこの編成。
特急塗装の1900系1929F 各停淀屋橋行き。丹波橋 2008年4月10日撮影
1929F 1992 スパンの短い両開きドアがやっぱり先に閉じるわ。伏見桃山 2008年4月10日撮影
脱線ついでにもう一枚。ブルーラインが入った固定クロスシートとロングシート混成時代の特急兼用車、京阪9000系であります。中之島線と新3000系の登場でオールロングシートになってしまいましたが、それ以前は、急行や準急待ちのときにもプチ・サプライズ的期待感があったんですけどね、この車両。
固定クロスシート時代の9000系9101。淀屋橋 2007年4月28日撮影
昨今の鉄道ブーム復活に便乗してか、京阪電車も初代3000系引退のイベントには相当リキを入れてた感じで、クラシック編成化たら貸切ツアーたら特設サイト設置たら記念グッズ販売たら、およそ京阪らしくないハシャギぶりでした。結構お金を掛けたみたいですけど儲かったんですかね。
しかしラストランが終了する前から、早速ダブルデッカー車の解体部品販売なんぞ開催しだしまして、優れた産業遺産のひとつとして保存するなどの気概がまったくナシ。近鉄や京阪など、関西の私鉄はおしなべて銭のかかる廃車車両保存にいたって淡白・現金なのにはホトホト幻滅します。関東私鉄の東武や西武なんかのツメの垢でも飲んでほしいんであります。
8000系30番台になってダブルデッカーは8831に。淀屋橋 2012年9月21日撮影
改番後の大阪方先頭車両8081(元3055元々3006)。淀屋橋 2012年9月21日撮影
長くなりましたので、京阪旧3000系引退スクラップの話題はこんなところで。記述の間違いはご容赦ね。
掲載写真はたぶん当サイトに既出なんですけど、管理人自身がどこに掲載したのかわからないというサイト内グジャグジャ状態なんで。まあ、まとめということで、お粗末さま。