2007年10月アーカイブ

金魚長屋(2)


 暗がりの中、手近にあった板きれで土を脇によけ、石板の露出部分を拡げていた弥三は、その石の滑らかさに驚きつつ、まだ埋もれている部分に相当の大きさがあることを感じていた。

「弥三兄ィ、ほらよ、明かりだぜ」
「おう、すまねえ、ちょいとここいらを照らしてくんな」
 留吉の持つ手燭の光が、石の露出部分を弱々しく照らし出す。
「ふうむ。俺は石屋じゃねえから良くは知らねえが、こりゃ結構上物の石に違げえねえな」 呟きながら、手にした板きれで石の表面を小突くと、コン!、と音が反響する。

「おい留、聴いてみな。こりゃ下ががらんどうになってるんじゃねえかい?」
「どれよ、もう一度叩いてみてくんな。...うん、うん、なるほど」
「な、小便の音が大きく聞こえたのはこいつのせいだぜ、だろう?」 もう一度敲く。
「はあ、...ねえ、う~ん、よくわかんねえ」
「にぶい野郎だな、じゃあてめえの耳で聞いてみろ。手燭をこっちに貸しな」
 弥三と交替した留吉は、板きれで石をコンコン敲いて耳を傾けていたが、納得が行かないようで、おもむろに石の上に進んで両足でピョンピョンと跳ね始めた。
「兄ィ、なるほど。なんだか足によ、わーんわーんて響く感じがするな」
「だろ、こりゃ、ひょっとしたらお宝が埋まっているのかもしれねえぜ」
「え!お宝がかい。そりゃ凄えな!」 喜んだ留吉は、さらに高く飛び跳ねた。

 弥三が止めさせようとする間もなく、足元から鈍く「むしっ」という音が生じて反響音は消えてしまった。
「おいトメ!止めねえ、止めろってんだよ!、ヘンな音がしちまったじゃねえか!」
「兄ィ。お宝ってのは、何かい、千両箱に小判がザクザクとかかい!うわ~い!」 留吉はまだ音の変化に気づいていないようで、嬉しそうに弥三に問いかける。

「シィーっ。馬鹿、大きい声を出すんじゃねえよ、まだお宝が埋まってるかどうかは分からねえ。だがよ、この石はどうやら葛篭のような箱の蓋みたいだぜ。よしんば中味が空でも結構上物の石だ。石屋に売りゃそこそこの小遣いにはなるだろ。不気味だが、なぜか今宵は長屋の連中が人っ子ひとりいやがらねえのが幸いだ。ブツが石ってのがちと難儀だが、首尾よく運びゃ俺とお前で全部頂ける。ま、俺の話を聞きな」



 井戸端の暗がりでしばらくの間ひそひそと相談をしていた二人は、長屋に戻り、一枚の蓆と、土を除けるのに適当な道具を手にして、ふたたび石のところに戻ってきた。どうやら長屋の住人が誰もいない今のうちに、この埋蔵物の中味を確認し、あわよくば猫ばばしたうえ元通りに偽装して、次に石を売る機会を待とうという魂胆のようだ。さっそく二人は手燭の灯を吹き消して穴の左右に並んでしゃがみ、月明かりを頼りに覆っている土を慎重に掬い始めた。

「留公、おめえ、なんだか手の進みが遅せえなあ」
「だってよ、兄ィの小便が散々滲みた土だぜ。穢ねえから手に付かないようにして...」
「馬鹿野郎!何を言ってやがんでえ。ひょっとすりゃ千両箱だ。もっと急ぎな。連中が帰ってきたら事が面倒にならあ」
「そう言いながら兄ィだって、そろそろと端っこからやってるじゃねえか。何だよォ、手前ェの小便だろ」
「いや、さっきお前に、慎之介もここに小便ひってるって聞いたもんだからよ...」
「置きやがれ。それじゃあおいらと一緒じゃねえか...ま、なるだけ端の方から掘ろう」

 ぼそぼそと掛け合いながら、暗がりで掘りだされつつある石板は、徐々にその全容を現してきた。それはよく研磨された黒御影の銘石のようで、差し渡しがおよそ四尺、奥行きは二尺少々はあるようだ。こんな貧乏裏長屋のどんづまりの浅い土中にあるのはいかにも不自然で、怪しい曰くつきの物件なのに違いあるまいが、欲に目のくらんでしまった二人の職人は手放しの大喜びである。

「おい、留公。こいつだけでも、安く見積もっても十両にはなるぜ」
「ひや~、ありがてえ。で、これが蓋でよ、中に千両箱がデン、デーンと。黄金色の小判なんか見たら目が潰れちまうかもしれねえなあ、おいら」
 現金なもので、そう思ってしまえば、もはや小便のことなどどうでも良くなる。留吉は掘り残された中央部分の土を素手で一気に掻き取り始めた。
「ん?...弥三兄ィ。なんだか真ん中の方に、こだわる物があるぜ。」
「何だって、どれ、俺に触らしてみねえ。え、と、これか。う~ん。何だかここだけ石に彫りが入れてあるような感じだな。銘でも入ってるってことか...こりゃ場合に依っちゃあ、ますます値打ちが出るかもしれねえぞ。留、手燭だ。ちょいと見てみようや」
「合点、承知の介ってもんだ。ちょっと待ちなよ、火種、火種と」 小躍りするように手燭に火を点した留吉は、弥三の指し示すあたりに明かりを近づけた。

 好奇を満面にして覗き込んだ二人の職人は、緩みきった笑顔の口だけはそのままに、目ン玉をひん向いて凍りついたように固まってしまった。
 手燭の明かりに照らしだされたそこには、目新しい亀裂に中央を真二つに分断され、陰刻部にたっぷりと尿を溜め込んだ、「葵巴(あおいどもえ)の御紋」が厳然と出現していたのである。

つづく...の?

金魚長屋(1)




 春。まだ肌に触れると少し冷たく感じる微風が、はるか唐土から吹いてきているようで、夕暮れの江戸の町を夕日の紅と土降る黄色のぼかしだんだらに染めている。...てなぐあいに書きだした日にゃ浅薄なあたしのこと、すぐに襤褸がでるからやめとこう。とにもかくにも御城の辰巳の方角、それもうんと外れにある、とある裏長屋でのお話。表通りを横町に折れ、もう一度さらに狭い横丁に折れた所、煤けた二階長屋で商う煮売屋と小間物屋の間に壊れかけた路地木戸がある。道具箱を天秤に振り分けてその木戸を潜ってゆく埃っぽい袢纏の後ろ姿が見えた。一日の仕事を終えて塒に帰ってきたこの長屋の住人、三十半ばのひとり者、鋳掛け職人の弥三だ。

 路地木戸を潜ると中央にどぶ板の走る幅一間に満たない路地があり、それを二棟の古びた棟割長屋が挟んでいる。左手の棟には九尺二間に割られた平屋三坪の住戸が並び、弥三の塒は奥から二軒目。向かいの棟も同じような作りだが、奥の三軒だけはやや間口が広いようだ。路地の突き当たりは腐りかけた板塀で行き止まり。塀には開き戸がついているが、その向こう側には、湾につながる堀割に流れ込む幅一間ほどのどぶが澱んだ泥水をたたえていて、開けてうっかり踏みだすとドボン!なので普段は締切である。どぶの向かい側にはお武家の屋敷裏の高い土塀が続いているのだけれど、まあどんづまり長屋の非常口みたいなものか。

 左手の棟割長屋の終端と板塀の間の隅にクロモジの木が一本植わっていて、ちょっとした空間があり、共同の雪隠と井戸、塵芥溜め桶が設けられている。道具を塒の戸口に置いた弥三は、袢纏の埃を払いながら路地を井戸端まで進み、水で手拭いを湿らせて首筋を拭くとひと息付いて伸びをした。そして横目で雪隠所をちらと見ながら板塀の際まで歩むと、前をたくしあげて地べたに勢い良く立小便をする。どうやらこれが弥三の仕事仕舞いの習慣になっているようだ。

 ジョロジョロジョロジョロ...「蚯蚓も蛙も御免、とォ」
 すると雪隠脇の部屋の中から声がかかった。
「おいこら弥三、また立小便かい。いい加減にしてくれよナ。目ン前に雪隠があるというのによォ、もう毎日毎日じゃねえか」
 苦情の主は、長屋の一番奥の住人で弥三の右隣に住まう指物師の留吉である。この男も三十がらみのやもめだ。こちらは居職なので長屋に篭って日がなコツコツと仕事をしているが、なにせ四畳半一間。小さな茶箪笥や行灯などの注文を受けるのがせいぜいである。

「おお、留か。すまねえな。俺は餓鬼の頃から狭いところがどうも苦手でヨ。特にここの雪隠は陰気でどうもいけねえ。申し訳ないとは思ってんだが、クセになっちまっててこれだけは金輪際やめられねいんだ」
「まあよ、オイラん家はどうせ雪隠の隣だから臭エのは一緒だ構わねえ。ただよ、そのジョンジョロリン、パッパッパ...つう音が、どうも気に触るんでい」
「小便の音だとぉ、一日中ガリゴリと鋸や鉋の音を撒き散らしてるお前にゃ言われたくねえな。たかが小便じゃないか、大したことじゃあんめえに。金玉小せエなアまったく」
「いや、お前がそこでするもんだから、向かいの慎之介までが真似してやりやがるんだ。あいつは遊び帰りでいつも夜中だしよ。それに最近、なんだかその音がだんだん大きくなってきてるような気がするんでい、たまんねえ」ぼやきつつ留吉も井戸端に出てきた。
 言われた弥三が足元を見ると、度重なる小便の勢いに少しずつ掘りさげられた地面から何やら磨かれた石板のようなものが顔を出している。飛沫音が大きくなった原因はどうやらこいつにあるようだ。

 弥三は毎日毎日小便の滝を落とし続けてきた場所をよく見ようとしゃがみこんだ。
「弥三兄ィ、何を見てんだよ。何かあんのかい?」留吉が尋ねる。
「う~ん。臭エなあ。けど日が落ちちまってよく見えねえ。留、すまねえが、お前ェんちから手燭を持ってきてくんな」
 留吉は「おうよ」と、請け合って、「しかし今宵は長屋の連中、誰もいやがらねえ。皆どこへ行ってやがんだい」つぶやきながら腰高障子を引いた。

つづく...のか?

おことわり※この駄文は2007年10月から当欄先代「ぼやコラ」に手遊び掲載していた「金魚長屋」の再録です。四回くらいまで連載したところで管理人が入院の憂き目にあい中断、その後サーバー障害により、全データを消失しておりました。「わはは、屑文章が藻屑になったあ!」と全然惜しくも何とも思ってなかったのですが、先日ローカルディスクの片隅にて奇跡的にバックアップログを発見しました。失われたものが予期せず戻ってくると、もったいない精神がじんわり湧いてきましたんで、カテゴリ「ぼやノベ」としてとりあえず公開しておくことにしました。内容は掲載当時のままで推敲も時代考証もなんもなしです。元ログと現行タグの形式等に調整が必要なので手直しのヒマを見つけながらぼちぼちアップしてゆきます。ログが尽きた時点から続きを新たに書くかどうかはまだわかりません。だって、脳梗塞前とその後のあたしは別人格ですから(笑)。粗末なモノを再び往来に晒す無礼をお許しくださいませ(cave)

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