2009年11月アーカイブ


btw_04_1.jpg
東海道本線 東淀川駅(2009.06.26撮影)

今回のぼやテツは、古モノではなく今年の6月の撮影であります。脳梗塞をくらってからもうすぐ2年になるんですけど、いまだ毎月一度は、入院していた病院の脳外科外来に診察と薬を処方してもらいに通っております。病院は新大阪。行きは地下鉄に乗るんですが、帰り道は健康のためできるだけ歩いて帰るようにしております。ゆっくり歩いて45分くらいの道のりですが、間に神崎川がデーンと構えているので橋がネックとなり散歩のコースがかなり限定されてしまいます。そんなわけで細かな道をいろいろ歩き分けてバリエーションをつけているんです。

JR新大阪駅から在来線の南側を歩いてゆくと、ほん近くの東淀川駅の手前の宮原1丁目に長い跨線歩道橋がありまして、この日はなんとなく線路が見たいと思って渡ることにしました。東海道線の上り線の上あたりで、自販機で買った缶コーヒーをプシュ!と開けて、ぼんやり線路を眺めておりました。平日のお昼頃にこんなのんびりしたことができるのは、ほぼ失業者ならではなのであります。しかし、もっと仕事がしたい! いや、断じてせねばならぬのであります!...は今は置いといて。

btw_04_2.jpg
485系 A01編成 雷鳥 パノラマグリーン車 新大阪〜東淀川(2009.06.26撮影)

東淀川駅方面を見ると、ほぼ開かずの踏切に近い踏切が見下ろせますので、コーヒー飲みながらしばらく見てますと、全然開かないかと思えばそうでもなく、結構エアポケットというか気持ちの悪いくらい列車が来ないタイミングもあるんですな。で、貨物列車や新快速などがあっちゃ行ったりこっちゃに来たりしてるのを眺めてましたが、カバンにサブのデジカメを入れていたのを思い出したので何気に数枚撮影しました。そのときの写真であります。雷鳥やらスーパーくろしおのパノラマグリーン車なんかが通りました。貨物列車も撮ったけどね。


TOMIX クロ481
しかしこうして電化された多線区間を上から眺めるというのも、なかなか面白いもんですな。架線もジグザグに張られてるのがよくわかりますし、JRの線路はまさにナローゲージです。昔から、阪急とセッてあんまりカーブで飛ばしたら脱線するでェといつも思ってたら、あんのじょう尼崎の方で脱線しました。つらつらと20分くらい見てから東三国方面に渡って、とぼとぼと帰宅の徒に着きました。ご退屈さま。

btw_04_3.jpg
381系 スーパーくろしお パノラマグリーン車 新大阪〜東淀川(2009.06.26撮影)

本編:蒸気機関車と鉄道趣味


btw_01_2.jpg関西本線加太駅の駅名板であります。撮影日時は昭和47年4月1日。この日はひとつ亀山方の関駅で下車し、撮影しながら線路伝いに加太駅まで歩きました。4月というのに結構寒くてときどき牡丹雪に降られたのを思い出します。春休みに三重県津市にあった親戚に厄介になり、従兄弟と一緒に4日間、蒸機撮影三昧をしたのであります。3月29、31、4月1日はここ加太で撮影し、3月30日のみ参宮線方面に行ったと思います。参宮線は蒸機牽引列車の本数が少なかったのでやはり大方は加太中心の撮影行となったようです。

btl_03_1.jpg
加太駅で記念撮影。昭和47年4月1日撮影
加太駅は現在、関西本線の非電化区間では唯一の完全無人駅になっているそうですが、駅名板は、このときより大きな立派なものに替えられているようですな。Wikipediaの加太駅の項に、現在の駅舎の写真が掲載されてますが、駅本屋の建物自体は昔のままのようです。さて右の写真は加太駅での記念撮影。写っている育ちの良さそうな坊ンについてのコメントは差し控えますけど、背後の駅舎に注目しましょう。

Wikipedia掲載の現況写真と見比べてみると、まず窓がサッシに変わってますね。それから玄関戸袋の部分も埋められてしまったように見えますが昭和47年当時は板の雨戸が嵌まっていたようです。また現況にみられる赤い郵便ポストは、ちょっと育ちの良さそうな坊ンの陰になってしまってますけど、当時もあったようです。ただ脚で立っているのではなく、駅舎の壁に直付けされていたみたいですね。ポストのうえにある板票には「警察官立寄所」と墨書されてます。

btw_03_3.jpg
柘植方面より加太駅構内を見る。発車する貨物列車はD51718[亀]牽引。昭和47年(1972)4月1日撮影


Nゲージ ストラクチャー(鉄道関連施設) ローカル駅舎セット (イージーキット) #23-220
KATO ローカル駅舎セット
加太駅構内の様子も載せておきましょう。柘植方から駅本屋方面を見たところです。Wikipediaにある構内写真とは反対向きになりますが、無蓋跨線橋が見えません。無人化される時につけられたのかな。昭和37年に貨物扱いが廃止になってますが、まだ貨物駅だったころの雰囲気が残ってます。写真右手の空き地には農業倉庫が建っていたのかもしれません。右に見える2本の看板は両方とも「構内通行厳禁!ご乗車の方は改札口にお廻り下さい 駅長」とあります。まあウンカのように押し寄せた鉄道マニアへの警告ですね。亀山方面方ホームにはソテツ様の樹木が植えられているなど典型的なローカル小駅の風情を醸してました。

関連写真は本編:Train25 関西本線(加太)D51形にあります。


btw_02_1.jpg
昭和47年(1972)9月〜10月頃 国鉄奈良線 桃山〜木幡 キハ17133

あたしの地元で撮った写真です。場所は国鉄奈良線の桃山〜木幡(当時)間。たぶん桃山駅を出てすぐの切り通しのところですな。写真右手に乃木神社と明治天皇陵があります。結構鬱蒼としてました。日時は昭和47年の9月末〜10月上旬あたりだと思われますがはっきりしません。当時の奈良線にはC58牽引の荷・貨物列車が日に何本か走ってました。夜にズバリクとかバチョンを聴いてると、日通の集荷所があって結構大きな貨物取扱駅だった桃山駅から、時々風に乗って汽笛が聴こえて来たもんです。あの風情は懐かしいなあ。



TOMIX キハ17形
さて上のクズ写真に写っているのはキハ10系のキハ17形。両端にドアのある片運転台バス窓便所付きの気動車です。単線非電化であった奈良線ですが、キハ10系と20系がゴタマゼ編成で普段は2〜3両、通勤時などには5両くらい繋いで走ってたのもありましたねえ。後にキハ35も混ざるようになりました。この写真の車両は拡大してみるとキハ17133と読めます。たぶん2両編成でしょう。ネガの前後に蒸機が写っていないので、なんでディーゼルカーなんか撮ったんだろ?という感じです。お目当てのC58のスジがこの日はウヤ(運休)になったんでしょうか。ウヤでワヤ(笑)。地元なんで奈良線の気動車は今後もぽろぽろと出てくると思いますけどね。

btw_02_2.jpg
btm_02_3.jpg下の写真は上のキハ17撮影地点よりやや京都寄りか。跨線橋の向こうが桃山駅の構内になります。橋の手前左には腕木信号機みたいなものが見えます(小写真は部分拡大)。へえ、まだ腕木やったんか...。もっとちゃんと写真撮っときゃなあ。手前右にはハエタタキがありますな。自分の子供の頃なんて最近だと思ってましたが、もはや結構昔なんですねえ。

本編:蒸気機関車と鉄道趣味

偏屈 twitter

@boyacave

偏屈 YouTubeチャンネル

サイト内検索

偏屈の洞窟 アーカイブ

YAHOO!カテゴリ

studiocave —偏屈の洞窟—は
ヤフカテ登録サイトです。
YAHOO!カテゴリ→ ヤドカリ

about & archive

my friends

プライバシーポリシー

当サイトでは、第三者配信による広告サービスを利用しています。このような広告配信事業者は、ユーザーの興味に応じた商品やサービスの広告を表示するため、当サイトや他サイトへのアクセスに関する情報(氏名、住所、メールアドレス、電話番号は含まれません)を使用することがあります。このプロセスの詳細やこのような情報が広告配信事業者に使用されないようにする方法については、こちらを参照してください。

当サイトに掲載している商品はアフィリエイトプログラムとの提携です。商品のご注文・お支払いはリンク先の企業とのお取引となりますので、掲載商品に関するお問い合わせなどはリンク先企業へお願いします。
Powered by Movable Type 5.13-ja

boyakin

SPONSORED LINKS

RAKUTEN ICHIBA

おすすめ物件

このアーカイブについて

このページには、2009年11月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2009年10月です。

次のアーカイブは2009年12月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

アウトドア用品