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あたしの地元で撮った写真です。場所は国鉄奈良線の桃山〜木幡(当時)間。たぶん桃山駅を出てすぐの切り通しのところですな。写真右手に乃木神社と明治天皇陵があります。結構鬱蒼としてました。日時は昭和47年の9月末〜10月上旬あたりだと思われますがはっきりしません。当時の奈良線にはC58牽引の荷・貨物列車が日に何本か走ってました。夜にズバリクとかバチョンを聴いてると、日通の集荷所があって結構大きな貨物取扱駅だった桃山駅から、時々風に乗って汽笛が聴こえて来たもんです。あの風情は懐かしいなあ。
さて上のクズ写真に写っているのはキハ10系のキハ17形。両端にドアのある片運転台バス窓便所付きの気動車です。単線非電化であった奈良線ですが、キハ10系と20系がゴタマゼ編成で普段は2〜3両、通勤時などには5両くらい繋いで走ってたのもありましたねえ。後にキハ35も混ざるようになりました。この写真の車両は拡大してみるとキハ17133と読めます。たぶん2両編成でしょう。ネガの前後に蒸機が写っていないので、なんでディーゼルカーなんか撮ったんだろ?という感じです。お目当てのC58のスジがこの日はウヤ(運休)になったんでしょうか。ウヤでワヤ(笑)。地元なんで奈良線の気動車は今後もぽろぽろと出てくると思いますけどね。
下の写真は上のキハ17撮影地点よりやや京都寄りか。跨線橋の向こうが桃山駅の構内になります。橋の手前左には腕木信号機みたいなものが見えます(小写真は部分拡大)。へえ、まだ腕木やったんか...。もっとちゃんと写真撮っときゃなあ。手前右にはハエタタキがありますな。自分の子供の頃なんて最近だと思ってましたが、もはや結構昔なんですねえ。
本編:蒸気機関車と鉄道趣味
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昭和47年(1972)9月〜10月頃 国鉄奈良線 桃山〜木幡 キハ17133
あたしの地元で撮った写真です。場所は国鉄奈良線の桃山〜木幡(当時)間。たぶん桃山駅を出てすぐの切り通しのところですな。写真右手に乃木神社と明治天皇陵があります。結構鬱蒼としてました。日時は昭和47年の9月末〜10月上旬あたりだと思われますがはっきりしません。当時の奈良線にはC58牽引の荷・貨物列車が日に何本か走ってました。夜にズバリクとかバチョンを聴いてると、日通の集荷所があって結構大きな貨物取扱駅だった桃山駅から、時々風に乗って汽笛が聴こえて来たもんです。あの風情は懐かしいなあ。
さて上のクズ写真に写っているのはキハ10系のキハ17形。両端にドアのある片運転台バス窓便所付きの気動車です。単線非電化であった奈良線ですが、キハ10系と20系がゴタマゼ編成で普段は2〜3両、通勤時などには5両くらい繋いで走ってたのもありましたねえ。後にキハ35も混ざるようになりました。この写真の車両は拡大してみるとキハ17133と読めます。たぶん2両編成でしょう。ネガの前後に蒸機が写っていないので、なんでディーゼルカーなんか撮ったんだろ?という感じです。お目当てのC58のスジがこの日はウヤ(運休)になったんでしょうか。ウヤでワヤ(笑)。地元なんで奈良線の気動車は今後もぽろぽろと出てくると思いますけどね。
下の写真は上のキハ17撮影地点よりやや京都寄りか。跨線橋の向こうが桃山駅の構内になります。橋の手前左には腕木信号機みたいなものが見えます(小写真は部分拡大)。へえ、まだ腕木やったんか...。もっとちゃんと写真撮っときゃなあ。手前右にはハエタタキがありますな。自分の子供の頃なんて最近だと思ってましたが、もはや結構昔なんですねえ。
本編:蒸気機関車と鉄道趣味