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藤圭子の次は天地真理
今から思えばちょっと信じられないが、その当時大ざっぱに言えば「清純派」といえば 藤圭子 で、「お色気派」が辺見マリ。まあ調べて見れば他にもいっぱい歌手名を思いだしてくるのだとは思うが、あたし的に引っ掛った覚えのあるのはこのふたりしかなかった。なんという選択肢の少なさ!
結果、二者択一で藤圭子組に属したとも言えるわけだが、老若男女日本国民全部が知っているスタアは、こういう状況で生まれていたのであって、これは百花繚乱の現在より良い時代だったといえないこともなかろう。浜崎あゆみがミリオン売っていても、あたしを含め顔と唄とが一致しないばかりか、存在すら全く知らない国民がヤマほどいるようだから、スタアにとってもやや空しさがあるのは否めない。ま、当時に比べりゃ小粒にすぎないと言うことですかな。
ややこしくなるので洋モノは割愛して、歌謡曲に絞って書くことにすると、藤圭子の次はといえば、「天地真理」の出現があった。この梶原一騎命名の埼玉産新型アイドルに、当時のガキ共は大いに震撼させられた。今も時々テレビに出演しておられるようで、その姿のみでご存知の方には全く理解不能だと思うが、とにかく凄まじいパワーの新種のオーラを振り撒いたんである。わかんね~だろ~な~。ね、そうでしたよね、ご同輩。
最近でいうなら貴騒動直前の宮沢りえがやや近いか。アイドルの本質的なものから言うと、宮沢のほうが断然高品質なのだが、しかしあの天地の怒濤のノリは何だったんだろうな?そのうねりに呑まれて、わたしも一瞬だがハマってしまったことを認めざるを得ない。だがいったいどこが良かったのか? ね、そうですよね、ご同輩。う~ん芸能界七不思議のひとつである。
その天地のワキを固めるように南沙織と小柳ルミ子、浅丘めぐみなんてのがでてきた。アグネスチャンや中三トリオ(山口・桜田・森)もでてきた。天地の独走に嫌気がさしていたあたしは(だってやはり希少な立場にいたいじゃないですか。マイナー嗜好というか、マニアックというか)、南に触手を伸ばしかけたものの、こちらはちょっとスマートすぎると感じ二の足を踏んだのである。
素直なところでは南で決まりなのだが、当時から偏屈の兆しの見えていたあたしは、もう少しマイナーなアイドル付きでいたかったのである。小柳は演歌系だし却下。浅丘の曲はノリがよかったが、オカメ顔で却下。アグネスは大きすぎるおっぱいがどうもダメだった。それに輸入ものならジュディ・オングという強烈に美しいおねーさまがいたのである。んで中三トリオは恥ずかしながらあたしと同い年である。ニキビ少年はお姉さまにあこがれるもの。こちらにはピクリとも来なかった。その挟撃を突いて出てきたのが、なんとまあ「浅田美代子」である。
不肖私、浅田美代子の生写真を撮りにゆき
昭和48年10月7日/伏見桃山城 castle hall(折しも2003年1月末で閉園してしまった遊園地である。当時の隆盛はなかなかのものであったのだが...)写真のスペックを見ると、Minolta SRT101/ズームロッコール100~200mm f5.6 + 2倍のコムラーテレモア f3.5/ネオパンSSS(ASA800に増感)とある。しかし無茶ですな。開放値いったいいくらなんや? 当時のあたしの意気込みが垣間みえて恥ずかしいこと。
顔も野暮いし唄もとんでもないアイドルだったので、マニアック路線が満たされると信じ、また年齢もすこしお姉さんだったのですかさずこれに飛びついた。が、イカンセンいきなり大ブレイクしてしまったのである。既にファンであることを周囲に表明してしまった手前もはや撤回は許されない。次から次へとデビューしてくる魅力的なアイドルを横目に、しばらくの間、浅田付きで行く羽目となってしまったのである。(苦しい弁解だな)
考えてみるに、その後ハマったアイドルといえば、五十嵐じゅん、風吹ジュン、大場久美子、相本久美子、森下愛子、高見知佳、伊藤蘭...(年代順不同)てなところか。なんだジュンジュンクミクミになってるし。まあ伊藤を除けば、マニアックにという信念は貫いてきたな、とは思う。
しかしこうして並べて見てみると吉田拓郎には浅田と森下をダブルで持っていかれてしまってるなあ。あたしと好みが似てるのか?吉田。(2003-02-05 掲載記事を復刻)
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藤圭子の次は天地真理
今から思えばちょっと信じられないが、その当時大ざっぱに言えば「清純派」といえば 藤圭子 で、「お色気派」が辺見マリ。まあ調べて見れば他にもいっぱい歌手名を思いだしてくるのだとは思うが、あたし的に引っ掛った覚えのあるのはこのふたりしかなかった。なんという選択肢の少なさ!
結果、二者択一で藤圭子組に属したとも言えるわけだが、老若男女日本国民全部が知っているスタアは、こういう状況で生まれていたのであって、これは百花繚乱の現在より良い時代だったといえないこともなかろう。浜崎あゆみがミリオン売っていても、あたしを含め顔と唄とが一致しないばかりか、存在すら全く知らない国民がヤマほどいるようだから、スタアにとってもやや空しさがあるのは否めない。ま、当時に比べりゃ小粒にすぎないと言うことですかな。
ややこしくなるので洋モノは割愛して、歌謡曲に絞って書くことにすると、藤圭子の次はといえば、「天地真理」の出現があった。この梶原一騎命名の埼玉産新型アイドルに、当時のガキ共は大いに震撼させられた。今も時々テレビに出演しておられるようで、その姿のみでご存知の方には全く理解不能だと思うが、とにかく凄まじいパワーの新種のオーラを振り撒いたんである。わかんね~だろ~な~。ね、そうでしたよね、ご同輩。
最近でいうなら貴騒動直前の宮沢りえがやや近いか。アイドルの本質的なものから言うと、宮沢のほうが断然高品質なのだが、しかしあの天地の怒濤のノリは何だったんだろうな?そのうねりに呑まれて、わたしも一瞬だがハマってしまったことを認めざるを得ない。だがいったいどこが良かったのか? ね、そうですよね、ご同輩。う~ん芸能界七不思議のひとつである。
その天地のワキを固めるように南沙織と小柳ルミ子、浅丘めぐみなんてのがでてきた。アグネスチャンや中三トリオ(山口・桜田・森)もでてきた。天地の独走に嫌気がさしていたあたしは(だってやはり希少な立場にいたいじゃないですか。マイナー嗜好というか、マニアックというか)、南に触手を伸ばしかけたものの、こちらはちょっとスマートすぎると感じ二の足を踏んだのである。
素直なところでは南で決まりなのだが、当時から偏屈の兆しの見えていたあたしは、もう少しマイナーなアイドル付きでいたかったのである。小柳は演歌系だし却下。浅丘の曲はノリがよかったが、オカメ顔で却下。アグネスは大きすぎるおっぱいがどうもダメだった。それに輸入ものならジュディ・オングという強烈に美しいおねーさまがいたのである。んで中三トリオは恥ずかしながらあたしと同い年である。ニキビ少年はお姉さまにあこがれるもの。こちらにはピクリとも来なかった。その挟撃を突いて出てきたのが、なんとまあ「浅田美代子」である。
不肖私、浅田美代子の生写真を撮りにゆき
昭和48年10月7日/伏見桃山城 castle hall(折しも2003年1月末で閉園してしまった遊園地である。当時の隆盛はなかなかのものであったのだが...)写真のスペックを見ると、Minolta SRT101/ズームロッコール100~200mm f5.6 + 2倍のコムラーテレモア f3.5/ネオパンSSS(ASA800に増感)とある。しかし無茶ですな。開放値いったいいくらなんや? 当時のあたしの意気込みが垣間みえて恥ずかしいこと。
顔も野暮いし唄もとんでもないアイドルだったので、マニアック路線が満たされると信じ、また年齢もすこしお姉さんだったのですかさずこれに飛びついた。が、イカンセンいきなり大ブレイクしてしまったのである。既にファンであることを周囲に表明してしまった手前もはや撤回は許されない。次から次へとデビューしてくる魅力的なアイドルを横目に、しばらくの間、浅田付きで行く羽目となってしまったのである。(苦しい弁解だな)
考えてみるに、その後ハマったアイドルといえば、五十嵐じゅん、風吹ジュン、大場久美子、相本久美子、森下愛子、高見知佳、伊藤蘭...(年代順不同)てなところか。なんだジュンジュンクミクミになってるし。まあ伊藤を除けば、マニアックにという信念は貫いてきたな、とは思う。
しかしこうして並べて見てみると吉田拓郎には浅田と森下をダブルで持っていかれてしまってるなあ。あたしと好みが似てるのか?吉田。(2003-02-05 掲載記事を復刻)