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...さて、最近追加してます「昭和のこと」シリーズについてちょっと弁解を。古い読者のみなさんには既読感があると思いますけど、これらの文章、レンタルBBSを利用して2002〜2008年くらいに旧「ぼやコラ」にアップしてたものです。そのログをOCNサーバの倉庫に収納してたんですが、そちらもサービスが終了してしまい、ネットから消えたまましばらく放置してました。
ま、古いネタなんで消えちまっても別にいいんですが、当欄の更新も停滞してる折なもんで、めぼしい回だけ拾って倉庫カテゴリ「古ぼやコラ」に再録することにした次第です。コラムの最後にアップ当時の日付を入れておきます。古いコラムの蒸し返しで恐縮ですが、どうかお付き合いのほどを(管理人敬白)
昭和のアイドルたち
血液型がA型の人間は、昔のことによく拘る、と書かれているのを何処かで読んだ気がするが、あたしもA型だ。当サイトでもレトロものコンテンツが大きなスペースを占めているし、残存するブツの保有量も多い。B型の友人に直接指摘されたこともあるが、そういえば彼らは過ぎ去ったことにあまり執着しないなあ。もっとも彼らは単に無頓着なだけで、拘らないのは何も過去の事柄に限ったことではないとも思えるのだが。
男性歌手は「低音の魅力」だった
A型の人間がおおむね懐古趣味を持ち、とくに自分の過去の記録への執着が強いという指摘にはあたしも頷ける。なんでか。それは自分のひとつひとつの行いを入念に計画し、気を配りながら慎重に実行してきたことによると思われる。ようするにA型の過去のエピソードには手が掛かっているのである。気も掛かっているのである。B型がなんとなく愉しんで通過してしまうような事柄にでも、A型は元手を費やしているからである、と思うのだがどうか。
NHKラジオの年寄向け深夜放送を毎晩聞いているのだが、午前3時台のコーナーは「日本歌謡年代史」と決まっていて、たとえばある夜は「昭和7年の歌謡曲から」といった具合に、昔ヒットした楽曲がオンエアされる。毎晩聞いていると数日に一度は、あたしの琴線に触れる時代の唄がローテーションしてくるのである。そんな番組を聞きながら、A型のあたしが思いを巡らせたことを、いくつか、数回に分けて。
ガキ当時、オフクロ(ま、関西では、おかあちゃん、なのだが)連が、もてはやしていた男性ムード歌謡、いわゆる「フランク永井」「バーブ佐竹」「石原裕次郎」等、『低音の魅力』てなキャッチフレーズの着いていたたぐいの歌い手は、凄い歌唱力だと信じ込まされていたが、今聞いてみると、みんな下手くそなことを発見した。贔屓目ならぬ贔屓耳で聞いてやろうとするのだが、どうも歌にアラが目立つ。そこらのカラオケのおっさんにも、もっと上手い人がいるぞ。
思うに、まあ聞き手全体のレベルが低かったし、録音後の修正などが困難だったこともあろうが、あの頃の芸能人って遊び方がハンパじゃなかったんだろうし、レコーディング時の体調管理もエーカゲンだったのだろうと思う。まあ、世間をナメて掛かっていたというか、全力でもその程度だったというか。米国の大御所歌手に比べると質的なものは雲泥の差である。文化というものはこういうものだ。当時の製品と同様、メイド・イン・ジャパンなのであった。
17歳にして女の情念を歌いきった藤圭子
ところが、女性歌手は違う。米国とは比較しにくいのだが、低年齢でありながら、男性歌手に比べても堂々たるものである。いまさら「美空ひばり」は持ち出さないけれど、日本の大衆文化においては、女性の能力は男のそれを凌駕しているものが多い。歌唱力に関しては現在に至っても、まったくそのままで、本来「紅白」なんて、ずっと「紅」組の連勝であるべきである。
あたしが初めて目覚めたアイドル、つまり、ラジオの歌に耳を澄ませ、テレビ出演を欠かさず観て、部屋にポスターなどを貼った最初の女性アイドルは、「藤圭子」であった。何たってあなた、今やヒッキーのかあちゃんなのであるが、前出のラジオで昔のヒット曲を改めて聞いてみると、その凄まじい歌唱力に驚く。
歌唱力、と言うのは正しくないかもしれない。おんなの生き様、情念、酒に溺れ、男に騙され、捨てられる女、貧しく不幸な身の上、こんなものをね、17歳で唄いあげきっているんですよ! つーか表現しているんですな。17歳!(当時)で。「女のブルース」、じっくり聞いてごらんなさいませ。背筋ゾクゾクします。
また、亡くなられた青江三奈さんの「恍惚のブルース」。これ彼女が22歳のときの曲らしいですが、この全て悟りきったような表現力はどうしたものでしょう? で、今のモー娘。とかって一体いくつくらいなんだ?
ま、モー娘。は置いといて、藤圭子を初めとする当時の女性アイドルの弩級の歌唱表現力に比べて、男性歌手のエエ加減さが際立って見える。遊び過ぎ、天狗になり過ぎ、世の中ナメ過ぎだったんでしょうな。もっともこの傾向、現在の日本男児にはもっと顕著に現われておりまして、このことについてはまた別の機会にぼやくことに。(2003-01-25 掲載記事を復刻)
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...さて、最近追加してます「昭和のこと」シリーズについてちょっと弁解を。古い読者のみなさんには既読感があると思いますけど、これらの文章、レンタルBBSを利用して2002〜2008年くらいに旧「ぼやコラ」にアップしてたものです。そのログをOCNサーバの倉庫に収納してたんですが、そちらもサービスが終了してしまい、ネットから消えたまましばらく放置してました。
ま、古いネタなんで消えちまっても別にいいんですが、当欄の更新も停滞してる折なもんで、めぼしい回だけ拾って倉庫カテゴリ「古ぼやコラ」に再録することにした次第です。コラムの最後にアップ当時の日付を入れておきます。古いコラムの蒸し返しで恐縮ですが、どうかお付き合いのほどを(管理人敬白)
昭和のアイドルたち
血液型がA型の人間は、昔のことによく拘る、と書かれているのを何処かで読んだ気がするが、あたしもA型だ。当サイトでもレトロものコンテンツが大きなスペースを占めているし、残存するブツの保有量も多い。B型の友人に直接指摘されたこともあるが、そういえば彼らは過ぎ去ったことにあまり執着しないなあ。もっとも彼らは単に無頓着なだけで、拘らないのは何も過去の事柄に限ったことではないとも思えるのだが。
男性歌手は「低音の魅力」だった
A型の人間がおおむね懐古趣味を持ち、とくに自分の過去の記録への執着が強いという指摘にはあたしも頷ける。なんでか。それは自分のひとつひとつの行いを入念に計画し、気を配りながら慎重に実行してきたことによると思われる。ようするにA型の過去のエピソードには手が掛かっているのである。気も掛かっているのである。B型がなんとなく愉しんで通過してしまうような事柄にでも、A型は元手を費やしているからである、と思うのだがどうか。
NHKラジオの年寄向け深夜放送を毎晩聞いているのだが、午前3時台のコーナーは「日本歌謡年代史」と決まっていて、たとえばある夜は「昭和7年の歌謡曲から」といった具合に、昔ヒットした楽曲がオンエアされる。毎晩聞いていると数日に一度は、あたしの琴線に触れる時代の唄がローテーションしてくるのである。そんな番組を聞きながら、A型のあたしが思いを巡らせたことを、いくつか、数回に分けて。
ガキ当時、オフクロ(ま、関西では、おかあちゃん、なのだが)連が、もてはやしていた男性ムード歌謡、いわゆる「フランク永井」「バーブ佐竹」「石原裕次郎」等、『低音の魅力』てなキャッチフレーズの着いていたたぐいの歌い手は、凄い歌唱力だと信じ込まされていたが、今聞いてみると、みんな下手くそなことを発見した。贔屓目ならぬ贔屓耳で聞いてやろうとするのだが、どうも歌にアラが目立つ。そこらのカラオケのおっさんにも、もっと上手い人がいるぞ。
思うに、まあ聞き手全体のレベルが低かったし、録音後の修正などが困難だったこともあろうが、あの頃の芸能人って遊び方がハンパじゃなかったんだろうし、レコーディング時の体調管理もエーカゲンだったのだろうと思う。まあ、世間をナメて掛かっていたというか、全力でもその程度だったというか。米国の大御所歌手に比べると質的なものは雲泥の差である。文化というものはこういうものだ。当時の製品と同様、メイド・イン・ジャパンなのであった。
17歳にして女の情念を歌いきった藤圭子
ところが、女性歌手は違う。米国とは比較しにくいのだが、低年齢でありながら、男性歌手に比べても堂々たるものである。いまさら「美空ひばり」は持ち出さないけれど、日本の大衆文化においては、女性の能力は男のそれを凌駕しているものが多い。歌唱力に関しては現在に至っても、まったくそのままで、本来「紅白」なんて、ずっと「紅」組の連勝であるべきである。
あたしが初めて目覚めたアイドル、つまり、ラジオの歌に耳を澄ませ、テレビ出演を欠かさず観て、部屋にポスターなどを貼った最初の女性アイドルは、「藤圭子」であった。何たってあなた、今やヒッキーのかあちゃんなのであるが、前出のラジオで昔のヒット曲を改めて聞いてみると、その凄まじい歌唱力に驚く。
歌唱力、と言うのは正しくないかもしれない。おんなの生き様、情念、酒に溺れ、男に騙され、捨てられる女、貧しく不幸な身の上、こんなものをね、17歳で唄いあげきっているんですよ! つーか表現しているんですな。17歳!(当時)で。「女のブルース」、じっくり聞いてごらんなさいませ。背筋ゾクゾクします。
また、亡くなられた青江三奈さんの「恍惚のブルース」。これ彼女が22歳のときの曲らしいですが、この全て悟りきったような表現力はどうしたものでしょう? で、今のモー娘。とかって一体いくつくらいなんだ?
ま、モー娘。は置いといて、藤圭子を初めとする当時の女性アイドルの弩級の歌唱表現力に比べて、男性歌手のエエ加減さが際立って見える。遊び過ぎ、天狗になり過ぎ、世の中ナメ過ぎだったんでしょうな。もっともこの傾向、現在の日本男児にはもっと顕著に現われておりまして、このことについてはまた別の機会にぼやくことに。(2003-01-25 掲載記事を復刻)