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美味いインスタントカップやきそばはたくさんあるけど、わたしは誰がなんたって「日清焼そば(袋)」が一等だと思ってます。フライパンの水が蒸発して「いまだっ!」という頃合いがあり、そこですかさず粉末ソースを投入。「ちりちりちり」と音がして......ちょうど良い加減に仕上げ、青のりをまぶすこの醍醐味。う~んやっぱり、日清焼そば(袋)はうまい!
一番のお気に入りは日清焼そば!
「日清焼そば」なんである。実は今日、久々に食してしまったのだ。それもたて続けに2食も(一度には作らない、別々)。手前の手で調理して食べると、選から外したことに申し訳ない気持ちが、ずずいと湧きだしてしまった。
みなさんはご存知か?袋麺の「日清焼そば」。テレビを見つけないもので、最近この商品のコマーシャルが流れているかどうかは知らない。しかし私がワカモノの頃は「♪~日清焼そば、焼・こ・う!」というCMソングにのせて、盛んに宣伝していたものである。
フライパンにコップ一杯強の水を入れ沸騰させる。そこにインスタントめんを入れ、水井分を吸わせながらほぐす。すると、蒸発する水分と乾麺が吸収する水分で、フライパンの水がどんどん少なくなる。その後、私流に言わせていただければ、「いまだっ!」という頃合いがあり、すかさず粉末ソース投入!
...ここからは一瞬たりとも目が離せないし手も離せない。包装に書かれた「作り方」の表現、「ちりちりと音がする...」つうのが好きなのだが、この最期のタイミングで食感をいかようにも左右できるのだ。ん~、この緊張感がなんともいえないんだなあ。
カップ系やきそばにはない愉しみが...
後に同社から世界初のカップ焼そば「U.F.O.」が発売されたとき、あたしは考察した。確かに「UFO」には乾燥野菜の具は付いているうえ、フライパンや皿も必要とせず革新的ではあるが、本質的な調理過程は「日清焼そば」のほうがテクニックを要し、その分、好みの味に仕上げられる選択肢がある。
これはチキンラーメンを「鍋で煮るとさらに美味しく召し上がれます」というのとはニュアンスが違うのであって...まあいい。とにかく仁鶴、この最期の何秒かのタイミングの案配で、いろいろな風味に仕上げることが可能なのである!
そしてフライパンから手早く皿に移し、添付薬味の青のりをフリカケてササさっと食するのである!(あたしはインスタント食品には、有り合わせの野菜や具を入れないで、商品の内容のみで食することを身上としている)
うむ、なんとも独特の味わいなのである。旨いと思うか不味いと思うかは人によりけりだろうが、取りあえずこれを「焼そば」と呼んでいいのであろうか? 詐欺に当たるのではないか? などと考えつつ食せるので、週刊誌新聞など無くても食事が終わる。
当時の経済事情や色恋事情など、まあ野暮風情と言うようなものが走馬灯のように回りながら加味されてではあるが、あたしにとってはなんとも摩訶不思議な独特の、思い入れある味わいなのである。
難はといえば、コートの剥げたフライパンにはキッチリ麺が焦げ付く。ので、やもめの一人暮らしには鬱陶しい食後の作業を覚悟しなくてはならないことか。かといって焦げ付かないような水分多めの作り方をするとこれが旨くないんだ。ここが「日清焼そば」のジレンマなのである。ま、この面倒のせいで、割高なカップ製品に主流を奪われてしまったのであろうけれど。
「日清焼そば」が常備メニューの酒場懐かし
やや逆上してしまって、過剰な贔屓をしているきらいもあるけれど、弁解すれば、この「日清焼そば」、あたしら〈全共闘後~共通一次試験前)の世代にとっては、単に食品としてだけではない、副文化的思い入れも入るのだ。
和製フォークロック華やかなりし頃、シラケひねこびた若者が朝までたむろする音楽酒場の唯一の空腹除去メニュウ「焼そば」が、この「日清焼そば」であることが多かった。当時その手の酒場では「味」の価値など、からきし重要視されていなかったからだが、そんなことも贔屓の要因のひとつなのではある。
手先生き様不器用なあたしが、何がどしたかトチ狂い、「飲み屋」でも開店する羽目になったとすれば、肴にはコンビーフと南京豆を供するあたりが関の山であろう。しかし、しかし店の隅っこに、この、「日清焼そば」の袋を5つぐらい積んでおく。
品書きには載せない。すっかり出来上がり小腹が空いた呑兵衛が哀願の視線をあたしに飛ばしてきたら、気合を入れ注意を怠らず、最上の「日清焼そば」を焼いて供したい。うん、一調理一食。一食作るごとに奇麗にフライパンを洗うことを約束する。(2003-04-12 掲載記事を復刻)
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美味いインスタントカップやきそばはたくさんあるけど、わたしは誰がなんたって「日清焼そば(袋)」が一等だと思ってます。フライパンの水が蒸発して「いまだっ!」という頃合いがあり、そこですかさず粉末ソースを投入。「ちりちりちり」と音がして......ちょうど良い加減に仕上げ、青のりをまぶすこの醍醐味。う~んやっぱり、日清焼そば(袋)はうまい!
一番のお気に入りは日清焼そば!
「日清焼そば」なんである。実は今日、久々に食してしまったのだ。それもたて続けに2食も(一度には作らない、別々)。手前の手で調理して食べると、選から外したことに申し訳ない気持ちが、ずずいと湧きだしてしまった。
みなさんはご存知か?袋麺の「日清焼そば」。テレビを見つけないもので、最近この商品のコマーシャルが流れているかどうかは知らない。しかし私がワカモノの頃は「♪~日清焼そば、焼・こ・う!」というCMソングにのせて、盛んに宣伝していたものである。
フライパンにコップ一杯強の水を入れ沸騰させる。そこにインスタントめんを入れ、水井分を吸わせながらほぐす。すると、蒸発する水分と乾麺が吸収する水分で、フライパンの水がどんどん少なくなる。その後、私流に言わせていただければ、「いまだっ!」という頃合いがあり、すかさず粉末ソース投入!
...ここからは一瞬たりとも目が離せないし手も離せない。包装に書かれた「作り方」の表現、「ちりちりと音がする...」つうのが好きなのだが、この最期のタイミングで食感をいかようにも左右できるのだ。ん~、この緊張感がなんともいえないんだなあ。
カップ系やきそばにはない愉しみが...
後に同社から世界初のカップ焼そば「U.F.O.」が発売されたとき、あたしは考察した。確かに「UFO」には乾燥野菜の具は付いているうえ、フライパンや皿も必要とせず革新的ではあるが、本質的な調理過程は「日清焼そば」のほうがテクニックを要し、その分、好みの味に仕上げられる選択肢がある。
これはチキンラーメンを「鍋で煮るとさらに美味しく召し上がれます」というのとはニュアンスが違うのであって...まあいい。とにかく仁鶴、この最期の何秒かのタイミングの案配で、いろいろな風味に仕上げることが可能なのである!
そしてフライパンから手早く皿に移し、添付薬味の青のりをフリカケてササさっと食するのである!(あたしはインスタント食品には、有り合わせの野菜や具を入れないで、商品の内容のみで食することを身上としている)
うむ、なんとも独特の味わいなのである。旨いと思うか不味いと思うかは人によりけりだろうが、取りあえずこれを「焼そば」と呼んでいいのであろうか? 詐欺に当たるのではないか? などと考えつつ食せるので、週刊誌新聞など無くても食事が終わる。
当時の経済事情や色恋事情など、まあ野暮風情と言うようなものが走馬灯のように回りながら加味されてではあるが、あたしにとってはなんとも摩訶不思議な独特の、思い入れある味わいなのである。
難はといえば、コートの剥げたフライパンにはキッチリ麺が焦げ付く。ので、やもめの一人暮らしには鬱陶しい食後の作業を覚悟しなくてはならないことか。かといって焦げ付かないような水分多めの作り方をするとこれが旨くないんだ。ここが「日清焼そば」のジレンマなのである。ま、この面倒のせいで、割高なカップ製品に主流を奪われてしまったのであろうけれど。
「日清焼そば」が常備メニューの酒場懐かし
やや逆上してしまって、過剰な贔屓をしているきらいもあるけれど、弁解すれば、この「日清焼そば」、あたしら〈全共闘後~共通一次試験前)の世代にとっては、単に食品としてだけではない、副文化的思い入れも入るのだ。
和製フォークロック華やかなりし頃、シラケひねこびた若者が朝までたむろする音楽酒場の唯一の空腹除去メニュウ「焼そば」が、この「日清焼そば」であることが多かった。当時その手の酒場では「味」の価値など、からきし重要視されていなかったからだが、そんなことも贔屓の要因のひとつなのではある。
手先生き様不器用なあたしが、何がどしたかトチ狂い、「飲み屋」でも開店する羽目になったとすれば、肴にはコンビーフと南京豆を供するあたりが関の山であろう。しかし、しかし店の隅っこに、この、「日清焼そば」の袋を5つぐらい積んでおく。
品書きには載せない。すっかり出来上がり小腹が空いた呑兵衛が哀願の視線をあたしに飛ばしてきたら、気合を入れ注意を怠らず、最上の「日清焼そば」を焼いて供したい。うん、一調理一食。一食作るごとに奇麗にフライパンを洗うことを約束する。(2003-04-12 掲載記事を復刻)
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