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*古いコラムのログ倉庫にしてたサーバがサービスを終了してしまったので、当欄「古ぼやコラ」カテゴリに復刻作業をしております。昔の出来事で恐縮ですが、しばらくの間ご辛抱のほどを。
これは霰粒腫という眼病で苦労していた頃の話。近所の眼医者を三軒ハシゴしたがなかなか治らず、ファンキーな参道が有名な石切神社に参詣し冗談半分神頼み。結局、眼病は次に行ったクリニックで手術をして完治することに...(小写真はクリックで拡大します)
でんぼ(腫物)の神様、東大阪の石切剱箭神社
先週末の痛飲で腫れた両眼は、クスリの服用と一週間の禁酒でようやく引いてきた。目薬が底をついてきたので今日も朝から眼医者へ通った。治療を受けながら医者と話したのだが、完治させるための方法が、あいかわらずはっきりしない。霰粒腫についても訊ねてみたが、前回は多発性だと言っていたのに加えて化膿性というコトバが付け加えられた。
わたしの場合、切除しても完治するとは限らないので、切る必要もないという。次、いつ通院せよとも言われなかったので、こらラチあかんわと思い、目薬だけもらって外へ出た。とはいえ、このままパソコン作業の支障が続くと、メシが喰えない。今度腫れたら別の眼医者に行こうと決め、「青色申告申請書」でも記入するかと家路に向かったが...。
外はえらい良い天気ではないか。かなり暑いが、それでも晴れの午前中は心地よい。この二軒目の眼科に見切りをつけるからには、三軒目を物色しなければならないのだが....今日は腫れがややマシだ。それですこし前に、冗談ながらヒラメイタ「神仏だのみ」を実践することにした。平日の昼前に、突然こういう決定ができるのも「ほぼ失業者」の特権である。
目指すは、「でんぼ(腫物)の神様」、生駒西麓、東大阪の石切剱箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)である。「眼の腫物」だから御利益もあろう。それに、ここんとこの帳簿付けのツケか、おいど(臀部)にもデンボができて痛い。ちょうど良い。
実はこの石切神社、10年前に大阪に越してきたときから訪れたかったのだが、仕事の都合で行けないままでいた。
京都の実家にいたガキの頃、祖母に連れられて四五回詣ったことがあるのだが、その参道にある薬屋や占い屋の看板や風情がキッチュで、子供ごごろに強い印象を焼き付けられた場所なのであった。
その後美大時代に「キッチュもの」に凝ったこともあり再訪したいと思ってたところ。30数年前の記憶は、つげ義春の名作「ねじ式」に見られるような、目玉を描いた眼科の看板が折り重なるように連なっていたような覚えがあり、同好の友人からもう無くなっていると聞かされていたものの、確認する良い機会だ。てなわけで踵を返し、地下鉄に乗り込んだ。
寮費・水道光熱費無料・食事付のリゾートバイト!
近鉄石切駅からキッチュなファンキー参道をゆく
30数年前に祖母と詣ったときは「新石切」駅はまだなかった。実はこの新駅のほうが「でんぼ神社」に近いのだが、やはりキッチュなファンキー参道を下って行かないと風情がないので、難波で乗り換え、近鉄奈良線の「石切」駅で降りる。
デュアルシートの近鉄5800系いわゆるL/Cカーってやつです。
観光ガイドなどにこの事実が強調されていないのは、ファンキー参道商店会の思惑だろうと思うが、いずれにせよ「塵芥だめの街・大阪」が眼下に展望できる石切駅で降りたほうがモトがとれるのだ。
駅を出て参道に向かうと、少しずつ 30数年前の記憶が蘇ってきた。ガキの頃の視点は低く、今見ると景色のスケールは小さく感じるが、くねくね曲がりつつ急に下ってゆく参道の小道は、確かにあの頃通った道だ。
「目玉」の看板を探しながら下るが、友人の報告通り、もはや残ってはいなかった。しかし、そこここにある怪しげな「占い・祈祷・命名」や「漢方薬」の店舗は、今もちょっぴり異様な雰囲気を残していた。
週末はもっと大勢の人出で賑わうのだろうが、平日の昼間である。参道を歩くひともパラパラ。それも老婆やおばさんがほとんどである。しかも服装が昭和30~40年代のまんま。都会ではこういう風景にはなかなか出会えない。おばさんのストリート誌があれば、取材のメッカになることだろう。
貼紙などのキャッチコピーもナカナカ刺激がある。「あらゆる黒焼き取揃えております」「最新式コンピューターで御先祖の肖像画描きます」「かべつちたべる子、あほう 薬あり」、占いとカラオケを合体させて商売している店まである。
霊感鑑定所(2階)と『塩爺』演説会と迷子犬プリン
そんな中、驚くことに時折、ケータイを手にしたノースリーブの女子学生風グループとすれ違う。地元娘の感じではなく観光客のようなのだが、この娘ら、一体何や? キッチュ者なのか? それとも、おいどにデンボが出来ているのか? しかし写真はよう撮らんかった。はは小心。
途中、ひふ病と耳鳴りの祠があった。この祠の前方にある意味不明の汚い貯水槽は、30年前にも見ているような気がした。じつは数年前より右耳がよく聞こえなくなってしまったので、「耳ナリ」ではないが、とりあえず手を合わせておく。
さらに進むとあった「大仏」は当時はなかった物件だ。昭和55年の建立だとある。いかんなあ新しいものは。スタンドプレイで完全に風情を壊している。
そうこうするうちに本社についた。やはり記憶より狭く感じる。手水を遣い、賽銭を投げ手を合わす。祖母と訪れた折には「お百度」も踏んだことがある。これは快癒を祈りながら距離をおいて設置されたふたつの石の周囲を百往復するのだが、この暑さでは倒れそうなので止めて、池の亀を見るにとどめておいた。
昼も過ぎ、腹がぐゆるぐゆると鳴り始めた。参道にはそば屋、喫茶などの飲食店も多いが、なにせ無収入の身。缶コーヒーで我慢し、「上ノ宮」に寄ってから駅に戻る。途中の店で家への土産に「はったい粉」一袋を百円で買った。あ~つましい禁欲の日々。
実はあたし右の耳がよく聞こえんのですわ、神様
何卒御利益ありますやうに。(2002-06-07 掲載記事を復刻)
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*古いコラムのログ倉庫にしてたサーバがサービスを終了してしまったので、当欄「古ぼやコラ」カテゴリに復刻作業をしております。昔の出来事で恐縮ですが、しばらくの間ご辛抱のほどを。
これは霰粒腫という眼病で苦労していた頃の話。近所の眼医者を三軒ハシゴしたがなかなか治らず、ファンキーな参道が有名な石切神社に参詣し冗談半分神頼み。結局、眼病は次に行ったクリニックで手術をして完治することに...(小写真はクリックで拡大します)
でんぼ(腫物)の神様、東大阪の石切剱箭神社
先週末の痛飲で腫れた両眼は、クスリの服用と一週間の禁酒でようやく引いてきた。目薬が底をついてきたので今日も朝から眼医者へ通った。治療を受けながら医者と話したのだが、完治させるための方法が、あいかわらずはっきりしない。霰粒腫についても訊ねてみたが、前回は多発性だと言っていたのに加えて化膿性というコトバが付け加えられた。
わたしの場合、切除しても完治するとは限らないので、切る必要もないという。次、いつ通院せよとも言われなかったので、こらラチあかんわと思い、目薬だけもらって外へ出た。とはいえ、このままパソコン作業の支障が続くと、メシが喰えない。今度腫れたら別の眼医者に行こうと決め、「青色申告申請書」でも記入するかと家路に向かったが...。
外はえらい良い天気ではないか。かなり暑いが、それでも晴れの午前中は心地よい。この二軒目の眼科に見切りをつけるからには、三軒目を物色しなければならないのだが....今日は腫れがややマシだ。それですこし前に、冗談ながらヒラメイタ「神仏だのみ」を実践することにした。平日の昼前に、突然こういう決定ができるのも「ほぼ失業者」の特権である。
目指すは、「でんぼ(腫物)の神様」、生駒西麓、東大阪の石切剱箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)である。「眼の腫物」だから御利益もあろう。それに、ここんとこの帳簿付けのツケか、おいど(臀部)にもデンボができて痛い。ちょうど良い。
実はこの石切神社、10年前に大阪に越してきたときから訪れたかったのだが、仕事の都合で行けないままでいた。
京都の実家にいたガキの頃、祖母に連れられて四五回詣ったことがあるのだが、その参道にある薬屋や占い屋の看板や風情がキッチュで、子供ごごろに強い印象を焼き付けられた場所なのであった。
その後美大時代に「キッチュもの」に凝ったこともあり再訪したいと思ってたところ。30数年前の記憶は、つげ義春の名作「ねじ式」に見られるような、目玉を描いた眼科の看板が折り重なるように連なっていたような覚えがあり、同好の友人からもう無くなっていると聞かされていたものの、確認する良い機会だ。てなわけで踵を返し、地下鉄に乗り込んだ。
寮費・水道光熱費無料・食事付のリゾートバイト!
近鉄石切駅からキッチュなファンキー参道をゆく
30数年前に祖母と詣ったときは「新石切」駅はまだなかった。実はこの新駅のほうが「でんぼ神社」に近いのだが、やはりキッチュなファンキー参道を下って行かないと風情がないので、難波で乗り換え、近鉄奈良線の「石切」駅で降りる。
デュアルシートの近鉄5800系いわゆるL/Cカーってやつです。
観光ガイドなどにこの事実が強調されていないのは、ファンキー参道商店会の思惑だろうと思うが、いずれにせよ「塵芥だめの街・大阪」が眼下に展望できる石切駅で降りたほうがモトがとれるのだ。
駅を出て参道に向かうと、少しずつ 30数年前の記憶が蘇ってきた。ガキの頃の視点は低く、今見ると景色のスケールは小さく感じるが、くねくね曲がりつつ急に下ってゆく参道の小道は、確かにあの頃通った道だ。
「目玉」の看板を探しながら下るが、友人の報告通り、もはや残ってはいなかった。しかし、そこここにある怪しげな「占い・祈祷・命名」や「漢方薬」の店舗は、今もちょっぴり異様な雰囲気を残していた。
週末はもっと大勢の人出で賑わうのだろうが、平日の昼間である。参道を歩くひともパラパラ。それも老婆やおばさんがほとんどである。しかも服装が昭和30~40年代のまんま。都会ではこういう風景にはなかなか出会えない。おばさんのストリート誌があれば、取材のメッカになることだろう。
貼紙などのキャッチコピーもナカナカ刺激がある。「あらゆる黒焼き取揃えております」「最新式コンピューターで御先祖の肖像画描きます」「かべつちたべる子、あほう 薬あり」、占いとカラオケを合体させて商売している店まである。
霊感鑑定所(2階)と『塩爺』演説会と迷子犬プリン
そんな中、驚くことに時折、ケータイを手にしたノースリーブの女子学生風グループとすれ違う。地元娘の感じではなく観光客のようなのだが、この娘ら、一体何や? キッチュ者なのか? それとも、おいどにデンボが出来ているのか? しかし写真はよう撮らんかった。はは小心。
途中、ひふ病と耳鳴りの祠があった。この祠の前方にある意味不明の汚い貯水槽は、30年前にも見ているような気がした。じつは数年前より右耳がよく聞こえなくなってしまったので、「耳ナリ」ではないが、とりあえず手を合わせておく。
さらに進むとあった「大仏」は当時はなかった物件だ。昭和55年の建立だとある。いかんなあ新しいものは。スタンドプレイで完全に風情を壊している。
そうこうするうちに本社についた。やはり記憶より狭く感じる。手水を遣い、賽銭を投げ手を合わす。祖母と訪れた折には「お百度」も踏んだことがある。これは快癒を祈りながら距離をおいて設置されたふたつの石の周囲を百往復するのだが、この暑さでは倒れそうなので止めて、池の亀を見るにとどめておいた。
昼も過ぎ、腹がぐゆるぐゆると鳴り始めた。参道にはそば屋、喫茶などの飲食店も多いが、なにせ無収入の身。缶コーヒーで我慢し、「上ノ宮」に寄ってから駅に戻る。途中の店で家への土産に「はったい粉」一袋を百円で買った。あ~つましい禁欲の日々。
実はあたし右の耳がよく聞こえんのですわ、神様
何卒御利益ありますやうに。(2002-06-07 掲載記事を復刻)