2015年7月アーカイブ

昨日(7月10日)仕事の合間に庭で一服してたら、地面をモゾモゾと這う、やや大きめの虫がいることに気づいた。ヘコキブンブンかいなあと思って近寄ってよく観ると、なんとセミの幼虫である。まだ周辺にセミの鳴き声は聴こえない。「こら今年の初もんや! 」というわけで、縁側にデジカメを持ち出して、時々観察することにした。

このありさまは、昨日のツイッターで実況報告したのだけれど、母屋の「ぼやコラ」にも、一応まとめておくことに。最近「古ぼやコラ」カテゴリに更新してる旧ログの復刻ではなく、今回は新規の「ぼやコラ」記事なのであります。

・【今年の初もん】庭でタバコ吸ってたら蟬が出て来た。

semi01.jpg

ツワブキの根方でなんかモゾモゾしてる奴がいる。どうやらセミの幼虫らしい。こら今晩羽化だなと思いデジカメを持ち出す(16時20分頃)。

semi02.jpg

最近の温暖化のせいか、夏にこの庭に来る蟬の種類は、ほぼクマゼミのみになってしまったけれど、この幼虫はクマゼミより二回りほど小さい。それになんだかセカセカ歩いてて通常のクマゼミ羽化に見られる落ち着きを欠いている。未熟児なのかそれとも別種なのか?しかしかなり焦っているご様子。

庭のモチの木の幹のほうに向かってるのだが、手前にある石組みが登れずに何度も落ちているので、見かねてモチの根方に捕まらせてやり、仕事に戻った。

・かなりいらちなセミの幼虫、登攀中です。

仕事にひと段落ついたので「ここらで一服」と、ふたたび庭に出た。おお、一生懸命登攀しておるではないか。しかし、あいかわらず動きがせせこましい。クマゼミの幼虫なら、もっとゆっくり一歩一歩って感じなんだが(17時30分頃)。

semi03.jpg

スチールでは面白くないので、短い動画を撮影してYouTubeにアップすることに。しかし、ようつべの編集時間って長くてかったるいので、いつもアゲル気がうせるのだ。
         ↓


動画撮影をしてる、あたしの坊主頭や足首あたりで、ヤブ蚊がさかんに集団お食事をしておる。痒みが堪らんので、そそくさと部屋に引っ込みました。

・地面に水平状態で羽化開始。こりゃ失敗するぞ...

semi04.jpg

ようつべのアップに手間取って庭の様子を観に行くのが遅れた。そろそろ場所が決まった頃かなと幼虫を探したら、なんと気の早い奴。低い場所でもう羽化を開始しとる。しかもカラダ横向きだし(18時20分頃)。

semi05.jpg

横向きで羽化すると、海老ぞった時にお尻の部分でカラダを支えにくい。抜け殻の上で方向転換してから羽を伸ばすというひと工程が増えるから失敗する確率が高くなるんだけどなあ。(小写真はクリックで拡大します)

semi06.jpg semi07.jpg

semi08.jpg

クマゼミよりは小型だけど風情は似てる。ウチの庭に来るのは珍しいけどヒグラシなのかも。鬼瓦権蔵のような太眉模様が凛々しい。

・次に観に行ったら...おらん。

観察者の心配をよそに、不安定な体勢のままさっさと羽化を開始してしまったセミの幼虫だったが、すっかり日も暮れて来た30分後に観に行ったら......あれれ、おらんやないけ!(19時00分頃)。

semi09.jpg

後に残るは、内側がべっとり濡れて生々しい抜け殻のみ。羽化が完了するまでには羽を伸ばして乾かす時間が必要なので、これはおかしい。体勢が悪かったので、殻抜けしてから場所を変えたのかと、あわてて懐中電灯で照らしてみたのだが、幹の裏側や上の方には見当たらない...。

で、よもや落下か、と下の繁みを照らしてみると...あんのじょう。早速蟻さんがたが鋭意お食事中。(;´༎ຶД༎ຶ`)

semi11.jpg

言わんこっちゃないやっちまったか。あんたのいらち故、5年から7年の地中暮らしが、一瞬でアジャパーに。羽化はもっと慎重にやらんといかんよ、というお話。ご愁傷さま(19時10分頃)。

西新宿の都庁ビルから両国の江戸東京博物館へ。どうせなら大江戸温泉にでもよってくりゃいいに。ヘンな東京観光だな...いや、この時ゃ営業だったんだ。

あまりにも不景気なので東京に托鉢に行った。いつもながら人に会っても酒ばかり飲んでしまい、営業をしたというより、単に散財しただけでかえって逆効果だよ。足もくたくただし。新幹線は高いし、もう...!。(小写真はクリックで拡大します)

西新宿の東京都庁ビル展望室に「おのぼりさん」

ひさびさに東京に営業に行った。連日、手提げ鞄に着慣れぬジャケット革靴でうろつきまわったので、ヘトヘトになった。その間の天気のすぐれぬある日、アポイントに空きができてしまったので、どうするかと思ったが、激動する東京がどのように変わったのかをこの目で確かめようと思いつき、都庁に登ることにした。「お上りさんのお登りさん」である。

しかしま、明治に遷都され東京行きが「上り」になったのであって、それ以前なら上方から江戸に「下」ったのである。あたしは京生れの大阪在住なので、どうにも「下る」気分が強いのであるが、京・大阪以外のひとは全然違和感なく「おのぼりさん」という気持ちになるのであろうか。このあたりの感じがよくわからない。

img_edo01.jpg img_edo02.jpg
▲恵比寿にて用件をすましてから都庁展望台におのぼり、と。

ゴタクはさておき、新宿の超高層都庁が竣工したのは1991年である、あたしが10年暮らした東京から関西に戻ったのが1991年。入れ違い。それから数多く上京したのだけれど、ついぞ都庁に足を運ぶ機会はなかった(浅草にはよく行ったんだけどナァ)。

ま、こういうものを間近に観るのは、ピッカピカの時より10年落ちで薄ら草臥れてきた現在の方が本質が見えるものだ。てなことをつぶやきつつまずは南展望台に昇った。ぐるりとあたりを見回してみて、アタマのなかで覚えのある10年前の地図と重ね合わせる。

次にあたしの定期巡回サイトである『超高層ビル情報』によって仕入れた新情報の確認をした。天気があいにくだったので、シャープな視界ではなかったが、「なんだ、こんなもんか」であった。皇居が意外に小さくしか見えない。ま、この都庁の位置は、江戸期じゃ都市のハシのハシ、内藤新宿のまた外れなのであるからこんなものか。



気分は大江戸観光モードに。足は両国の「江戸東京博物館」へと...

都庁窓からの景色にはすぐに飽きてしまったのであるが、南展望室のフロアには、現在のランドマークの位置を貼り付けた特大の江戸切絵図が敷いてあった。地図の年代は明記してなかったと思うけれど、この上にしゃがみ込んで、ほぼ半刻(一時間)以上熱心に見つめる羽目になってしまった。

img_edo03.jpg
▲展望室の床には大江戸の切絵図が。江戸のディープスラム本所割下水

img_edo04.jpg img_edo08.jpg
▲こちらは深川あたりと石川島人足寄場。江戸にムラムラ来て新宿から両国へ五月場所開催中の国技館を横目に...

う~ん、なんと面白いのだろう。いままでに読んできた時代小説の各シーンがぐるぐると頭を巡り、「深川は、どうなっとったか」「あ、新吉原みなくちゃ」などと、次から次と忙しいこと。あげく腰の痛みが倍増してしまった。死罪人の市中引き回し経路が点線で示してあったり、各横丁の木戸なんかも記入してある。苦しく(腰が)も、実に愉しいひとときであった。

都庁には南と同様の北展望室がある。当初は昇る気はなかったのだが、そちらの床にはどんなネタが施してあるのだろうと思い、わざわざ下まで降りて、昇り直した。が、はたして、何も無かった。エエカゲンにせい!

しかしいきなり脳内視界が全編大江戸になってしまったあたしは翌日、重い足を引きずりつつ、仕事もうっちゃって、隣の国技館で本場所開催中にもかかわらず(ま、不入りだけど)、両国の『江戸東京博物館』に吸い寄せられるように向かってしまったのであった。

img_edo05.jpg img_edo07.jpg
▲てなわけで気になってた江戸東京博物館に到着。右は空襲に備える東京の街並を再現した書き割り。

img_edo06.jpg
▲江戸ゾーンのジオラマ・両国橋界隈と大川の賑わい

img_edo09.jpg img_edo10.jpg
▲掘割のある都市の景色ってなぜかほっこりする。

何をしに東京さ来たんだ、おまえは? 疲れてるのなら大江戸温泉物語にでも行きなっての。(2003-05-29 掲載記事を復刻)

*旧ログを所蔵してた鯖がサービス終了のため、過去記事を復刻してます。もちろん当時は「ALWAYS 三丁目の夕日」も「東京スカイツリー」もありまへん。

おっさんの憧れのインテリア家電といえば高級マッサージチェアーだが、やっぱり高嶺の花だ。だいたい買っても置ける場所がない(笑)。でも欲しい。とっても気になる存在。各メーカー評判の機種は?店員とみっちり値引き交渉をし、機種選定のツボを聞きだしたうえ、じっくり揉まれてから「買わずに」帰ってきた。

高級マッサージ機を気兼ねなく次々と試用するの法

長年デスクワークばかりしてきたもので、平日外出することが少なかったのだが、最近の開業準備に伴う東京出張や役所めぐり、OA機器購入のための買い物、はたまた仕事の打合せなどで、外を歩く機会が急増した。

運動不足とは恐ろしいもので、いざ急に動いてみるといかに自分のカラダが鈍っているかを痛感させられることとなる。

脚は震え、指先も震え、腰が痛み、おまけに眼も不調なので首筋にも来る。買い物などオンラインショッピングでクレジット決済してしまや、外に出る必要もないのだけれど、そこはオッサンである。自分の目で確かめ、店員と値引きの交渉をし、その製品の評判などを聞きだしたうえでないと購入する気にならない。

こりゃ性分なので仕方がない。そんでもって貧乏性だから、持ち帰りのできそうなものは配送料を惜しんで抱えて帰る。一度にそうは持てないから、また出向くということになり、結局電車代がバカにならないのだが、いままでできなかった平日の街歩きがややうれしいということもあるので、まあ運動にもなるとせっせと出向いているわけである。これもフィールドワークと思い込むこととして。



さて、先日も大阪梅田の大型家電量販店某Yカメラへ。地階で素材集ソフトや消耗品など、細々としたものを購入後、一階でデジカメ用品を物色。デジカメコーナーは地階・1階・2階の各フロアにあるので、こちらは上がったり降りたりしながら意中の品物を探す羽目になる(どこか一つで済ませりゃいいのに)。自業自得とはいえ、ヘトヘト。

なおも懲りずに上階にあがり、最近のゲームのデモ画面などを見て回る。しかしプロ野球ゲームにしてもサッカーゲームにしても、そのリアルさ(実況つき)には驚くが、あそこまでお茶の間でできてしまうと、本物のテレビ観戦が何だか空しくなる。野球盤ゲームがかえって懐かしく感じる。単純だがあちらのほうが実は面白かったんじゃないかと。

そして性懲りもなく家電コーナーへ。大型のハイビジョンテレビやプラズマテレビなどが並んでいるが、まだまだ結構なお値段だ。こんなデカイのを置く場所のある家も家だが、このご時世、これが買えるほど仕事のある奇特なお方は、たぶん観ている時間などないと思うのだがどうか。

家電コーナーに寄るのには狙いがあってのことだ。ここまでのウロウロ歩きで、もはや左腰は痛みだしている。そう、お目当ては「マッサージ機」コーナーなのである。


やっぱり揉みの強さは医療機器系メーカーかな。フジ医療器とファミリーイナダの上位モデル

この店舗には各社のマッサージチェアーが各種1~2台ずつ、20台近くズラリと並べてある。かたわらには「休憩目的の利用はご遠慮ください」「五分以上の試用はご遠慮ください」などとあるが、見回してみると、まあ、眼をつぶってしたり顔の背広のオッサンや、慣れぬ仕事に疲れたと思われる新人社員のグループなどでほぼ満席。張り紙など完全無視である。

ええ、あたしもその「したり顔のオッサン」で、五分などとは言わず一時間でも揉みまくってやろうと思って訪れたのだが、いかんせんコーナー専属の店員がいる。この店員が「したり顔」の面々に次々と営業トークを掛けてくるものだから、そうそう落ち着けないようになっているのである。

しかし今日はかなり疲れがたまっている。先日行ったサウナマッサージ後の揉み戻しも来ている。ここは本格的にマッサージ機を使ってやろうと作戦を立てた。

「マジで買いに来た客」を演じて長時間試用するという作戦である。

まず、コーナー専属店員がこちらを見ている頃合いに、おもむろにパンフレットを手にする。パンフレット裏面の「仕様」のところを吟味しているようなフリをして、真剣さを店員にアピール。小首を傾げながら(このあたり細かい)、マッサージ機に腰掛ける。リモコンを手に取り、痛む「腰コース」を選択しマッサージを開始する。その後もパンフレットとリモコンを交互に見たりして「機種決定の最終段階」の顧客を演出した。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」である。



すかさず最上位モデルのリモコンを奪取!

若い店員は一発で引っ掛かり、私の方へやってきた。別にすぐに掛かってもらわなくても良かったのだが、そのあたりは若さであろう。仕方がない。

私が座っているのは、F医療器の製品である。これは前回来たときに揉み方がしっかりしていたので、アタリを付けておいた機種だ。

店員:どうですか、これ当店の「おススメNo.1」なんですが。
偏屈:押し方が力強くっていいね。ただ、なんというか演出に欠けるね。迷うところだなあ。
店員:ほかにお迷いの機種があるんですか?
偏屈:まあね、あそこに並んでるM電工のやつね、さすがに大手家電だけにコースの展開が気に入っているんだわ。細かいプログラムがねえ。リラクゼーションてなものを求めるならアレなんだが。
店員:しかしこの機種は医療器メーカーですから、効き方はいいでしょ。
偏屈:続けて比較してみないと良く分からんけど、あっちのは他の人が使用中だしなあ。空くまでこれを試してみるから、M電工のが空いたら教えて。
このことばで店員を他の客へ振り向け、堂々10分以上使用した。

店員:お客さん、空きましたヨッ!
偏屈:あ~ええ具合に効いたわ。ありがとう、じゃあっちのに移ってみっかな。
店員:どうぞどうぞ、これは若いかたがたに人気があります。何コースで行きましょうか?
偏屈:あ、いいよ自分で「オリジナルコース」組むんだから。

と、すかさずリモコンを奪取する。
いぶかしげに思ったのか店員、こんどは3分くらいで私のところへ戻ってきて、斜め横にしゃがみやがった。


家電メーカーのマッサージチェアはサービス精神満点。左はパナソニック リアルプロ

店員:え~こちらのはどうでしょう?
偏屈:あ~やっぱり揉みどころの順番や揉み方の演出などはいいねえ。リラックスできるわ。しかし効くか、というとやや物足りないなあ。ところで、こういう機械ってカムとか使って結構ムリな力をかけてるじゃない?すぐ壊れたぞって苦情なんか来ないの?
店員:ここだけの話ですけど、家電メーカーさんのは、脛を締めつける部分などがよくやられますね。実はこの隣のも壊れてるんです。内緒ですけど。治療院などに置かれるだけあって医療器メーカーのほうが頑丈なんですが、重いんですよ、その分。
偏屈:へ~やっぱり。なるほどねえ。しかし、キミ若いのにこんなコーナーの担当やってても自分が痛みもしないから、本当のマッサージチェアーの良し悪しなんか分からんだろう? どこがどう効くとか。オレだって35、6歳くらいからだよ体がガタきだしたの。
店員:(ややウロ)え~お客さん35っすか、そんなに見えないですよ~、(誤魔化しモード)ずーっと走ってらっしゃるように見えますよ。
偏屈:くだらんお世辞言ってんやないで。でもなあ、わからんやろ、凝り具合とか効き具合とか、キミまだ若いから。どうよオレが横について年配の客が求めているものを営業フォローしてやっから、この機械6万8千円くらいで売らんかい?
店員:冗談はやめてくださいよ~。
偏屈:じゃあ、オレが今から客に3台売ったら1台くれるとか。
店員:駄目ですよ~。でもボクもときどき座ってやってみてるんですけどね~。
偏屈:アカンアカン腰痛や四十肩も知らんと、どの製品がいいなんて勧められるワケないやろ。だから、このM電工のなんかがイイと思うわけだ。若いから。しかしこれはイマイチ物足りんなあ。もうすこしいいの無いの?。オレ仕事柄、疲れが「眼」にくるんだよ。
店員:「眼」ですか。それなら、あちらの製品がいいです。いや、みなさん年配の方がそうおっしゃってます。こちらも医療器メーカー製なんです。さきほどのとは別の......

このやりとりの間およそ12分。M電工製、全身コースをほぼ2周回った。首尾良し首尾良し。

店員:こちらの製品です。みなさん、押し方がよいとおっしゃいます。センサーで指圧のポイントをスキャニングしてから始まるんです。眼のツボというのは首筋のところですが、そういうところを直接指圧する場合は、このようにマット部分をはね上げて直接強く指圧できるようになっているんです!
偏屈:あ、まったまった。首の指圧機能はあとからでいい。とりあえず通常のマッサージの具合はどうかから、やってみるわ。

img_massage.jpg

若い店員が最後に勧めたこの機械。F社の製品だが、非常に具合が良かった。十分に試用したあと、マットをはね上げて首の指圧もやらせてみた。これはいい。買いだ。しかも比較的安い!。

偏屈:キミ、この機械は良いわ。あ~欲しい。これにきまりだ。あっあ~。
店員:ちょうど今メーカーさんのキャンペーン期間中になっておりまして、お買い得になっております。
偏屈:なんでまた、今、安いの?
店員:いや、実は新製品がでましてですね。
偏屈:ええっ、どんな機能が増えてるの?
店員:あの、音楽が聴けるようになったんです。
偏屈:あっそ、そらいらん。これでええわ。あ~効く。で、コレなんぼ?
店員:26万8千円です。
偏屈:ポイントは何%還元? あっそ。
店員:色も3種類ありまして...
偏屈:いらん。(キッパリ)高い。
店員:ヘ、...。
偏屈:すまん、金無い。が、これはいい。これ、欲しいぞ、オレ。
店員:はあ。
偏屈:この製品を年配のお客さんに自信をもって勧めなさい。オレのお墨付きや。大丈夫やから、コレなら。キミが分からんでも、文句は来ない。
店員:はあ。しかし...
偏屈:時間とらせて悪かったな。あ~効いた。なんとか金造って買いに来るさかい、そのときはキミ、よろしゅうたのむわ。
店員:はあ。それではちょっとお名刺だけ渡させていただきます。
偏屈:おおきに、貰ろとくわ。ほな頑張りや。あ~効いた。

通算45分超、至福のマッサージ・タイムとあいなった。(2002−05−22 掲載記事を復刻)

*古いコラムのログ倉庫にしてたサーバがサービスを終了してしまったので、当欄「古ぼやコラ」カテゴリに復刻作業をしております。昔の出来事で恐縮ですが、しばらくの間ご辛抱のほどを。

これは霰粒腫という眼病で苦労していた頃の話。近所の眼医者を三軒ハシゴしたがなかなか治らず、ファンキーな参道が有名な石切神社に参詣し冗談半分神頼み。結局、眼病は次に行ったクリニックで手術をして完治することに...(小写真はクリックで拡大します)

でんぼ(腫物)の神様、東大阪の石切剱箭神社

img_ishikiri01.jpg

先週末の痛飲で腫れた両眼は、クスリの服用と一週間の禁酒でようやく引いてきた。目薬が底をついてきたので今日も朝から眼医者へ通った。治療を受けながら医者と話したのだが、完治させるための方法が、あいかわらずはっきりしない。霰粒腫についても訊ねてみたが、前回は多発性だと言っていたのに加えて化膿性というコトバが付け加えられた。

わたしの場合、切除しても完治するとは限らないので、切る必要もないという。次、いつ通院せよとも言われなかったので、こらラチあかんわと思い、目薬だけもらって外へ出た。とはいえ、このままパソコン作業の支障が続くと、メシが喰えない。今度腫れたら別の眼医者に行こうと決め、「青色申告申請書」でも記入するかと家路に向かったが...。

外はえらい良い天気ではないか。かなり暑いが、それでも晴れの午前中は心地よい。この二軒目の眼科に見切りをつけるからには、三軒目を物色しなければならないのだが....今日は腫れがややマシだ。それですこし前に、冗談ながらヒラメイタ「神仏だのみ」を実践することにした。平日の昼前に、突然こういう決定ができるのも「ほぼ失業者」の特権である。

目指すは、「でんぼ(腫物)の神様」、生駒西麓、東大阪の石切剱箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)である。「眼の腫物」だから御利益もあろう。それに、ここんとこの帳簿付けのツケか、おいど(臀部)にもデンボができて痛い。ちょうど良い。

img_ishikiri04.jpg

実はこの石切神社、10年前に大阪に越してきたときから訪れたかったのだが、仕事の都合で行けないままでいた。

京都の実家にいたガキの頃、祖母に連れられて四五回詣ったことがあるのだが、その参道にある薬屋や占い屋の看板や風情がキッチュで、子供ごごろに強い印象を焼き付けられた場所なのであった。

その後美大時代に「キッチュもの」に凝ったこともあり再訪したいと思ってたところ。30数年前の記憶は、つげ義春の名作「ねじ式」に見られるような、目玉を描いた眼科の看板が折り重なるように連なっていたような覚えがあり、同好の友人からもう無くなっていると聞かされていたものの、確認する良い機会だ。てなわけで踵を返し、地下鉄に乗り込んだ。


寮費・水道光熱費無料・食事付のリゾートバイト!

近鉄石切駅からキッチュなファンキー参道をゆく

30数年前に祖母と詣ったときは「新石切」駅はまだなかった。実はこの新駅のほうが「でんぼ神社」に近いのだが、やはりキッチュなファンキー参道を下って行かないと風情がないので、難波で乗り換え、近鉄奈良線の「石切」駅で降りる。

img_ishikiri02.jpg img_ishikiri03.jpg
デュアルシートの近鉄5800系いわゆるL/Cカーってやつです

観光ガイドなどにこの事実が強調されていないのは、ファンキー参道商店会の思惑だろうと思うが、いずれにせよ「塵芥だめの街・大阪」が眼下に展望できる石切駅で降りたほうがモトがとれるのだ。

駅を出て参道に向かうと、少しずつ 30数年前の記憶が蘇ってきた。ガキの頃の視点は低く、今見ると景色のスケールは小さく感じるが、くねくね曲がりつつ急に下ってゆく参道の小道は、確かにあの頃通った道だ。

「目玉」の看板を探しながら下るが、友人の報告通り、もはや残ってはいなかった。しかし、そこここにある怪しげな「占い・祈祷・命名」や「漢方薬」の店舗は、今もちょっぴり異様な雰囲気を残していた。

img_ishikiri05.jpg img_ishikiri06.jpg

週末はもっと大勢の人出で賑わうのだろうが、平日の昼間である。参道を歩くひともパラパラ。それも老婆やおばさんがほとんどである。しかも服装が昭和30~40年代のまんま。都会ではこういう風景にはなかなか出会えない。おばさんのストリート誌があれば、取材のメッカになることだろう。

貼紙などのキャッチコピーもナカナカ刺激がある。「あらゆる黒焼き取揃えております」「最新式コンピューターで御先祖の肖像画描きます」「かべつちたべる子、あほう 薬あり」、占いとカラオケを合体させて商売している店まである。

img_ishikiri07.jpg img_ishikiri08.jpg
霊感鑑定所(2階)と『塩爺』演説会と迷子犬プリン

そんな中、驚くことに時折、ケータイを手にしたノースリーブの女子学生風グループとすれ違う。地元娘の感じではなく観光客のようなのだが、この娘ら、一体何や? キッチュ者なのか? それとも、おいどにデンボが出来ているのか? しかし写真はよう撮らんかった。はは小心。

img_ishikiri09.jpg

途中、ひふ病と耳鳴りの祠があった。この祠の前方にある意味不明の汚い貯水槽は、30年前にも見ているような気がした。じつは数年前より右耳がよく聞こえなくなってしまったので、「耳ナリ」ではないが、とりあえず手を合わせておく。

img_ishikiri10.jpg img_ishikiri11.jpg

さらに進むとあった「大仏」は当時はなかった物件だ。昭和55年の建立だとある。いかんなあ新しいものは。スタンドプレイで完全に風情を壊している。

img_ishikiri12.jpg img_ishikiri13.jpg

そうこうするうちに本社についた。やはり記憶より狭く感じる。手水を遣い、賽銭を投げ手を合わす。祖母と訪れた折には「お百度」も踏んだことがある。これは快癒を祈りながら距離をおいて設置されたふたつの石の周囲を百往復するのだが、この暑さでは倒れそうなので止めて、池の亀を見るにとどめておいた。

img_ishikiri14.jpg img_ishikiri15.jpg

昼も過ぎ、腹がぐゆるぐゆると鳴り始めた。参道にはそば屋、喫茶などの飲食店も多いが、なにせ無収入の身。缶コーヒーで我慢し、「上ノ宮」に寄ってから駅に戻る。途中の店で家への土産に「はったい粉」一袋を百円で買った。あ~つましい禁欲の日々。

img_ishikiri16.jpg
実はあたし右の耳がよく聞こえんのですわ、神様

何卒御利益ありますやうに。(2002-06-07 掲載記事を復刻)



美味いインスタントカップやきそばはたくさんあるけど、わたしは誰がなんたって「日清焼そば(袋)」が一等だと思ってます。フライパンの水が蒸発して「いまだっ!」という頃合いがあり、そこですかさず粉末ソースを投入。「ちりちりちり」と音がして......ちょうど良い加減に仕上げ、青のりをまぶすこの醍醐味。う~んやっぱり、日清焼そば(袋)はうまい!

一番のお気に入りは日清焼そば!




日清焼そば」なんである。実は今日、久々に食してしまったのだ。それもたて続けに2食も(一度には作らない、別々)。手前の手で調理して食べると、選から外したことに申し訳ない気持ちが、ずずいと湧きだしてしまった。

みなさんはご存知か?袋麺の「日清焼そば」。テレビを見つけないもので、最近この商品のコマーシャルが流れているかどうかは知らない。しかし私がワカモノの頃は「♪~日清焼そば、焼・こ・う!」というCMソングにのせて、盛んに宣伝していたものである。

フライパンにコップ一杯強の水を入れ沸騰させる。そこにインスタントめんを入れ、水井分を吸わせながらほぐす。すると、蒸発する水分と乾麺が吸収する水分で、フライパンの水がどんどん少なくなる。その後、私流に言わせていただければ、「いまだっ!」という頃合いがあり、すかさず粉末ソース投入!

...ここからは一瞬たりとも目が離せないし手も離せない。包装に書かれた「作り方」の表現、「ちりちりと音がする...」つうのが好きなのだが、この最期のタイミングで食感をいかようにも左右できるのだ。ん~、この緊張感がなんともいえないんだなあ。

カップ系やきそばにはない愉しみが...






  

後に同社から世界初のカップ焼そば「U.F.O.」が発売されたとき、あたしは考察した。確かに「UFO」には乾燥野菜の具は付いているうえ、フライパンや皿も必要とせず革新的ではあるが、本質的な調理過程は「日清焼そば」のほうがテクニックを要し、その分、好みの味に仕上げられる選択肢がある。

これはチキンラーメンを「鍋で煮るとさらに美味しく召し上がれます」というのとはニュアンスが違うのであって...まあいい。とにかく仁鶴、この最期の何秒かのタイミングの案配で、いろいろな風味に仕上げることが可能なのである!

そしてフライパンから手早く皿に移し、添付薬味の青のりをフリカケてササさっと食するのである!(あたしはインスタント食品には、有り合わせの野菜や具を入れないで、商品の内容のみで食することを身上としている)

うむ、なんとも独特の味わいなのである。旨いと思うか不味いと思うかは人によりけりだろうが、取りあえずこれを「焼そば」と呼んでいいのであろうか? 詐欺に当たるのではないか? などと考えつつ食せるので、週刊誌新聞など無くても食事が終わる。

当時の経済事情や色恋事情など、まあ野暮風情と言うようなものが走馬灯のように回りながら加味されてではあるが、あたしにとってはなんとも摩訶不思議な独特の、思い入れある味わいなのである。

難はといえば、コートの剥げたフライパンにはキッチリ麺が焦げ付く。ので、やもめの一人暮らしには鬱陶しい食後の作業を覚悟しなくてはならないことか。かといって焦げ付かないような水分多めの作り方をするとこれが旨くないんだ。ここが「日清焼そば」のジレンマなのである。ま、この面倒のせいで、割高なカップ製品に主流を奪われてしまったのであろうけれど。

img_nissin.jpg

「日清焼そば」が常備メニューの酒場懐かし

やや逆上してしまって、過剰な贔屓をしているきらいもあるけれど、弁解すれば、この「日清焼そば」、あたしら〈全共闘後~共通一次試験前)の世代にとっては、単に食品としてだけではない、副文化的思い入れも入るのだ。

和製フォークロック華やかなりし頃、シラケひねこびた若者が朝までたむろする音楽酒場の唯一の空腹除去メニュウ「焼そば」が、この「日清焼そば」であることが多かった。当時その手の酒場では「味」の価値など、からきし重要視されていなかったからだが、そんなことも贔屓の要因のひとつなのではある。

手先生き様不器用なあたしが、何がどしたかトチ狂い、「飲み屋」でも開店する羽目になったとすれば、肴にはコンビーフと南京豆を供するあたりが関の山であろう。しかし、しかし店の隅っこに、この、「日清焼そば」の袋を5つぐらい積んでおく。

品書きには載せない。すっかり出来上がり小腹が空いた呑兵衛が哀願の視線をあたしに飛ばしてきたら、気合を入れ注意を怠らず、最上の「日清焼そば」を焼いて供したい。うん、一調理一食。一食作るごとに奇麗にフライパンを洗うことを約束する。(2003-04-12 掲載記事を復刻)

▼インスタント焼きそば最新売れ筋ランキング(楽天市場)



霰粒腫は、治療をせずに放っておくと何ヶ月も同じ状態が続くこともある。 手術しても「眼球」そのものじゃないので保険は降りないらしいのでご注意を。霰粒腫治療体験ルポの第三回。(→ 第一回第二回

「眼疣」では手術をしても保険が降りない!

梅雨寒というのかな。しとしと雨で寒い。最低気温が15℃台というから、わたしの正装のアロハシャツではちと冷える。なんでも6月末頃の記録では昭和47年以来らしい。さすがに当時のことは記憶にないが。

などとぼやきながら、三回目の切開に眼科へ向かう。

先日、飛蚊症のレーザー手術をした友人と話したのだが、医者の勧めで診断書を生命保険会社に提出したところ、スグ終わる簡単な治療であったにかかわらず6万円ほど儲かったという。

えへ、ええこと聞いた。わたしも3度も切開するんだ、6万とはいわずとも5000円くらいは降りるかもしれない。それで今日行ったら医者に診断書を書かそうと思っていたのだが、診断書もタダじゃない。

念のため、と保険会社の担当K藤氏に電話を入れた。彼曰く、「ああ、眼疣はダメデスネ」と、つれない。どうやら「眼球」そのものじゃないと手術しても保険は降りないらしい。残念だけど、診断書料金をムダにせずに済んだ。ま、そう旨い話はないか。

両眼の状態を診た医者は、ずいぶん良くなってきたことを告げつつも、今日は左目の上下瞼に残っている眼疣をひとつずつ取るという。もうこの際取れそうなものはすべて取ってもらったほうがせいせいする。といっても、また新たなものができてくる可能性が高いのだそうだが。

医者のくり返すことばはひとつ、「最初のときに取ってしまえばこんなことにならなかったんですが...」ばかり。わかりましたよ、最初と二度目のヤブ 眼科になど行かずに、のっけからウチに来いよ、と言いたいのだろう。了解しましたって。

※前回、前々回同様、フルリクライニングシートへ、左目を麻酔する

もはや「三番斬り」、ベテランである。今回はいきなりいろいろ訊ねまくってやろう。



こんなにたくさんあるヒトは初めてだ!

プチ、プチ、プツ、プツ、......

偏屈:「それ、鋏をつかっているんですか?」
医者:「......、いえ」
偏屈:「いままではメスかと思っていたのですが...」
医者:「............」

おや、今回は機嫌が悪いぞ。なんでか?

プチ、プチ、プツ、プツ、......

医者:「............」

ははあ、今日は火曜日。それも夕方である。この眼科、水曜日が休診日である。そのうえ、土日祝日も開業している。偉いのである(というか売上げ重視かも)。ということは......お疲れがピークなのであろう。手元が狂ったりしたらカナワン。ま、今日はいいや。

医者:「ふ~、終わりました」
偏屈:「ありがとうございます」
医者:「いや~、2、3個あるヒトは、結構いるんですが、こんなにたくさんあるヒトは初めてだ!」
偏屈:「はあ」

実はこの時、すかさず、「ギネスブックに載りますかね?」と言おうと思ったのだが、先の会話から、今日はスイングしないと予想されたので、止めておいた。

今回の治療は、左目のみ。ただし上下の瞼を切開したが。慣れとは恐ろしいもので、もはやチョロイものである。一週間後にもう一度見せるように、との指示をいただき、薬を貰いに、例の「ヤンキー座り薬剤師」の薬局へ行く。

今日は、お姉さん、白衣の下にズボンを穿いておられた。梅雨寒のせいで損した。...おしまい。(2002-06-25 掲載記事を復刻)

霰粒腫(さんりゅうしゅ)は、マイボーム腺と言う脂肪の腺が詰まってできた脂肪のしこりで、触るとコリコリするが通常痛みはない。治療体験ルポその第二回。(→ 第一回

初回から三日後、二回目の切開に望む


瞼を切開してから3日が経った。

前回の切開では腫瘍が固まってしまっていて、すべて取り除くことができなかったので、3日後に再来院するようにとの指示を受けていた。雨模様で鬱陶しかったが、朝一番(といっても11時から)に予約しておいたので、よっこらしょ、と出かけた。

はたして、切開後の具合は? というと、眼ヤニはやや少なくなったような感じだけど、相変わらず左目はすぐ曇ってくる。でもまあ腫れからくる痛みはほとんどなくなった。今日、も一度切って、それでも残るようならさらに切って、どんどん取り除いて行くうちに良くなるだろうと、ポジティブに考えることにした。

というわけで、本日は二回目の切開である。時代小説風に言うと「二番斬り」だ。←違うか

二回目、ということで余裕がある。痛さの加減もわかっている。前回も訊いたが、切られながらさらにいろいろ訊いてみようと、診察室に入る。

瞼の状態を診たあとで、医者の説明があった。この霰粒腫という腫瘍は、瞼の内側にできる。わたしの場合は左右の眼とも多数できている。これは他人には移らないそうだが、瞼の中では移動したり別のところにできたりするらしい。その部分を切開して内容物を取り除く作業をしているのである。

ところが4ヶ月におよぶ、ヤブ...前眼科での誤治療により、治っては腫れ、腫れては潰れ、また別のところが腫れ、それが潰れ、をくり返していたもので、腫瘍自体がぐしゃぐしゃになっているうえ、硬化していたりして、掘りだす場所の特定が難しいらしい。

医者:「前回は左上瞼の中央と目尻のところと、右上瞼の目尻のを切開したんですが、左はまだ目頭のところに残ってますから、これを今日取りましょう。んでですね、右目も目頭のところにあるみたいなんですが、はっきり場所がわかりにくくなっていましてね」
偏屈:「はあ」
医者:「だからこれはすこし切ってみて、所在を確認することにしましょう」
偏屈:「よろしくお願いします」

※前回同様、フルリクライニングシートへ、で、まず左目を麻酔する

医者:「あ、今の、痛かったですか?」

全然、痛くない。

偏屈:「いや、痛くないです左は全然。しかし前回、右のときは痛かったんですが、どうしてでしょう?」
医者:「そうですか。いやね、右のほうは、場所がわかりにくくなっているので麻酔のポイントも決めにくいんですよ」

オイオイ、ちゃんと頼むで、麻酔ッ!



瞼はヨコには切れないのだと

プチ、プチ、プツ、プツ、......
前回は最初のことで、メスを使っているのかと思ったが、このプチ、プツ、はどうやら鋏のようである。観察する余裕も出てきた。ま、瞼のことなので見て確認することはできないが... よし、なんか訊いたろ。

偏屈:「あの、いま取っていただいてる腫瘍ですけど、脂肪のようなものなんですか?」
医者:「いや、脂肪ではありませんね~ プチ、プツ、」
偏屈:「いろいろ違う場所にできるということは、アテロームみたいなもの?」
医者:「アテロームとは違います。 プチ、プツ、」
偏屈:「......」
医者:「う~ん、そうですね、強いて言えば、痰、に近いかな。 プチ、プツ、」

偏屈:「え、痰 ですか!!」

なんだ、わたしは瞼の裏に、痰を溜め込んでいるわけか、情けないのう。

偏屈:「カー、ペッ!とできない痰ですか、汚いなあ」
医者:「だからこうして...取ってるワケでして、はい次、右目ね」

いかん、右は痛かったんだ、と身構えた。

プチ、プチ、プツ、プツ、......
医者:「う~ん、右のほうは場所がはっきりしないなあ~、こうやってタテに切って探すしかないんですよ、瞼はヨコに切れないもんでね~」

ヨコに切る!、なるほど横に切れば一刀で右から左まで切開できてしまうが、それでは二重瞼になってしまうではないか! しかし、わたしは横切りと聞いて、即、サルバドール・ダリ制作の映画「アンダルシアの犬」の、眼球を剃刀で横に引き切るシーンを思いだしてしまった。う~、気分悪い。

医者:「こうやってタテに切り目が入ると、そこから目薬が染み込んで効くようになりますから、全部取り出せなくとも治療はできるんですよ。 プチ、プツ、」

わたしの両瞼の内側は、文字通り「膾斬り」になっているワケである。両瞼の裏側に限って言えば、満身創痍状態なのである。ゴルゴ13がベッドインするとき、娼婦はその体中の傷を見てオドロイたり喜んだりするのだが、両瞼をめくって無数の傷を見せても......喜ばんわなあ、娼婦。

両瞼裏を膾斬りにされたわたしは、本日の治療を終えた。

次は5日後の通院となった。待合室で鏡を見てみたら、瞼裏側の肉が少しせり出してきて、奥二重のような趣になってきている。蒙古民族の末裔の証、一重瞼よ、どうなってゆくのか!!

偏屈には、一重瞼がお似合いだ。第三回 につづく(2002-06-20 掲載記事を復刻)

めばちこ、めいぼ、ものもらいなどと呼ばれている、まあポピュラーな眼の病気は、正しくは麦粒腫・霰粒腫などというんだそうだ。あたしの場合は霰粒腫と診断された。

霰粒腫とは:まぶたの裏側が腫れ、時には赤くなる。通常、痛みやかゆみはない。美容的に悪くなることがある。マイボーム腺の出口がつまり、中に分泌物がたまったもので、麦粒腫(ものもらい)と異なり、通常細菌感染を伴わない。霰粒腫に感染を伴ったものを急性霰粒腫と呼ぶ。

P603_1.jpg
【閲覧注意】...って遅いか。

で、近所の眼科医院を三軒ハシゴしたのだけれど、貰った目薬を注しても一向に快方に向かう兆しが無い。ついに隣市のクリニックへと越境治療に踏み切った。その治療体験ルポ、第一回。

デキル眼科医で霰粒腫を切開手術

目の周囲にデキモノができて、レンズが曇る。これでは生業であるパソコン仕事ができんではないか。そうでなくても受注が減って、米櫃の底が見えるようになってきたというに、一向に眼は快方にむかわない。しかし今日は腫れも引いていて症状の谷間である。ここを越すとまた来週酷くなってくるのは、この4ヶ月のローテーションから明白である。

も、もはや仕事をしないわけにはいかない。つうことはなんとか早急に治さなくてはならない。なにせ、米櫃の底が...である。というわけでマイホームタウンの眼医者に見切りをつけ、三軒目の眼科に診てもらうことにした。

電車に乗って三つ先の駅にあるこの眼科、ご近所の評判はすこぶる良い。が、高層ビルの中階フロアの一角に開業する、いわゆる「商業主義」の香りが漂うタイプの医者なのである。清潔で広いフロアに、余裕を持って配置された最新鋭治療設備に、美しいお姉さまナース多数、なのであり、元来貧乏性のわたしには、どうも肌があわん環境なのである。ま、さぞかし儲けてるのだろうと想像し、僻んでいるだけなのだが。

ところがなんとココ、わたしは初診ではないのだ。5年前のものだけれど、ちゃんと診察券も所持しており、カルテも残してある。院長の顔も覚えている。わたしより若いが、なかなかデキル感じの男なのである。会話も巧み、人柄も良く商売センスもあり、アタマも切れるなあという印象が残っている。(まあほとんどの医師たるもの、絵描き崩れのわたしよりゃアタマは切れるとは思うが...)

前にその眼科を訪れたのは、病気ではなく、ここらでイッパツ若返り!と、コンタクトレンズに色気を出したとき、メジャーチェーン店と合体して検査・処方を行っているのが、その眼科だったのである。ね、商業主義の香りが漂うでしょ。もっともそのとき作ったコンタクトレンズは、どうも合わなくて3ヶ月ほどで、うっちゃってしまったのだけれど。

受付で今までの経緯を看護婦に説明するのだが、読者の皆様はご存知の通り、これが長い。このコラムを開いて過去ログを読め、と言いたくなったがここは辛抱、説明をした。背水の陣なのだから。ただし途中で、「これと同じ話を先生にもう一度繰り返さにゃならんのですかァ...」とはカマシてやったが。

順番を待つしばしの間、美しいお姉さまがたの白衣から覗くおみ足をデジカメで撮影しようかと、カメラを出しかけたが、止めた。背水の陣なのであった。今回はもはや、飢饉に苦しむ百姓がお代官さまに直訴するような立場なのである。悪い印象を与えてはマズイのであった。



そして、名を呼ばれた。いよいよ直訴である

偏屈:「......というわけでして、先生になんとか助けていただこうと...」

いままでの病気の経緯をできるだけ大病のように練りまくり、哀れさを醸し出すようにコテコテに演出して訴えた。

医者:「じゃ、これらの目薬を処方していただいていたわけですね」
偏屈:「ええ、まあしかし全然快方に向かわなくてですね...」
医者:「う~ん、この目薬はちょっと違うと思いますね~だいたいこの腫れには目薬は効きません」
偏屈:「ほ」
医者:「あなたのは霰粒腫ですが、瞼の肉の中央にできるものですから目薬はそこまで届かないんですよ。ですから薬で治すなら飲み薬ですね」

医者:目の断面図イラストを見せて詳しく説明

医者:「それに、長期間注し続けられたので、目薬が○○っちゃってますね」(←○○部失念というか聞き取れず)
偏屈:「は」
医者:「これは取っちゃえばスグ治ります。いちばん最初のときに取っちゃえばよかったんですがね~」
偏屈:「しかし、ず~っと腫れが引くことがなかったもんで。今日が最近のベストといえるくらいなんですが」

医者:「腫れているときのほうが、取りやすいし痛くないんですが。ま、切っちゃいましょ」
偏屈:「はぁ」
医者:「あなたのおっしゃるように左目の上に3つと右目の上に3つ、右下にも1つありますが、うち2つは自壊してますから、これは切らなくても治るでしょう、こちらへどうぞ」(隣の椅子に移動。それが電動で倒れてフラットになる)



麻酔をして両眼をその場でザクザクッ!

医者:「まず左目の両端を切ります。出血が多いようなら眼帯をしますから、今日は右目は切りません。両目に眼帯できませんからね」
偏屈:「あの、ワールドカップが観られないというようなことは...」(←桂枝雀調)
医者:「それは、大丈夫ですよ(笑)。しかし先週金曜の午後はまいったなあ。患者が全然来なかった。ガラガラで」
偏屈:「ヒマだったら先生も観ちゃえばいいじゃないですか、テレビ」
医者:「ええ、でもま、そういうワケにも......(観たのね、やっぱり)、じゃ麻酔しますから、ちょっとイタむかもしれませんよ」

そら、来た、これだ。前の医者に脅されたヤツね。この際そんなこと言っちゃいられない。なにせ米櫃の底、だ。

医者:「あ、痛いですか?」

全然、痛くない。普通に腫れている状態のほうが痛いくらいである。

医者:「じゃ切りますよ」

「プツ、プツ、プツ、ゴリ、ゴリ、ゴリ、プツ、ゴリ」←メスの音

医者:「いや~痛いでしょ、なんかもう堅くなっちゃってて、すんなり取れない。腫れている時ならラクに取れるんですがね」

全然、痛くない。こりゃ金欠による飲酒の減少で麻酔が効くようになったのかなあ。...余裕が出てきた。なんか言うたろ。

偏屈:「堅くなってるって、木工用ボンドが固まったみたいな感じですか?」
医者:「上手いこと言いますねぇ...。まあそんな感じ...プツ、プツ、プツ、ゴリ、ゴリ、ゴリ、プツ、ゴリ」
偏屈:「前の ヤブ...先生は腫れてるときは切れないっ、てたんですがね」
医者:(もはや作業に没頭、聞いてない)「いや~堅くなってて、今日全部はムリだなあ。切っときますから次に残りを取りましょう。あまりやっても痛いでしょうし」

全然、痛くない。が、ムリしてワールドカップが観られなくなったらヤバイ。

偏屈:「はあ...、で、出血はどうですか? 今日右目もできますかね?」
医者:「大丈夫ですね。じゃ右目いきましょ」

この際、イッキに行ったほうがいいや。ワールドカップも観られるみたいだし、それに全然、痛くないし。

医者:「右目、麻酔しますよ」
偏屈:「お願いしま~す」

「プツ、プツ」

偏屈:「★!......!!」←なぜか右目はかなり痛い。こんなん反則でっせ!!

「プツ、プツ、ゴリ、ゴリ、プツ、ゴリ」

偏屈:「!......!...... 汗 ... 涙 ...」←体ガチガチ背筋ピン伸び

医者:「...はい、終わりました。続きは3日後くらいに取りましょう、すこしは柔らかくなるでしょうから」

偏屈:「...... 汗 肩コリ」

医者:「これで、スグ良くなりますから。はいツギの人」

というようなワケで、両目の上瞼をズタズタにほじくられて、本日の治療がさらりと終わった。「これでスグ良くなる」ってホントかね? じゃあいままでの試練と忍耐の4ヶ月はなんだったんだ、と。
三度目の正直? いやいやまだまだわからんテ。二度あることは三度ある。

目薬と消炎剤を処方してもらい、指定の薬局へクスリを受取りに行った。ソファーに座って待っていたら、ピンクの白衣を着た若く美しい薬剤師のネエちゃんが、ソファーの前までクスリの袋を持って来てくれたかと思うと、イキナリわたしの膝の前でペッタリと「ヤンキー座り」をして服用説明をしだしたのには、ぶったまげたぞ。

追い討ちをかけるようにカウンター横のソファーでは、もう一人の白衣のネエちゃんがプリンを食しておった。

世の中、カクジツにおかしくなってキテオル。第二回 につづく(2002-06-17 掲載記事を復刻)

鼠径部よりカテーテルを挿入して、脳血管の造影検査をする。造影剤が投入されるたび、アタマの中がか~っと暖かくなる不思議な感覚。脳梗塞の発症から退院までの体験ルポルタージュ、6回シリーズの最終回。

加療はおおむね終了。けどアタマはふわふわ

入院して二週間もたつと、もはや点滴もなくなり、日課と言えばリハビリテーションと定期的な検温や血圧・脈拍等の測定だけになってしまった。ま、快方に向かって来たということだから喜ぶべきなのだけれど、入院好きのあたしには一抹の寂しさとなって漂ってくる。

とはいえベッドから出て立ち歩いてみると、いまだ「ふわふわ」感が取れずに、地に足が着いている気がしない。ロビー階にあるインターネットコーナーに行き、有料でネットに繋いでみたりもしたが、どうもまだアタマがどんよりしていて、長時間の閲覧はしんどいようなので、早々に病室に戻って来ていた。

img_kaisei61.jpg
インターネットコーナーがあるのは助かるけど回線の遅いのなんの

暇や退屈は大歓迎のあたしなので、体調が戻って来つつのダラダラ入院生活は、待ってました!モノだったが、いかんせんあたしはフリーランサーなのでありました。幸い、医療保険に加入していたので、入院費用に関しては心配なかった。しかし、家では家族たちが日常通り買い物をし電気ガス水道のスイッチや栓をためらいなく捻り受験のために塾へ通いまだローンの半分残る床に布団を敷いて寝起きしているのである。

あたしの入院によって、この生活を賄うための収入はストップしてしまっているし、また蓄えもまったく無いのだ。このままここに寝ていられたら、どんなにシアワセなことか。しかあし、現実に目を向けると、まさにムンクの「叫び」のような恐怖に包まれてしまうのであった。

うむ。いつまでも寝ている訳にはいかん。退院して早く仕事に復帰する必要がある。しかしひとたび仕事のことを思うと、このアタマの状態ではかなり心もとない。リハビリのテストでは健常者同様の成績を上げられてはいるが、自分的には、発病前に比べてもどかしさがあるのは違いなく、以前ならもっと良い成績を出せるに違いないという感じが残る。

つまり、プロとしてやって来た仕事レベルのコンディションに到達できているかというと、かなり怪しい感じがした。それに「集中力」というものがどこかに飛んで行ってしまったようで、「閃き」なんてものも、今の脳みそに求めるのは酷な気がした。まあ、これは突然の禁煙によるニコチン欠乏によるものなのかもしれなかったけれど、このタバコの件に関しては言いたいことが山ほどあるのでまた別の機会に書くことにしよう。

お股からカテーテル挿入!脳血管の造影検査

てなわけで、元気になるにつれ今度は「生業」のことで精神的不健康になってゆき、とてもこれでは「愉しい入院生活」など味わっていられないので、主治医と相談。今後どうするかを話した結果、再度の頭部MRI検査とカテーテルを挿入しての脳血管の造影検査を行い、血栓や血管の現状を詳しく調べたうえで判断することとなった。

まあMRI検査は入院後二回目なので、今回はさすがに「罰ゲーム」の思い出し笑いをせずに済んだ。続く脳血管造影検査だが、この検査、なんと200~300分の1の確率で合併症が起こる可能性があるというので、あらかじめ同意書に一筆入れるのである。

その合併症とはなにかというと、あれま「脳梗塞」らしい。脳梗塞の確認検査をして脳梗塞をおこしたんじゃ笑い話にもならないが、それにしても300分の1の確率って、検査にしちゃ危険度高過ぎやしないか? 宝くじより全然当たるやん。

この検査、鼠径部の動脈からカテーテルを挿入し、血管の中を頸部までにじりよって現場付近から造影剤を流し、レントゲン撮影をするという大げさというか無茶な検査である。穴おば開ける部分は、当然清潔でなければいけないが、いかんせんそこには陰毛が生えている。

これを剃らにゃあいかんということで、ナースのお姉さんが申し訳なさそうに報告してくれたが、「ナニをおっしゃる...」だ。若者のころならそりゃあ恥じらいもあろう。しかしこちらはもはや『老人力』が付きかかっているトシなんであって、恥ずかしいどころか、こんなに愉しそうなことには最近は全く巡り会っていないのであった。



やっぱしあそこ剃るのね、あなうれし♡

シャワーを浴びて、ベッドでいそいそと待っていたら、バリカンを持ってやって来たのはさっき申し訳なさそうにしていたナース嬢ではなかった。この方も 20代なかばの美しいお姉さんだが、ちょと冷たいタイプなのであって、やや「面倒くさい」という気持ちが態度に現れるきらいのあるお方だった。

そのお姉さんが、やはり面倒くさそうに、手荒く刈るもんだから、刃先がしばしば毛に引っ掛って痛い。たまらず「ちょちょっと!その刃、オイル切れてない?」ととがめると、「このバリカン、使い捨ての刃なのよ」と刃先を見せてくれた。

ああ、この安物ではしかりだ。「ウチにある丸刈り用の電気バリカン持って来といたらよかった」と思いつつ、この痛みも考えようで、ま、快感と思やあいいか...と我慢していたら、あっさりと終わってしまった。

早いのもそのはず、刈るのは管を通す右側だけなのである。「どうせなら揃えて反対側も剃ってよ!」と訴えたが時間がないと却下され、なもんであたしの鼠径部は右側だけがパイパンになり申した。う~む無念。

局部麻酔を施して検査室へ。意識はハッキリしているが、自分の鼠径部は死角になっているので、医者が何かゴソゴソやっているのはわかるけれど、その手先までは見えない。想像するに股にブチっと穴を開け、出血しないように止血して素早くカテーテルを送り込んでいるのであろう。

クイクイと管が入ってくる感じはする。造影モニターは見える位置にあるのだが、眼鏡を外しているからピンがあわずに見えやしない。最近の検査機器はモニターつきのものが多くて興味津々なのだが、裸眼視力が悪いと愉しみが半減する。

撮影するときには、造影剤をポンプみたいなシリンダーでコンコンコンと送り込むのだけど、これが不思議。脳内の、薬剤が入ってくるその場所だけが、じわ~っと内から熱くなってくるのだ。ふつう熱さや冷たさを感じるのは皮膚や体の表面部分だけだから、この脳の内側に温度の変化を感じられるというのは全くヘンな感覚だった。

img_kaisei62.jpg
娑婆にゃ"暮らし"が待っている

いよいよ退院そして再発防止策を...

あれやこれやで検査はすべて終了した。いずれの検査でも問題は確認できなかったので退院の許可が下りた。しかし医者のお達しには、タバコ厳禁。酒もほどほどに。水分欠乏に注意。血栓防止の薬(バイアスピリンなど)は飲み続けること、等の条件がついてきた。

結局発病から18日間の入院をして退院。以後、本日で二ヶ月と一週間が経過した。ようやくにしてアタマのぼんやりふわふわ感は消え、ぼちぼちデザインの仕事にも復帰し、こうやってリハビリを兼ねて駄文を書いたりしているが、これが以前通りの我が脳みそか、と問えば???な部分がまだある。

集中力欠乏気味で、書く文章もとりとめなく、読みにくくなっていると思うけれど、ま、なっちまった病は仕方ないんで付き合って行くしかあんめ。皆様がたには今後ともよろしくおつきあいのほど頼んます(了)。(2008-03-17 掲載記事を復刻)

院内のリハビリ施設が立派なのには驚いた。用具や試験装置、ソフトなど、この分野だけで一大市場が形成されているのがよくわかった。脳梗塞の発症から退院までの体験ルポルタージュ6回シリーズのその五。

いざ、リハビリ開始!

入院から一週間ほど経つと、ふらつきはかなり治まってき、もはや日常生活に支障はないようにも思えたが、どうも「今までとは違うぞ」というヘンな感覚が残ってはいた。なんか頭がふわふわ足元もふわふわしているのである。

頭のふわふわ感は、ちょっと言葉や文章で表現しづらいが、なんとなく頼りな~い感じなのだ。たとえばメモをとろうとして「ミルク」と書くつもりで「ミクル」と書いてしまうような、健常なときでもちょいちょいあるような感覚だ。起き抜けで「ぼー」っとしてるというのが一番近いか。

足元のふわふわ感は、ナイキのエアを初めて履いた時みたいでもある。ま、階段の上がり降りや狭いところの通過などはなんともないが、駅のホームの端っこをさっさか歩くとか、ビルの工事現場の鉄骨を鳶のように歩く、なんてえことは危なっかしくって金輪際出来ねえ、というふわふわである。

img_kaisei05.jpg
昼下がりのナースステーション

入院8日目あたりから、あたしのベッドにリハビリ担当の療法士がやってくるようになった。アタマが損傷する病気では、結果、運動機能が麻痺したり、言葉が喋れなくなったり、思考が出来にくくなったりする場合が多いので、治療にはリハビリが付き物になっているのだ。

幸いあたしは、手足指先言葉に問題はなさそうだったが、テストを兼ねて毎日リハビリテーションを受けることになった。病院にはワンフロア全部を使った屋内外のリハビリルームがあり、様々な器具や用具が設置されていて、ちょっとした体育館のよう。

時間になると療法士のおネーサンが病室に迎えに来てくれる。リハビリには理学療法、作業療法、言語療法などがあり、おのおの専門の担当療法士がいる。あたしは言語は問題なかったのでナシ。理学と作業のリハビリを受けたが、それぞれ二十代ナカバの美しいお姉さん療法士の担当にアタったので、おっさん悦んだ。



理学療法、作業療法、言語療法のリハビリテーション

まずは作業療法担当のN嬢がお迎えに。いそいそとリハビリセンターに付いてゆく。卓球台のような大きなテーブルに差し向かいで座り、筆記テストやパズルなどをして、完成タイムをストップウォッチで計測する。たとえば紙にダーツのような的の円が書いてある。これの中心を狙って一定時間内に出来るだけたくさんのペンで点を打つ。これを左右の手で行う。

また迷路が書いてある用紙のスタートからペンですみやかにゴールをめざす。線が迷路の壁にふれないようにする。ま、昔流行ったオモチャの「電撃ビリビリ棒」みたいなもんだ。また花や家などの図形を見本通りに書き写すとか。いろいろな形のパーツがあるプラパズルを見本通りに出来るだけ早く並べるとか。

幸いあたしの脳は、いままで通りに機能しているようだったので、頗る普通に出来た。というか、どっちかというとあたしの得意の範疇のテストであったので、たぶん勝負したらN嬢より成績が良かったと思う。

ほとんどの作業テストを抜群の成績で合格し続けたせいか、N嬢、やや大げさな試験装置を続けさまに出して来た。ひとつはアタッシェケースを開くとテストフィールドになっているような凝った仕様で、ビーカーやら試験管やら塩ビ管やらアルミ板やら針金やらのパーツがあり、それらを正しく装置にセットすると、N嬢、ビーカーを水で満たした。

で、問題は、「与えられたパーツ以外の器具に直接手を触れずに、試験管の底にあるコルク栓を何秒で取り出せるか」というようなもんである。まあ、正解は、水を使ってコルクを浮き上がらせて取り出すのだが、その水を使うためには、針金を使ってアルミの蓋を開けたり、水を掬うためのパイプに底をつけたりと、手先を精密に使いつつ、考えて工夫をしなければならないように仕組まれている。

健常者なら小学校低学年向け科学クイズというところか。「儂をなめとるんかい!」と少しムッとしつつクリアしたが、脳を損傷した患者にとっては、こんなイージーな問題をクリアするのが非常に困難になってしまうのだと思うと、軽度の小脳梗塞ですんだ自分に胸をなでおろすのでありました。

img_kaisei051.jpg
書物があれば何もイラネ

続いて理学療法担当のH嬢がお迎えに。こちらは体のバランス機能などがうまく働いているかを調べて、リハビリを施すのである。体の重心の動きを調べる体重計のような装置に乗ってバランスが取れているかをディスプレイに表示したり、リハビリセンターにしつらえてある、トマソン物件のような階段を上がり降りしたり、ゴムボールを頭上に差し上げたまま一本橋をわたるというようなテストである。

リハビリセンターには畳の和室なども設置されていて、正座から立ち上がったりする練習をしている人もいる。まるでスタジオのセットのようだ。いろいろやるうちに、あたしは目を閉じての片足立ちがうまく出来ないことに気づいた。しかしコレ、果たして発病以前にもちゃんと出来ていたかどうか怪しいぞ。

そして何回目かの理学療法リハビリのとき、H嬢は院外散歩にエスコートしてくれた。病院周辺の歩道橋をふわふわと一巡りして戻って来ただけだが、ひさびさの娑婆の空気に感動した。でも一番感動したのは歩きタバコのおっさんの出す副流煙の美味かったこと美味かったこと!必死で吸い込みましたっす。(2008-03-08 掲載記事を復刻)

足元がふわふわ落ち着かないし、すぐにアタマが重く疲れる感じの日々が続く。動き回るのは程々にして、読書しては眠る毎日。脳梗塞の発症から退院までの体験ルポルタージュ6回シリーズのその四。

バランス感覚と集中力に不安...後遺症?

あたしの場合、頭を動かすと生じる眩暈と吐き気が主症状だった。入院当初はずっと寝たままで点滴を受けていたが、三日目くらいにふらつきは徐々に治まり、頭を立てた状態で食事をとれるようになった。

もともと頭痛はなかったので、眩暈さえ治まれば普段の生活は可能なのだが、アタマがなんだかふわふわして足元も少し浮いているような感じがし、立ったり歩いたりするのには少々の不安感がつきまとった。もっとも医者に車椅子以外での移動を禁止されていたので、入院後一週間は、ベッドとトイレを車椅子で移動するのみだった。

一週間が過ぎて、点滴も朝夕だけになり自力歩行のお許しが出た。他科外来に診察を受けに行ったり、ロビー階にあるインターネットコーナーで自分ちの掲示板に入院報告をしたりするようになったけれど、足元はふわふわ落ち着かないし、すぐにアタマが重く疲れる感じがしたので、二足歩行はほどほどに、あいかわらずベッドで読書ばかりしていた。

080301.jpg
ベッドサイドの哀愁

家から持って来てもらったのは上方落語の速記文庫本。米朝師8冊と枝雀本5冊。すでに何度も読み返した本であるが、面白いし、適当な長さで一話完結するので、疲れやすく治療などで頻繁に読書が中断される入院生活には非常に都合の良い種類の本だと思った。あとは時代小説数冊。

普段はテレビを観ないので、この時ばかりとテレビも観た。連続ドラマなんかを観るのは何十年ぶりか。大河ドラマも久々に観たし、アタマの病気のくせに将棋番組も観ていた。まあ動かしさえさなければ特に問題はないのだ。オンデマンドDVDで映画も数本観た。特に食事に制限はないし、ニコチン摂取ができないという無限地獄を除けば、まま極楽の日々であった。

看護士(師)と看護婦(師)

不思議なもので、ナースが医療のプロならこっちはプロの入院患者だ、という勘違いのスタンスで勝手に「プロ同士気心知れた仲」みたいに思い込んでしまう節がある。向こうは確かにプロで、こっちは素人なんであるが、入院して毎日世話を受けていると看護の段取りみたいなものが見えてくるから、そういう気になるのかもしれない。

そのあげく、見舞いに来た人間や家族に冷たく当たったり煙たく思ったりする。「お前らはプロじゃないから余計な事をするな!」てな感じでね。これ入院患者のヘンな一面ですな。

知らず知らずのうちにトシを重ねて、半数以上の医者が年下とおぼしき齢になってしまった。もはや娘と言ってもおかしくない年頃の看護婦が、タメ口以上に厳しい上から口調で命令を投げかける。あたしはどっちかというとM範疇の人間なんでなんとも思わないが、看護婦に向かって「お前、誰にもの言うとんねん!」と怒りだしてしまう偉いさんとかがいるのかもしれない。

しかしま、こっちは「俎板の上の鯉」、下手に楯突いて関係を悪化させるのは得策でない、つうことで秩序は保たれているのかもね。

img_kaisei41.jpg
点滴の落ちて温もる春の午後

男女雇用機会均等のご時世だから、もはや院内に看護婦という用語はみられず、表記は「看護師」である。しかしおっさんにとっちゃ、やっぱりうら若きお姉さんに世話をしてもらうほうが心が休まる。

まだ圧倒的に女性のほうが多い職業だとは思うが、たまには野郎のナースも回ってくる。あたしの入院していた18日間に男のナースが回って来たのは一度だけだったが、やはりちょっと「ナンやお前」的な、険悪な空気が生じた。彼も若い看護婦たちと同様で年頃は20代後半。やや長髪気味の坊やであった。

彼は点滴の針交換に来たのだが、こっちも男は珍しいので世間話をしながらの作業中のこと。消毒綿だかテープだかを忘れてきたかして、彼はちょっと考えたあげく、「ま、いいか」とひとりごちた。

ナニ~?これやから今日日の若い男はアカンちゅうねん。患者は情緒不安定だから迂闊なことを耳に入れると大層不安になるのだが、そういう微妙なことに全然気がついていないのである。思わず「患者の前で『ま、いいか』は言うたらアカンのと違うか?」と小言を言ってしまった。

やっぱり男は損である。これ、お姉さんだったら、「ど~したの?ま、いいかって?」などと突っ込んで笑い話になるくらいだろう。やっぱ、ナースは少々おっかないくらいのおねーちゃんに限るね。(2008-03-01 掲載記事を復刻)

リハビリテーションが始まるまでは、ひたすら安静の日々が続く。眩暈さえ治まってくれば食べ物も美味しくいただける。脳梗塞の発症から退院までの体験ルポルタージュ6回シリーズその三。

看護師がラップトップでやってくる♪

あたしは今まで、さしてたいそうな病気にかかった事がなかった。入院となると、なんと25年以上前に食中毒で世田谷のタレント御用達某胃腸科外科病院に入院して以来である。

ミーハーだからそこへ行ったのではなく、単にその近くに住んでいたからで、未明の強烈なノンストップ下痢嘔吐にもう死ぬかと思い、匍匐前進で必死に辿り着いて警備門を叩いたのがソコだったのである。入院中、病室でドラマのロケなんかがあって、女優のナースが本物に混ざって歩き回っているというヘンな病院だった。

その後、知人や家族の入院の見舞いや付き添いの経験はあるのだけれど、自分が入院することはなかった。今回の脳梗塞が生涯2度目つうことになるわけだが、四半世紀がたった今、久々に入院してみて、病院のシステムが様変わりしていることを実感した。

ひと昔前の大病院といえば、轟音とともに廊下の天井を縦横無尽に走るカルテ輸送用モノレールの軌道が印象的で、これの走行を眺めるのが好きだった。当時は未来的にも思えたものだが...。

img_kaisei04.jpg
廊下にノートPC。個人情報大丈夫か?

今回、あたしが運ばれた病院は二三年前に移転新築された私立病院であって設備はかなり新しい。ま、今日日のこっちゃしそらそやろ、とは思うが、もはや天井カルテ軌道は廃線。病院の医療情報システムはすべてデジタルネットワーク化されている。

まず入院と同時に、腕に、ビニール製の「患者IDバーコード入りブレスレット」がパチンと装着される。これは退院時にハサミで切断するまで外す事はできない。

ナースや医者は回診の折、ラップトップパソコンを載せたキャスターをゴロゴロ転がしてやってくる。端末にはバーコードリーダーが付いていて、これを患者の腕の、IDバーコード入りブレスレットにピッとやると、ディスプレイにその患者の医療情報と次に施すべき治療等が表示される。

これは誤投薬防止などにも利用されているようで、点滴のときなども、まずはIDバーコードにピッ!そんでもって点滴ボトルにピッ!とやって間違いがなければそのまま「投薬よし!」つうことになるようである。

まあ便利なシステムだが、ナースがあわててステーションに取って返す理由としていちばん目立ったのが「パソコンのバッテリーの充電切れ」つうのもご時世だなあと思った。

医療情報のITネットワーク進行中

国民総背番号制なんつうとやや物騒な感じがするが、入院患者なんてのはある意味囚人みたいなもんだから、早く治して娑婆に戻りたいという気持ちの方が大きく、プライバシー云々で文句を言う気にはあまりならない。この腕に装着されたIDバーコードはある意味むちゃ便利なのである。

たとえばあたしの場合、入院中のこの際ついでに受けといたれ!とメインの脳神経外科以外の外来、呼吸器科と皮膚科と耳鼻咽喉科の診察を受けたのだけれど、ふらりと該当受付に行き腕を差し出し、ピッ!で、現在投薬中のクスリ、血液検査の結果、体温、血圧などのカルテデータがすべて他科の医者のパソコンにさっと表示される。

これで処方する薬のバッティングを避ける事ができ、また診察スケジュールも一覧できるので、他科の医者は、その場で次回の診察を同日の時間順に設定する事が可能なのである。段取り頗る良し。なんで役所はコレが出来んのかね!と思う事請け合いだ。

080223.jpg
病院食メインおかずの選択画面

病室のあたしのベッドの脇には、スイングアームの付いたカード課金の液晶ディスプレイがあって、これでテレビやDVD映画が見られる。病院内オールマイティーのプリペイドカードにチャージしておけば、テレビや DVDのみならず、冷蔵庫、自動販売機、インターネットコーナー、食堂や喫茶店、院内にあるローソンにまで使用可能だ。

バーコードリーダーはベッドにも付いていて、これで自分のIDを入力すると、液晶ディスプレイに自分の医療情報が表示される。次の治療スケジュールや、検査の結果一覧、はたまた病院食のメニューまで。

この病院食のおかずは二択ながら、ディスプレイをタッチする事で自分の好きなものを選ぶ事ができるのだ。いやはや、病院もかわったもんだ。ああ、いつまでも入院していたかった!(2008−02-23 掲載記事を復刻)


血液サラサラ生活にDHAサプリメント「きなり」

入院後一週間は24時間連続点滴生活。移動も車椅子限定だ。アタマがふわふわしていて足元が危なっかしいったらありゃしない。脳梗塞の発症から退院までの体験ルポルタージュ6回シリーズその二。

血液をサラサラに保つ!

てなわけで1月8日の緊急MRI検査の結果、小脳にごく最近の脳梗塞の痕跡アリつうことで、その場で即2~3週間の入院施療との宣告を受けてしまった。こちらはぶっとい点滴でも打ってもらってさっさと家に帰り、眩暈の回復次第仕事を再開しようと目論んでいたのだが、すべてアジャパーである。

しかしま、面と向かって医者に「脳梗塞」だと言われてしまうと結構ショックは強烈である。確かにこっちもアタマフラフラ状態で、尋常の体調不良とはちと凄みが違うのを感じているから、ここは素直に観念することにした。

寝台に載せられたままゴロゴロと病室へ。主に脳神経外科関係の患者が入室している四人部屋である。まあ、あたしの場合、脳梗塞とは言ってもマヒや言語障害もみられない比較的軽いモノだったから手術もなく、とりあえずは安静第一。点滴をしながらただただ寝ているだけでありまして、同部屋の先輩方に比べると、貫禄など全くありゃあしない。

それにこのあたりのアタマ関係の病気、50歳前のあたしなどは若輩中の若輩。看護婦(師)のお姐様がたには何かにつけて「あなたは若いから」と言われて非常に軽々しく扱われる。しかしあたしだって担当の医者や看護婦連中よりはずいぶん年上なんだぞ。だいたいが入院してしまうと、できるだけ重病人に扱われたくなるものであるからして、ちょっと残念に思ったもんです。

入院後三日間は72時間切れ目なしの連続点滴である。続く三日は朝晩3時間半ずつ計7時間の点滴。それから後の日々は朝晩30分ずつの点滴であった。あたしは静脈が良く出るので看護婦さんにとって抜き差し超イージーな血管の持ち主なうえ、ドーピングの趣のある点滴はキライじゃないので、全く苦にはならなかったが、ダメなヒトには結構辛いのかもしれない。

080214.jpg
入院中、一番見てる景色てば天井です

脳梗塞は脳の血管が詰まりやすくなって起きる病気だから、クスリも点滴も血液の粘度を下げるもので、結局はバファリンみたいなものなのであった。血液をサラサラにしてスムーズに流そうつうことである。

絶対に笑ってはいけないMRI検査

あたしの日課の「硬め歯ブラシによる超高速これでもか歯磨き」は、毎回歯茎から大量に出血するのだけれど、そういうクスリを飲んでいるもんだから、この出血が止まらなくなる。

また、「安物シェーバーによるテッテー的なフカゾリ」もあたしの日々の愉しみなのだが、これも血が止まらなくなるというわけで、歯ブラシのかたさは「ふつう」、髭剃りは入院中は「ヤメ」ということになった。これ、一日が締まらなくなって困った。

入院して三日ぐらいすると、ようやく頭を起こして食事が採れるようになった。それまでは横になったまま食べていたのだ。頭を立てると「ぎゅうわああ~ん」と眩暈がしてメシどころではなかったのである。

立つとまだふらふらして危険なので、車いすナシでの移動も禁じられていた。24時間連続点滴中だったもんでスタンドも持っていかにゃならんし。トイレに行くにもいちいちお目付ナースつきである。これは大層で困った。

脳梗塞と診断されたのは、MRI検査の画像にそれらしきものが写っていたからだけど、画像を見せて説明してもらってもシロートのあたしにはよくわからなかった。白く写っているところが血管が詰まった痕跡だと説明されるのだが、ほかにも白く写っている場所が結構たくさんあが、そちらはみんなノイズらしい。まあ医者はプロだから違いがわかるのだろうけど、結構多いぞまぎらっかしいノイズが。

なんでこんなにノイズが多いねん。と思ったけど、ココロあたりがない訳ではない。実はMRI 検査の筒の中に入るとき、大晦日に見た、ダウンタウン『絶対に笑ってはいけない病院』の該当シーンを思い出してしまったのだ。

検査中、安もんのプログレみたいな磁気パルスの大音響に気をやってなんとか誤魔化しきろうとし「笑ったらいかん、笑ったらいかん!」と必死でこらえていたが、天井から降りてくるババアの顔を思い出し、ついにどうしようもなくなって数回吹いてしまった。あんなに動いたらそらノイズもでるやろ。「マジで、~OUT!」やったなあ。(2008-02-14 掲載記事を復刻)



偏屈 twitter

@boyacave

偏屈 YouTubeチャンネル

サイト内検索

偏屈の洞窟 アーカイブ

YAHOO!カテゴリ

studiocave —偏屈の洞窟—は
ヤフカテ登録サイトです。
YAHOO!カテゴリ→ ヤドカリ

about & archive

my friends

プライバシーポリシー

当サイトでは、第三者配信による広告サービスを利用しています。このような広告配信事業者は、ユーザーの興味に応じた商品やサービスの広告を表示するため、当サイトや他サイトへのアクセスに関する情報(氏名、住所、メールアドレス、電話番号は含まれません)を使用することがあります。このプロセスの詳細やこのような情報が広告配信事業者に使用されないようにする方法については、こちらを参照してください。

当サイトに掲載している商品はアフィリエイトプログラムとの提携です。商品のご注文・お支払いはリンク先の企業とのお取引となりますので、掲載商品に関するお問い合わせなどはリンク先企業へお願いします。
Powered by Movable Type 5.13-ja

boyakin

SPONSORED LINKS

RAKUTEN ICHIBA

おすすめ物件

このアーカイブについて

このページには、2015年7月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2015年6月です。

次のアーカイブは2016年2月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

アウトドア用品