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ぼやテツ6回目は、ついでと言っちゃあ何なんですが、お年賀に掲載しました国鉄参宮線 宮川橋梁のC57牽引旅客列車の周辺写真とそのつぶやきでいっときます。撮影日は昭和47年(1972)4月3日です。冒頭に再掲したのは、参宮線の宮川〜山田上口間の宮川に架かる、明治30年(1897)竣工の古式ゆかしいトラス橋であります。
宮川橋梁の橋長は458m。旧参宮鉄道の架橋で橋桁は元々プラットトラス式だったものを昭和5年に鉄道省がダブルワーレン式に補強して、現在のX字型のトラス構造になったようです。レンガの橋脚といい鉄道橋らしい風情があっていい感じですね。上路のトラスなんで鉄道写真の撮影に非常に好ましい橋梁ですな。以前はお伊勢詣りの要路で賑わい、やんごとなき方々もたびたびお召しで通られましたから、早くから立派な鉄橋が架けられたんでしょうね。もはや現役の鉄道遺産といっていい橋です。
宮川橋梁を客車6両を牽いて渡っているのはC57形蒸気機関車ですな。現在この参宮線にはJR東海の2両編成キハ11がトコトコ走ってるようですが、当時は現車6両。まだまだ旅客も多かったと見えます。お年賀写真のコメントにはC57の車番不明と書きましたが、このコラムを書くにあたってちょっと資料を調べてみましたら、おおむねC57110[亀]だろうということが分かりました。列車は客821レ。亀山を7:21に出て伊勢市着9:01のスジです。折返し13:08発の826レとなって15:00に亀山に戻ります。ダイヤからすると、この写真の撮影時間は午前8時50分過ぎといったところでしょう。津以南のC57客レの運用は一日にこの一往復だけだったみたいです。
切手付封筒を同封して天王寺鐵道管理局から送ってもらった、47.3.15改正のガリ版刷りのダイヤと配車表が残ってますんで、それを確認したところ、天鐵局に配置されているC57は全4両で、うち亀山機関区にはC57110、C57148、C57198の3両、あと紀伊田辺機関区に1両C577がありました。紀伊田辺のカマは紀和(信)方面への運用だし、当時すでにD51のみになってましたからC577は除外できます。余談ですが、亀山にはこの時点で入換用のC50がまだ2両も残ってたんですねえ。C50109とC50154。何で撮らんかったんやろ?
さて亀山配置のC57110、C57148、C57198の3両のどれかということに絞られたわけですが、ありがたいことに、この3両のC57は全部次形が違うので特長の違いがわかりやすいんです。3両ともみんな重油タンクを背負ってますが、C57110は一次形、C57148はテンダー台車が変わった二次形、そしてC57198は窯の太い四次形です。しかしこうズラッと形違いが並ぶとは、蒸機最末期の亀山機関区はC57博物館みたいな配車だったんですねえ。
↑上写真の一部を拡大しました。キャブが開放型ですね〜
写真に戻ります。撮影したカメラがコニカ3なので望遠もなく、引きで撮ってるので機関車の細部が判断しにくいのですが、列車が鉄橋を渡っていくぶん近づいて来た次のカットを拡大してシルエットを見てみました。C57一次形と二次形では見分けがつきにくいんですけど、幸いなことにC57148は集煙装置付きだったんでハッキリと違います。そして拡大してみるとキャブの形状が開放型、先輪もスポークっぽいんで密閉キャブの四次形C57198も外せます。つう消去法でいくと、このC57は昭和31年の六軒事故で衝突・脱線転覆ののち復活したいわく付きのカマのC57110でした...となるわけであります。
車番がわかったところでC57から離れまして、この写真は山田上口駅の駅舎です。どーってことない写真ですが、丸い鋳物の郵便ポスト、クラシカルな公衆電話ボックスが懐かしい風情です。駅を出るオバサンの服装も昭和ですね〜。Wikipediaに載ってる2006年6月撮影の山田上口駅舎外観写真と比べてみると面白いです。この写真から34年が経過してますが、ポストと電話は同じ位置に更新されてますね。ソテツはずいぶん成長しました。屋根上のストーブ用煙突は撤去されてます。しかし駅舎は当時の状態を良くとどめているほうだと言っていいでしょうね。駅向こうの大きな煙突がありませんが工場だったのかな。玄関部分を拡大した一枚を下に載せておきましょう。ちなみに現在の山田上口駅は無人駅だそうであります。
ネガにはこのあと隣の宮川駅で撮影したD51貨物列車の入換風景がありますけど、折返しのC57牽引上り826レの写真がありません。たぶん蒸機牽引の旧客に乗って帰る楽しみの方を選んだんでしょう。親戚のあった阿漕駅まで一時間半(上りは多気で30分程停車した)ほどを汽車旅に揺られつつ喜んで帰ったのではないですかね。この前日に撮影したC57110牽引客826レの写真は本編に既出です。今回のぼやテツはこんなところにしときます。宮川駅構内のD51の写真はまたの機会に。
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ぼやテツ6回目は、ついでと言っちゃあ何なんですが、お年賀に掲載しました国鉄参宮線 宮川橋梁のC57牽引旅客列車の周辺写真とそのつぶやきでいっときます。撮影日は昭和47年(1972)4月3日です。冒頭に再掲したのは、参宮線の宮川〜山田上口間の宮川に架かる、明治30年(1897)竣工の古式ゆかしいトラス橋であります。
宮川橋梁の橋長は458m。旧参宮鉄道の架橋で橋桁は元々プラットトラス式だったものを昭和5年に鉄道省がダブルワーレン式に補強して、現在のX字型のトラス構造になったようです。レンガの橋脚といい鉄道橋らしい風情があっていい感じですね。上路のトラスなんで鉄道写真の撮影に非常に好ましい橋梁ですな。以前はお伊勢詣りの要路で賑わい、やんごとなき方々もたびたびお召しで通られましたから、早くから立派な鉄橋が架けられたんでしょうね。もはや現役の鉄道遺産といっていい橋です。
宮川橋梁を客車6両を牽いて渡っているのはC57形蒸気機関車ですな。現在この参宮線にはJR東海の2両編成キハ11がトコトコ走ってるようですが、当時は現車6両。まだまだ旅客も多かったと見えます。お年賀写真のコメントにはC57の車番不明と書きましたが、このコラムを書くにあたってちょっと資料を調べてみましたら、おおむねC57110[亀]だろうということが分かりました。列車は客821レ。亀山を7:21に出て伊勢市着9:01のスジです。折返し13:08発の826レとなって15:00に亀山に戻ります。ダイヤからすると、この写真の撮影時間は午前8時50分過ぎといったところでしょう。津以南のC57客レの運用は一日にこの一往復だけだったみたいです。
↑参宮線 宮川橋梁のC57110[亀]客821レ(1972.4.3撮影/KonicaIII ヘキサノン48mm f2 NeopanSS)
切手付封筒を同封して天王寺鐵道管理局から送ってもらった、47.3.15改正のガリ版刷りのダイヤと配車表が残ってますんで、それを確認したところ、天鐵局に配置されているC57は全4両で、うち亀山機関区にはC57110、C57148、C57198の3両、あと紀伊田辺機関区に1両C577がありました。紀伊田辺のカマは紀和(信)方面への運用だし、当時すでにD51のみになってましたからC577は除外できます。余談ですが、亀山にはこの時点で入換用のC50がまだ2両も残ってたんですねえ。C50109とC50154。何で撮らんかったんやろ?
さて亀山配置のC57110、C57148、C57198の3両のどれかということに絞られたわけですが、ありがたいことに、この3両のC57は全部次形が違うので特長の違いがわかりやすいんです。3両ともみんな重油タンクを背負ってますが、C57110は一次形、C57148はテンダー台車が変わった二次形、そしてC57198は窯の太い四次形です。しかしこうズラッと形違いが並ぶとは、蒸機最末期の亀山機関区はC57博物館みたいな配車だったんですねえ。
↑上写真の一部を拡大しました。キャブが開放型ですね〜
↑国鉄参宮線 山田上口駅 駅舎と駅前広場。昭和47年(1972)4月3日撮影
車番がわかったところでC57から離れまして、この写真は山田上口駅の駅舎です。どーってことない写真ですが、丸い鋳物の郵便ポスト、クラシカルな公衆電話ボックスが懐かしい風情です。駅を出るオバサンの服装も昭和ですね〜。Wikipediaに載ってる2006年6月撮影の山田上口駅舎外観写真と比べてみると面白いです。この写真から34年が経過してますが、ポストと電話は同じ位置に更新されてますね。ソテツはずいぶん成長しました。屋根上のストーブ用煙突は撤去されてます。しかし駅舎は当時の状態を良くとどめているほうだと言っていいでしょうね。駅向こうの大きな煙突がありませんが工場だったのかな。玄関部分を拡大した一枚を下に載せておきましょう。ちなみに現在の山田上口駅は無人駅だそうであります。
ネガにはこのあと隣の宮川駅で撮影したD51貨物列車の入換風景がありますけど、折返しのC57牽引上り826レの写真がありません。たぶん蒸機牽引の旧客に乗って帰る楽しみの方を選んだんでしょう。親戚のあった阿漕駅まで一時間半(上りは多気で30分程停車した)ほどを汽車旅に揺られつつ喜んで帰ったのではないですかね。この前日に撮影したC57110牽引客826レの写真は本編に既出です。今回のぼやテツはこんなところにしときます。宮川駅構内のD51の写真はまたの機会に。