西新宿の都庁ビルから両国の江戸東京博物館へ。どうせなら大江戸温泉にでもよってくりゃいいに。ヘンな東京観光だな...いや、この時ゃ営業だったんだ。
あまりにも不景気なので東京に托鉢に行った。いつもながら人に会っても酒ばかり飲んでしまい、営業をしたというより、単に散財しただけでかえって逆効果だよ。足もくたくただし。新幹線は高いし、もう...!。(小写真はクリックで拡大します)
西新宿の東京都庁ビル展望室に「おのぼりさん」
ひさびさに東京に営業に行った。連日、手提げ鞄に着慣れぬジャケット革靴でうろつきまわったので、ヘトヘトになった。その間の天気のすぐれぬある日、アポイントに空きができてしまったので、どうするかと思ったが、激動する東京がどのように変わったのかをこの目で確かめようと思いつき、都庁に登ることにした。「お上りさんのお登りさん」である。
しかしま、明治に遷都され東京行きが「上り」になったのであって、それ以前なら上方から江戸に「下」ったのである。あたしは京生れの大阪在住なので、どうにも「下る」気分が強いのであるが、京・大阪以外のひとは全然違和感なく「おのぼりさん」という気持ちになるのであろうか。このあたりの感じがよくわからない。
▲恵比寿にて用件をすましてから都庁展望台におのぼり、と。
ゴタクはさておき、新宿の超高層都庁が竣工したのは1991年である、あたしが10年暮らした東京から関西に戻ったのが1991年。入れ違い。それから数多く上京したのだけれど、ついぞ都庁に足を運ぶ機会はなかった(浅草にはよく行ったんだけどナァ)。
ま、こういうものを間近に観るのは、ピッカピカの時より10年落ちで薄ら草臥れてきた現在の方が本質が見えるものだ。てなことをつぶやきつつまずは南展望台に昇った。ぐるりとあたりを見回してみて、アタマのなかで覚えのある10年前の地図と重ね合わせる。
次にあたしの定期巡回サイトである『超高層ビル情報』によって仕入れた新情報の確認をした。天気があいにくだったので、シャープな視界ではなかったが、「なんだ、こんなもんか」であった。皇居が意外に小さくしか見えない。ま、この都庁の位置は、江戸期じゃ都市のハシのハシ、内藤新宿のまた外れなのであるからこんなものか。
気分は大江戸観光モードに。足は両国の「江戸東京博物館」へと...
都庁窓からの景色にはすぐに飽きてしまったのであるが、南展望室のフロアには、現在のランドマークの位置を貼り付けた特大の江戸切絵図が敷いてあった。地図の年代は明記してなかったと思うけれど、この上にしゃがみ込んで、ほぼ半刻(一時間)以上熱心に見つめる羽目になってしまった。
▲展望室の床には大江戸の切絵図が。江戸のディープスラム本所割下水
▲こちらは深川あたりと石川島人足寄場。江戸にムラムラ来て新宿から両国へ五月場所開催中の国技館を横目に...
う~ん、なんと面白いのだろう。いままでに読んできた時代小説の各シーンがぐるぐると頭を巡り、「深川は、どうなっとったか」「あ、新吉原みなくちゃ」などと、次から次と忙しいこと。あげく腰の痛みが倍増してしまった。死罪人の市中引き回し経路が点線で示してあったり、各横丁の木戸なんかも記入してある。苦しく(腰が)も、実に愉しいひとときであった。
都庁には南と同様の北展望室がある。当初は昇る気はなかったのだが、そちらの床にはどんなネタが施してあるのだろうと思い、わざわざ下まで降りて、昇り直した。が、はたして、何も無かった。エエカゲンにせい!
しかしいきなり脳内視界が全編大江戸になってしまったあたしは翌日、重い足を引きずりつつ、仕事もうっちゃって、隣の国技館で本場所開催中にもかかわらず(ま、不入りだけど)、両国の『江戸東京博物館』に吸い寄せられるように向かってしまったのであった。
▲てなわけで気になってた江戸東京博物館に到着。右は空襲に備える東京の街並を再現した書き割り。
▲江戸ゾーンのジオラマ・両国橋界隈と大川の賑わい
▲掘割のある都市の景色ってなぜかほっこりする。
何をしに東京さ来たんだ、おまえは? 疲れてるのなら大江戸温泉物語にでも行きなっての。(2003-05-29 掲載記事を復刻)
*旧ログを所蔵してた鯖がサービス終了のため、過去記事を復刻してます。もちろん当時は「ALWAYS 三丁目の夕日」も「東京スカイツリー」もありまへん。
あまりにも不景気なので東京に托鉢に行った。いつもながら人に会っても酒ばかり飲んでしまい、営業をしたというより、単に散財しただけでかえって逆効果だよ。足もくたくただし。新幹線は高いし、もう...!。(小写真はクリックで拡大します)
西新宿の東京都庁ビル展望室に「おのぼりさん」
ひさびさに東京に営業に行った。連日、手提げ鞄に着慣れぬジャケット革靴でうろつきまわったので、ヘトヘトになった。その間の天気のすぐれぬある日、アポイントに空きができてしまったので、どうするかと思ったが、激動する東京がどのように変わったのかをこの目で確かめようと思いつき、都庁に登ることにした。「お上りさんのお登りさん」である。
しかしま、明治に遷都され東京行きが「上り」になったのであって、それ以前なら上方から江戸に「下」ったのである。あたしは京生れの大阪在住なので、どうにも「下る」気分が強いのであるが、京・大阪以外のひとは全然違和感なく「おのぼりさん」という気持ちになるのであろうか。このあたりの感じがよくわからない。
▲恵比寿にて用件をすましてから都庁展望台におのぼり、と。
ゴタクはさておき、新宿の超高層都庁が竣工したのは1991年である、あたしが10年暮らした東京から関西に戻ったのが1991年。入れ違い。それから数多く上京したのだけれど、ついぞ都庁に足を運ぶ機会はなかった(浅草にはよく行ったんだけどナァ)。
ま、こういうものを間近に観るのは、ピッカピカの時より10年落ちで薄ら草臥れてきた現在の方が本質が見えるものだ。てなことをつぶやきつつまずは南展望台に昇った。ぐるりとあたりを見回してみて、アタマのなかで覚えのある10年前の地図と重ね合わせる。
次にあたしの定期巡回サイトである『超高層ビル情報』によって仕入れた新情報の確認をした。天気があいにくだったので、シャープな視界ではなかったが、「なんだ、こんなもんか」であった。皇居が意外に小さくしか見えない。ま、この都庁の位置は、江戸期じゃ都市のハシのハシ、内藤新宿のまた外れなのであるからこんなものか。
気分は大江戸観光モードに。足は両国の「江戸東京博物館」へと...
都庁窓からの景色にはすぐに飽きてしまったのであるが、南展望室のフロアには、現在のランドマークの位置を貼り付けた特大の江戸切絵図が敷いてあった。地図の年代は明記してなかったと思うけれど、この上にしゃがみ込んで、ほぼ半刻(一時間)以上熱心に見つめる羽目になってしまった。
▲展望室の床には大江戸の切絵図が。江戸のディープスラム本所割下水
▲こちらは深川あたりと石川島人足寄場。江戸にムラムラ来て新宿から両国へ五月場所開催中の国技館を横目に...
う~ん、なんと面白いのだろう。いままでに読んできた時代小説の各シーンがぐるぐると頭を巡り、「深川は、どうなっとったか」「あ、新吉原みなくちゃ」などと、次から次と忙しいこと。あげく腰の痛みが倍増してしまった。死罪人の市中引き回し経路が点線で示してあったり、各横丁の木戸なんかも記入してある。苦しく(腰が)も、実に愉しいひとときであった。
都庁には南と同様の北展望室がある。当初は昇る気はなかったのだが、そちらの床にはどんなネタが施してあるのだろうと思い、わざわざ下まで降りて、昇り直した。が、はたして、何も無かった。エエカゲンにせい!
しかしいきなり脳内視界が全編大江戸になってしまったあたしは翌日、重い足を引きずりつつ、仕事もうっちゃって、隣の国技館で本場所開催中にもかかわらず(ま、不入りだけど)、両国の『江戸東京博物館』に吸い寄せられるように向かってしまったのであった。
▲てなわけで気になってた江戸東京博物館に到着。右は空襲に備える東京の街並を再現した書き割り。
▲江戸ゾーンのジオラマ・両国橋界隈と大川の賑わい
▲掘割のある都市の景色ってなぜかほっこりする。
何をしに東京さ来たんだ、おまえは? 疲れてるのなら大江戸温泉物語にでも行きなっての。(2003-05-29 掲載記事を復刻)
*旧ログを所蔵してた鯖がサービス終了のため、過去記事を復刻してます。もちろん当時は「ALWAYS 三丁目の夕日」も「東京スカイツリー」もありまへん。