◯ 仲春の兼題は「名残雪」「干鰈」「入学試験(入試)」です。
【名残雪】
窓越しに交わす目礼なごり雪 天天天地地 磨角
校庭の名残り雪踏む門出かな 天天地人 風写
なごり雪汽車を電車と云ふ輩 天天 酒倒
惜別の今朝北窓の名残り雪 天地地地人 風写
荒行僧うなじに溶ける名残り雪 天地地人 好喜
露天湯に思はぬ馳走名残り雪 天地 仲春
引越しを終えて夜空の名残り雪 天地 雪童
名残り雪ふいの終わりをほのめかす 天人人 出船
陽射しある上野を出でて名残り雪 天人 菫女
人波に消ゆる背中や名残り雪 天人 磨角
青春の光と影に名残り雪 天 音澄
名残り雪明けを知らせるカラスかな 天 見燗
【干鰈】
吉日や骨離れ良し干鰈 天天天地人人 見燗
時止まる置き竿の浜干鰈 天天地人人 呑暮
西風に波静まりて干カレイ 天天 好喜
干鰈島の宝が風に揺れ 天地地人人 愚多楽
鰈干す浜の女の頬被り 天地地 菫女
干鰈売る婆さんの手の乾き 天地人人 音澄
干鰈しゃぶって育つ若狭の子 天地人 仲春
過去捨つる修行の果てか干鰈 天人人 出船
おつまみの駄菓子に探す干し鰈 天 風写
磯の香や浜辺で炙る干し鰈 天 雪童
小包のお国言葉と干鰈 天 小波
灯る窓夜を締め出し干鰈 天 即馳
【入学試験(入試)】
初旅の試練もくぐる入試かな 天天天地 呑暮
受験生一直線なり朝の道 天天地地人人 山女
空を見よ入試とスマホ投げ捨てて 天天人 出船
入試明け今朝から空は我のもの 天地地地人人 風写
教師より老けた顔して入試受く 天地人 仲春
鉛筆の声に聞き入り入試終え 天人人 即馳
おほかたは無言で歩き入試の子 天人 磨角
入試前塾の輪に咲くエイエイオー 天 好喜
入試終え幼き昨日かすむ街 天 出船
鉛筆はすべて新調入試かな 天 小波
わが辞書の入試の項は死語となり 天 岩牡蠣
青春の残滓入試の悪夢かな 天 芝浜
◯ つぶやき再録 ◯
★愚多楽さんの選句とつぶやき----------------------------------------
【入学試験】
天 初旅の試練もくぐる入試かな
地 家中が入学試験で肩が凝り
人 験担ぎする子しない子入試かな
同窓会で中学校の受験番号をまだ覚えている人がいます。
そう言う私も、合格発表で715という番号を見つけた時の喜びを忘れられません。
難しい大学に入っていたら、中学の受験番号なんて忘れて、大学の受験番号を
覚えているんでしょうけど。私の人生、中学合格がゴールだったはずがないと思うと、
まだまだ何かいいことが待っているのではないかと楽しみです。
★音澄さんの選句とつぶやき-------------------------------------------
【名残雪】
・引越しを終えて夜空の名残り雪 天
・いろいろと明日にしよう名残り雪 地
・名残り雪うれしさもある別れの日 人
【干し鰈】
・吉日や骨離れ良し干鰈 天
・江ノ島やこよひあなたを干鰈 地
・干鰈しゃぶって育つ若狭の子 人
【入学試験】
・初旅の試練もくぐる入試かな 天
・教師より老けた顔して入試受く 地
・浪人に包囲されたる受験席 人
「名残り雪」の句は、私個人としては三句とも天でした。まぁ、横並びはしない選句なので、「地と人」の俳人には、ごめんなさい。名残り雪なんて、もう時節は春になっているんだから、フワッと降って、短い感慨を残して消えてしまうのでさらりと詠む句が似合っていると思いました。
干し鰈の「江ノ島」は、三分の一ぐらいは川柳が入っていますが、おかしくていい、と思って選びました。亡くなった逆月さんがよく、皆さん真面目な句ばかりではなくもう少し緩んでもいいと思う、というようなことを言っていましたが、そう思います。
若狭の子が干鰈をしゃぶって育つというのは、まったく意表を突かれました。そういえば若狭鰈の地だものなぁと納得してしまったのですが、ホントウかいな? というところが俳諧の「諧」のあたりでしょう。笑って選びましたね、この二句は。
浪人経験者として現役を囲んだかなぁ、私。実際の現場では、現役の連中が「頭よさそう」に見えるんですけれどね。
イルカの歌のせいでしょうね、名残り雪と別れ(しかも駅頭で)の風景をひとつのものと見た句が多くて、はぁこうなるかと思いました。冬の名残りの雪、あるいはこの雪が最後の雪で春になるなぁ、なのであって、別れにつき物の雪というわけではない。そうそう都合よく駅での別れに雪が降るわけがない、ということで、軽くていい気分の句を私は選びました。
「名残り」という言葉に力がある。だから、似た着想の句が山をなしてしまった。
芭蕉がいる頃はまだ「俳句」とはいいませんでしたが、「この風景って俳句になるなぁ」と思う風景は、これまで誰も見たことのない風景なんかではなく、芭蕉からこっち何万人もの人が見て、何万句もの句に詠まれた風景です。この21世紀の今、自分の着想が非常に個性的で、これまでのどの句とも似ていないから「いいぞ」と思うのは、ほぼ間違いでしょう。逆に、この風景を見てこんな句を詠んだ人が何千人もいるに違いない、とすると「ワタシが独特の句を詠むには」どれだけ工夫し、考えなければいけないか、と考える必要がある。それが俳句の面白いところ、私はそう思います。不易で流行、と芭蕉がウンウン考えたのはそこではないですか。
毎月の句を見て、「あ、同じ着想だ」という経験はあるはずで、そのことを心してそこから一歩出ないことにはイッパシの俳人にはなれない、と思ってください。
干し鰈の句に、くっつきすぎの句がけっこうありましたね。俳句では鰈という「海のモノ」が出てきたらそこに「繰り返し海を思わせるような言葉は出さない」という、ぼんやりした約束があります。「厳禁」ではありませんが、たった十七文字で詠む俳句の中に同じ情景を引き出す「鍵になる言葉」を繰り返すのは、しない方がいい、いや、やらないもんだ、とされています。
干し鰈となれば、まぁ酒を飲む景色に干し鰈を肴として置く句があるんだろうなぁ、という思惑が当たりました。
兼題に食べ物が出ると、たいてい「酒を飲む風景に、その食べ物を肴にしてはめ込む句がある」のです。こういう句で「お!」と思う句はあまりありません。これも先の話と同じで、季節の食べ物を酒の肴にして詠む句は、ほとんどの人が考えるでしょう。そして、月並み句になりやすい。もし、酒を飲む句を詠むならその風景か、心情をよほど「創造的な」ものにして詠まないといけない気がします。
よく、通夜の酒が出てきますが、その句を詠んだ人にとって故人は「多くの思いをもたらす人」であっても、その句に接した読む側にはその人に対しての思い出がないのが普通です。
いや、酒を飲む場面の句は詠まないものです、というのではないですよ。
面白かったのが入学試験の句。句の中には入社試験もありましたが、日本人はよほど試験に悩まされて大きくなるのだとつくづく感じました。それと、入試が終わった後の解放感・開放感がよほど大きいのでしょうね。青年に呼びかけている句もありました。これは、この時期に何度か詠んでみると面白い兼題だと思いました。
もう半世紀前になってしまう団塊の世代の受験から、心情的にあまり変わりがないので、そのことに驚きました。ああ、だめだったなぁと実感しながら、「当時はまだ10時間以上かかった故郷まで」眠れない一人旅。挫折を運ぶ旅の始まりでしたね。うぬぬ。
上の文章の俳句についてのもっともらしい話は、講談社学術文庫・阿部筲人著『俳句』からの受け売りが多く入っております。はい。
最近のコメント