◯ 初冬の兼題は「浅き冬・冬浅し」「ふくろう」「加湿器」です。
【浅き冬・冬浅し】
冬浅し農夫黙黙薪を積む 天天天地人人 喜の字
浅き冬どこかで父に似たくしゃみ 天天地地人人 蝸牛
たった一つ片付け暮るる浅き冬 天天地 菫女
犬の毛の伸び始めたり冬浅し 天天 駒吉
浅き冬柏手速し露天商 天地地地地 呑暮
下校児の伸びゆく影や浅き冬 天地人 風写
冬浅し夕方のやう夜のやう 天地 仲春
まだ冬の浅きに急ぐ野良仕事 天人 風写
両側に猫の居る塀浅き冬 天 酒倒
【ふくろう】
半眼のふくろう相手に禅問答 天天天天人人 芝浜
目を閉じて昼梟の一人笑ひ 天天地 菫女
旅枕どこか馴染まず梟啼く 天地地地地 魯斗
梟よ私は私で眠れない 天地地地人 蝸牛
梟や入れ換えの汽車ホーと啼く 天人人 酒倒
ふくろうが戻ったようだと村会議 天人 音澄
ふくろうの鳴く声まろく月の影 天人 風写
ふくろうの野鼠を喰う穏やかさ 天 音澄
ふくろうや月に見つかり動けない 天 山女
闇にいてOWLのように街を聴く 天 酒倒
【加湿器】
加湿器のため息ごとに振りかえる 天天天地地 酒倒
加湿器を据えて迎える恩師あり 天天地地 風写
逝く人を看取り加湿器息を止め 天天地 音澄
加湿器を止めて本屋の店仕舞い 天地人人 喜の字
加湿器や部屋一杯の斜めの陽 天地人 魯斗
あらばよし加湿器ほどの人なさけ 天地 逆月
加湿器や三尊像の蓮の下 天地 音澄
加湿器の湯気に顔寄す日暮れかな 天人 仲春
加湿器や叔父のお下がりポオ詩集 天 磨角
ヒーターと加湿器置ける山の塗師 天 菫女
つぶやき再録
★呑暮さんの選句とつぶやき-------------------------------------------
【浅き冬・冬浅し】
天 冬浅し夕方のやう夜のやう
地 浅き冬どこかで父に似たくしゃみ
人 一の寺二の寺巡る冬浅し
こころみに取りきれなかった句について、つぶやき。
「朝の玉子」は下5の「白深き」が「白深し」だったら天に取ったんですが「き」じゃないとだめなんですかね。
「片付け暮るる」は上5の「たった一つ」が少しもたつく。そのもたつき感(=時間)を狙ったのかも、ですが。
「猫の居る塀」は魅力的ですが、うまく絵が浮かんでこなかった。上5の「両側に」ってどっち?
【ふくろう】
天 ふくろうが戻ったようだと村会議
地 梟よ私は私で眠れない
人 梟の近きに啼きて地の揺るる
ふくろうの実物は動物園でしか見たことがないし、声は一切聞いたことがないので、この3つしかマル印(最初に気になったものにつける印)がつきませんでした。スミマセン。「声は夢間に」とか、そういう体験を私がもししたことがあったら、速攻で「天」なのですが。
【加湿器】
天 加湿器を据えて迎える恩師あり
地 加湿器や三尊像の蓮の下
人 床の間の真中に加湿器鎮座せり
加湿器は季語なんですね。初めて知りました。確かに冬しか使わない。その意味では、年中ある野菜や果物より、よっぽど季語らしい季語、と言うことができます。
そのうち「28度」(夏の冷房の目安)が季語になるかも、ですね。
選句と関係ないつぶやきで申し訳ありません。
★逆月さんの選句とつぶやき-------------------------------------------
【浅き冬・冬浅し】
天 浅き冬どこかで父に似たくしゃみ
地 浅き春柏手速し露天商
人 浅き冬並木に赤き実の残る
山本屋さんの海苔、俳句でいただいたとなると、ひときわ、おいしく感じました。
今、金子兜太、高橋睦郎さんら沢山の俳人詩人などが対談や原稿を書いている俳句の書籍を編集しています。五七五の秘密に迫る本?面白いものになると思います。春には出版の予定です。乞うご期待。
さて選句です。
天。「どこかで」はおそらく「どこかわからない方角で」という意味でつくられたのでしょうが、逆月は勝手に「くしゃみの仕方のどこかが父に似ている」という風に故意に受け取って天としました。クシャミなんてみな同じに聞こえますが、親子ってのはこんなつまらないところほど似ているものです。
地、寅さんが、半眼開いて、寒そうに「急ぎ柏手」打っている。
人。淡白な表現に現れた美しい画面です。
【ふくろう】
天 闇にいてOWLのように街を聴く
地 旅枕どこか馴染まず梟啼く
人 ふくろうの鳴く声まろく月の影
「街を聴く」というのがいいなあ。英語が不思議なフィーリングをだしていますね。
地。ありますね、こういうこと。仕方ないから下着の替えとバスタオルでにわか枕をつくる。
人。「まろく月の影」と、中七から下五へ流れるきれいな音そして絵。
【加湿器】
天 加湿器や叔父のお下がりポオ詩集
地 加湿器のため息ごとに振りかえる
人 加湿器や部屋一杯の斜めの陽
ポオが「お下がり」というのがいいです。わが父のお下がりが本棚にあります。たとえば、戦前の岩波文庫。昭和2年発行・昭和11年8刷の「島崎藤村詩抄」四十銭。これは時代を反映して、いまの岩波文庫よりはるかに上質の紙で、天地が16センチ。ところが同じく岩波文庫の「白秋詩抄」は昭和20年10月11刷で定価一円八十銭。紙がざら紙に近く、天地14センチほど。「配給元」として「日本出版配給統制株式会社」とあります。
こどものころは、「汚い本だなあ」と思いながら仕方なくお下がりを受けていましたが、いまになると、「とっておいてよかった」と思います。
地。子供のころあのシワーっという音が気味悪くて、何べんも振り向いた記憶あり。
人「斜めの陽」がきれいです。
さらに寒くなります。皆様、ご自愛のほど。
★蝸牛さんの選句とつぶやき-------------------------------------------
【浅き冬】
天 たった一つ片付け暮るる浅き冬
地 浅き冬柏手速し露天商
人 肺深く棘の入りたる冬浅し
天、何だかはかどらない日ってありますね。それが寒い日だと、あーあ、わたしったら何やってんだろうと、虚しくもなります。
地、寒い寒いと、せわしなく手を叩く音が乾いた空気を震わせて伝わってくるようです。
人、胸でなく肺としたことで、心に負った深い傷とも、あるいは重い病気とも取れて、何があったのかなあと想像を掻き立てられました。
【ふくろう】
天 目を閉じて昼梟の一人笑ひ
地 梟や一瞬鬼の棲みし貌
人 梟の啼き止むころに赤子泣く
天、フクロウと言えば夜、という思い込みに捕らわれていました。昼は何をしているんだろう、昨夜のことを思い出して静かに笑っているのか、この視点は、わたしにとって斬新でした。
地、フクロウがカッと見開いた眼を見たときの、射すくめられる感じが伝わって来ました。
人、世の中、いつだって、どこかでだれかが泣いているんだなあと、気づかされました。
【加湿器】
天 加湿器のため息ごとに振りかえる
地 加湿器を据えて迎える恩師あり
人 加湿器の湯気冷たくて離縁状
天、分かります。あの、コオーッという音が不意に気になるんですよね。静かな部屋なのですね。
地、加湿器っておもてなしなんですね!老いた恩人を気遣って加湿器をつける。
なんて繊細な心配りなのでしょう。
人、加湿器って色気のない家電だと思っていましたが湯気と言われると、何だか人間臭くていいですね。
★音澄さんの選句とつぶやき-------------------------------------------
【浅き冬】
・両側に猫の居る塀浅き冬 天
・冬浅し農夫黙黙薪を積む 地
・浅き冬どこかで父に似たくしゃみ 人
長い塀が家を囲んでいて、その角と角で「両側」なんでしょうね。あるいは、左右の門のあたり。そう読みました。いずれにしても、陽の当たっている側の角と角に、三毛猫とトラが「むっ」と丸まっている。何でもないけれど、あるなぁこの風景。
で、全体「あるなぁこの風景」を選びました、結果的に。
農夫を畑におかないで、家の横で薪を積み続ける午後の時間。深く、渋い。
くしゃみは、お父さんのくしゃみに似たくしゃみが聞こえてきた。確かに、聞きなれたくしゃみは、その個性を覚えているもので、あ、あのくしゃみは! ということがある。自分の父のくしゃみを思い出しました。
【ふくろう】
・梟や入れ換えの汽車ホーと啼く 天
・梟よ私は私で眠れない 地
・熊眠り蛇眠る山梟鳴く 人
まず「人」の句からでしょう。「熊と梟が冬、蛇は夏」だもの。知ってて、そのつもりで詠みましたね、当然。「目には青葉」だなぁ。
天は、ホーと啼いたのは汽車であって、梟ではない。そこが気に入りました。「ほうほうと」という五文字の入った句があるかと思ったら、無かった。
句を読んでみて、ふくろうに馴染みがない人が多いなと思いました。私の場合は、子供の頃、家の中にしばらくふくろうがいて、夜中に走り回る鼠を退治してくれたこともありましたから、親しみがありました。今でも、飼いたい鳥です。毎日鼠ぐらいの生きた餌、生の肉をやらないといけないのが大変。
【加湿器】
・ヒーターと加湿器置ける山の塗師 天
・加湿器を止めて本屋の店仕舞い 地
・加湿器を点けて文庫の続きかな 人
「塗師」は、ぬし、ですよね。読んで、あ、と思いました。ヒーターと加湿器の両方が要るか、でした。
あとの二句は「本」。乾燥が過ぎて本が反って来るのを防ぐために、正しい意味で「適当な」湿度を保つ、といったことが、別の風景で描かれていて、うまいな、と感じました。
加湿器の「白い煙」ですが、水蒸気が出る方式(水を沸かしている)だと湯気ですが、別の方式では「湯気ではなく、ミスト」で水蒸気より圧倒的に粒子が小さいモノがあります。こっちの「白い煙」は、吸うと空気と一緒に肺に入ることがあるので危険ですからご注意。
こういう近代の、というか、近年登場した道具が季語になった場合は、古い歳時記を見ても例句がないので、やがて歳時記に載せてもらえるような句を詠もう、と、生意気にも思うんですよ。できませんが。