◯ 初秋の兼題は「桐一葉」「太刀魚」「朝顔」です。
【桐一葉】
桐一葉母の身丈の庭箒 天天天地地人 仲春
さよならをふわりさえぎる桐一葉 天地地地人人 小波
桐一葉日々看る母の日々軽く 天地地人 魯斗
桐一葉渇いた恋の音立てて 天地地 蝸牛
一人逝きまた一人逝き桐一葉 天地人 喜の字
ゆらぎ舞う桐の一葉よ空の蒼 天地 風写
桐一葉よいしょとベンチを離れけり 天人 音澄
ねぎらひを眼で送り桐一葉 天人 逆月
一葉落つ還暦祝いし帰り道 天 雪童
一病の増えし通院桐一葉 天 魯斗
桐一葉古城の影に踏む愁い 天 逆月
【太刀魚】
太刀魚や錆つくように焼けていき 天天天天天地 音澄
海神の鍛えし銀や太刀の魚 天天人 逆月
太刀魚やギンギラギンの売れ残り 天天 音澄
太刀魚や函の長さに曲がりけり 天地地人人人 酒倒
波断ちて疾る一振り太刀の魚 天地地人 雪童
太刀魚や月の浜辺に狂四郎 天地 逆月
太刀魚や正宗汲みし舟の宿 天 雪童
【朝顔】
朝顔や根津も谷中も明けにけり 天天天人人 仲春
朝顔や家族揃って朝ごはん 天天 小波
朝顔や空に溺れし蔓のさき 天地地人 酒倒
朝顔や空き家の樋を這い上り 天地地人 音澄
朝顔の萎れるを見て二度寝かな 天地 芝浜
朝顔やちひろの筆の一奔り 天地人人 呑暮
絵手紙は朝顔だらけ下手ばかり 天地人 音澄
朝顔や佳人薄命芸のうち 天地 逆月
あさがおや歳月刻む江戸切子 天 魯斗
朝顔のまろきしずくを盃に 天 呑暮
つぶやき再録
★蝸牛さんの選句とつぶやき-------------------------------------------
【桐一葉】
天 一病の増えし通院桐一葉
地 一人逝きまた一人逝き桐一葉
人 舞姿おおきく残し桐一葉
桐一葉、普段からそうですが、秋になると特に己が病、友の死を詠む句が増える気がします。とくにバッサバッサと散る桐の大きな葉は、散る命を連想とさせますね。
「舞姿」の句は、落ちてしまった葉でなく弧を描き落ちゆくさまが目に浮かびました。
【太刀魚】
天 太刀魚やギンギラギンの売れ残り
地 波断ちて疾る一振り太刀の魚
人 太刀魚や函の長さに曲がりけり
太刀魚、「海神の鍛えし銀や太刀の魚」と最後の最後まで悩みました。
「海神」「鍛えし銀」の力強さと「断ちて」「一振り」のスピード感とが見事に拮抗していて、捨てがたかったです。
【朝顔】
天 朝顔やちひろの筆の一奔り
地 絵手紙は朝顔だらけ下手ばかり
人 朝顔や空き家の樋を這い上り
朝顔、この兼題からすぐにいわさきちひろの水彩画が浮かぶ言語地図に脱帽です。彼女の描く朝顔は、気負わずふわりと描いたようで、この上なく朝顔らしく、本当に不思議です。まるで花びらをカンバスに絞ったら雫が勝手に咲きましたと言うように。
対する「絵手紙」の句に、思わずにやりとしました。シンプルに見えるから、素人は安易に手を出しますが、どっこいちひろのようには描けないのですよね。
★逆月さんの選句とつぶやき-------------------------------------------
全くの私見、勝手な感想です。今度は、予想が外れました。どんな予想か。
桐一葉といういかにも秀句が集まりそうな堂々たる季語が振るわず、朝顔という清新な季語に秀句が多かった。そんな予想はずれ。
これはいつも思うことなんですが、俳句の条件てあるのだろうか。いかにリアルであろうと、伝えたいことであろうと、ただただ暗い、寂しい、辛い、といった負のコンテンツで読み切って、突き放してしまっている句は「あり」なんですかね。
暗くても寂しくても、そこにぺーソスとかやさしさとかほんのちょっとのウイットとか、溢れる詩情などがあればいい。ですが、それもなくて…てのはどうなんでしょうか。
死、老、病の句は当句会にもよく出てきますが、その場合、こういうケースに時々出合います。
【桐一葉】
天 桐一葉母の身丈の庭箒
地 ゆらぎ舞う桐の一葉よ空の蒼
人 さよならをふわりさえぎる桐一葉
「身丈」という言葉が、母を今、持たない身にもせつなく迫ります。生きている頃、自分のそばに来てうれしそうに横に並んだ母の、肩の位置。何があっても絶対の味方である人は、もう、いない。会いてえなあ。
地と人は桐一葉の軽さが、心地いいです。
太刀魚ってのは、大いに参りました。やけになりまして。逆月、ヤケ句をつくっちゃいました。ごめんなさい。まあ選ばれないでしょうけど。
みなさん、苦労してらっしゃる、ですよね。最初、さんまって読んじゃいました。選句は、あの長い立派な図体に似合った「威風堂々句」を。
【太刀魚】
天 太刀魚や正宗汲みし舟の宿
地 波断ちて疾る一振り太刀の魚
人 物知りが来て太刀魚を捌きをり
切れ字は一句のうちに二つは使いません。これは基本のキだと思うので、気を付けてください。太刀魚はこれがすごく多かったです。それも全部、「や」と「けり」「かな」の重複。このミスがなければ地に入った潮の光り、人に入った函の長さ、他にも横たふ棚、姿正しく、もそうでした。
【朝顔】
天 絵手紙は朝顔だらけ下手ばかり
地 朝顔や始発電車のポーを聞く
人 朝顔に足止めるよな男とゐて
天は大笑いしてしまいました。絵手紙って「いい趣味」の代表です。でも、いつも思うことがある。内緒で教えます。シーーーッ、ナイショですよ。「あれをやる人って、なぜか、みんなタイプ似てるなあ」「ガビーンというほど、うまいのには出合ったことないなあ」「正直言って、あんまり欲しくはないなあ」・・・・・・・・やっている方がいたらごめんなさい!
地は、「ポー」でもって空間がさーっと広がっています。人は、「ごちそうさま、勝手におしっ!」
朝顔には「裏選句」(ウラセンケではありませぬ)を作っちゃいました。
せっかくだから、あげちゃいます。むしろこちらが秀句の立たずまい。
入ってもあくまで裏ですので、ウラ喜びしてください。
天 朝顔や遠洋漁業の船が出る
地 朝顔やちひろの筆の一奔り
人 朝顔や空に溺れし蔓のさき
江戸切子、二度寝、空き家の樋もよかったです。
「絵てがみ」ネタに三人さんが目を止めてくれて、音澄としてはうれしくてムフフでありました。「絵てがみ」とは言いますが、実は「はがき絵」ですよね。はがき一枚に、さらりと描いたその時季の風物が「粋で、洒落て」いればいいのですが、下駄箱の上の実篤の亜流みたいなのが多い。
風物を持ってくるやり方が、どうも「カルチャー教室」の生徒の域を出ない。こういうことを言っていると、きっと叱られるでしょうが、まったく、逆月さんが書いてくれたように、「お、これ、しばらく机周りにピンで留めておくか」と思うようなモノはまずないですよ。
それで、つい揶揄するような句になってしまいました。
俳句は「少し古めかしい表現」がいいだろうとか、「文語を使うことで俳句らしくなる」と思うのは自由ですが、私は、21世紀に生きて、自由に詠んでいい俳句にことさら「古めかしさ」を加味しなくてもいい、と思っている派です。
実は、不勉強を補うために、というのか、日本中の俳句好きはどのような俳句を詠んでいるかを知りたくて、月刊の俳句雑誌を二冊見ています。正確に言うと、定期購読一冊と、定期いただき一冊です。
その中には、毎月、日本中の有名無名結社の会員たちの句が大量に掲載されていますが、「ナマイキを承知でいうと」、まったく「月並み」な句が、ほとんどです。あ、滅入る句会で「一句も抜いてもらえないこともあるお前が言うか!」は承知で言っています。月並みな上に、漢和辞典を引かないと読めないような漢字を使う。
俳句は「古典芸能」的表現ではなく、ちょいと洒落た軽やかなリズムを持つ、今の言語感覚の表現でいいと思っているんですよ。それがうまくいかないから、面白いんですけれどね。
ウンウンうなって、なんとか詠んで、推敲して「簡単に詠んだように」さらりとした句に仕上げる、これを、目指しています。
多くの方が、別の句会にも参加し、あるいは主宰しているので、読みやすい季語はそちらに任せて、「滅入る句会」では、あらら、困ったなこの兼題は、という季語を一つは入れるつもりでいます。
ではでは 音澄
音澄さん、いつもご苦労様です。
毎月の季題のチョイス、楽しくもあり苦しくもあるんでしょうが、
わたし、時には「季題重なり」があってもいいと思ってます。
つうか、リベンジしたい季題が結構ありましてね。
兼題選びにお苦しみのときなどは、
既出の季語も再登場させてくださいよ。
勝手なこと言ってる酒倒でした。
酒倒さんへ。
なるほど、そうですね。
歳時記におさまっていても、あまりに実感に欠ける何々忌などはほとんど採用していない。また、各地の行事なども、採用していない。
そういうことがあると、私が持っている歳時記でもやがて限界が来るかもしれないので、季語の選択をどうしようかと思ってはいました。
もう、足掛け10年になる「滅入る句会」だから、今また「再びこの季語」という手はあると思う。考えますよ。
それと、天を集めたトップの人に兼題をお願いするというのも、面白いしね。